運の悪い男は一兎を逃がす

リクエスト内容:ゼノのラッキースケベな話


研究室の扉を開いて真っ先に視界に飛び込んできたのは白い肌に不釣り合いな真っ黒の下着のみを身にまとった、いや、もはや全裸に近い女の姿だった。すらりと長い手足はまさに着替えの最中でそんな名前とドアで呆然と状況を飲み込めずにいる僕はぱちりと目が合ってしまった。

「す、すまない!」

咄嗟に出た謝罪と共に慌ててドアを閉める。乱暴に閉められたドアがドタンと抗議をするがそれどころではない!
朝の食事をとる前に昨日の研究資料を研究室に取りに来ただけの自分がなぜこんなにも居たたまれない気持ちでドアに背を向けて頭を抱えているのか。
なぜ早朝の研究室に下着姿の彼女がいるのか、下着なんて作った記憶がないが?!いやその前にそもそもなぜ、なぜ彼女は研究室で服を脱いでいるのか!
普段は服で隠されている素肌がいきなり姿を現したものだからその光景が頭から離れなくて思わず頭を左右に振る。ああ、最悪だ!これから彼女とどんな顔をして会話をすればいいんだ。今日だって二人で作業の予定があるというのに!

女性の肌を見てしまった動揺とそれが名前だったこと、そしてろくに謝りもせずに逃げ出したこと…いや、あの状況で最善な行動だったはずだ!彼女だってあの姿のまま「あら、おはようゼノ」なんていつもの挨拶なんてできなかっただろう。僕はあくまで紳士的な対応をした。そうあくまで紳士的な対応だったはずだ!

そんなことをだらだらと冷や汗をかきながら必死に思考をまとめていると僕が背にしている扉の反対側が中からギィ、と開けられる。その隙間からひょこりと顔を出したのは先ほどまで素肌を晒け出していた名前だった。

「あらゼノ、探す手間が省けたわ。おはよう。」
「お、おはよう名前」

隙間から伺える彼女の顔色は先ほど僕に下着姿を見られたというのにいつもと変わらない。露出されていた肌は既に衣服で守られていて秘匿されている。
…が。

「名前…その…」
「なあに?」
「ボタンをかけ違えている上に、す、透けているんだが…」
「あら、あはは!ごめんなさいね」

普段彼女が身に付けているシャツから黒い下着が薄く透けてしまっている。それを指摘するとケラケラと笑いはじめてしまった名前。
なんでまったく気にしていないんだ?!理解ができない!と再び頭を抱えそうになってしまう。初めて会ったときからそうだ、彼女は少しばかり僕を下に見ている節がある。科学者としてではなく、男として、だ。

「中入らないの?」
「君が着替え終わったらね!」

ピシャリと言い切ると「それは失礼。」と言って研究室に消えてしまった。彼女の姿が消えて扉が閉まった頃、僕は後頭部をがり、と掻く。深いため息を吐くと、自分が思ったよりも疲弊していることに気づいた。朝からなにをやっているんだ、僕は…。
再びドアがあいて「どうぞー?」といたずらに微笑む彼女に招かれてようやく僕は研究室に足を踏み入れることができた。いや、招かれたもなにもないだろう!僕の研究室だ!

「そうだゼノ、ずっと下着がなかったものだから作ってみたの。そしたらレースが綺麗に編めてね。」
「…だから研究室で試着を?」
「そうなの。」
「自室でやってくれ!」

それよりもレースを見て!とボタンに手をかけようとする彼女を必死に制止する。なんで自分がつけている下着を見せようとしてくるんだ?!せめて脱いでからー…いや彼女が身に付けていた下着を、装飾を見ることが目的だったとしても手に取ることはおろか、直視できるだろうか?ああ、八方塞がりじゃあないか!

「…とにかく、また違うものを見せてくれ…」
「あら残念」

人の気も知らないで!やっぱり名前は僕のことを男だと思っていない、もしくは下に見ているのだろう。思わず盛大に漏れたため息を彼女がまたケラケラと笑う。やはりからかわれていた事実に胸の奥がずしりと重くなった。

「君ね、男に裸を見られたんだよ。もう少し僕に憤ったり恥じらったりしたらどうなんだ。」
「そんなに動揺しなくていいじゃない。あなた、私の裸を見たの初めてじゃないでしょ」
「あ、あれは…不可抗力だろう!」

彼女が口にしたのは、石化がとけた日のことだ。パラリと石が剥がれる音の方角を見ると、そこには一糸纏わぬ白い肌の女がぼんやりと座り込んでいた。その女の横顔がとても美しく、晒け出された肌よりなによりその横顔に見惚れた。深く息を吐いた彼女がこちらに気づいてまんまるに目を見開いたあの日のことを、今でも鮮明に覚えている。
僕を見て冷静に「見事に文明は滅んでいるわね。」と口にした全裸の女にいいから早く草でも纏ってくれ!と返事をしたのが名前との初会話だった。

「あの時は反応が童貞そのものでどうしようかと思ったわ。」
「どっ………」

なんてことを言うんだ!女性がそんなことを口にするんじゃない!と叱責しようにも動揺してしまいパクパクと口を動かすことしかできない。そんな僕を笑いながら研究資料を手に取ってぴらりと僕に見せつける。

「目的はこれでしょう?」
「よくわかったね」
「私はあなたをよーく見ているからね」

資料を唇に当てて不敵に笑った彼女の表情はあの日同様、相変わらず美しくて腹が立つ。僕はこうやって名前に振り回されてばかりだ。

「なら僕が早朝に資料を取りにくることも読めたんじゃないか?」
「まさかこんなに早いと思わなかったのよ。私だってあんな姿…」

そう弱々しく呟いて俯いてしまった名前。その反応に少し、いやかなりびっくりしてしまい動揺してしまう。今まで平気そうにしていたじゃないか!と慌てふためいていたら彼女が伏し目がちに呟いた。

「あなたが気にすると思って気丈に振る舞うことはいけないこと?」
「そ、それはっ…!」

なんてことだ、彼女は彼女なりに僕に気を使っていたらしい。確かに女性が肌を、知り合いでしかない男に見られて平気なわけがない。一度目はともかく、今回も平気そうに振舞っていたものだから勘違いをしてしまっていた。僕に体を見られたところで、なんとも思っておらず、なんなら僕をからかう余裕すらあるものだと。

「すまない、事故とは言え君にきちんと謝罪をしていなかった。それでいて僕はあくまで紳士的な対応をしたとばかり…。男に肌を見られた君の気持ちまで考慮できていなかった。」

出会ってから同業者としてかなり近い距離を共に過ごした女性だ。僕の話をすべてにこやかに最後まで聞き、自分の意見を挟みつつ文明を発展させることに尽力してくれていた。僕はこれからも彼女…名前と共に同じ時間を過ごしたいと考えている。こんなことで名前の心に傷を作りたくはない。

「ふっ…ふふっ…あはは!本当にあなた真面目ね!びっくりはしたけれど、あなたが考えているほどショックは受けてないわ。」
「き、君って人は…!」

いや、ここで彼女を糾弾するのはよそう。見てしまったのは事実だし、あの光景を、素肌を忘れることができそうもない僕にはちょうどいい扱いだろう。

「まぁ…他の人だったら嫌だったけれど…」

ゼノになら、と小さく動いた唇。また僕をからかって、と名前の顔を見ればそこにはいつもの強気な笑顔はない。少し頬が紅潮させながら資料で口元を隠しつつ、眉は困ったように形を変えていていつもよりもまばたきも多く感じる。そんな普段見せない名前の姿に思わずごくりと唾を飲み込んだ。
彼女の口から出た言葉は明らかな好意だ。その言葉と反応にばくんと胸が高鳴って仕方ない。しかしこれ以上彼女との距離の詰め方がわからない。近寄っても許されるのか、髪を撫でても許されるのか。

「名前、」

そう名前を呼んで彼女の頬に触れようと手を伸ばす。そうすると彼女は逃げもせずにその手を受け入れようと僕の手を待っている。
ああ、なんていじらしいんだろう。普段の彼女からはとても想像できないような表情をしている彼女の瞳はいつもに増して美しく見える。その瞳をもっと近くで。そう願い足を半歩動かした瞬間だった。

なぜか床に散らばっていた紙に気づかずそれを踏み、滑って体のバランスを崩してしまう。幼馴染のような反射神経も、体を支える体幹もない僕は重力に抗えないまま名前を巻き込んで盛大に床に雪崩こんでしまった。

「いっ…」

押し倒す形で彼女を転ばせてしまい、名前から痛みに耐える苦痛の声が漏れたのが聞こえた。しまった、一人ですっ転んでいればいいものを彼女を巻き込んでしまった!

「すまない、大丈夫かい?!怪我は?」

彼女にそう声をかけると、思いのほか気楽な「大丈夫、怪我もしてないわ。」という声が返ってきた。その声と彼女の困惑はしているものの、痛みに耐えているわけではなさそうな表情に安堵する。ああ、怪我をさせずに済んでよかった。怪我をさせてしまっていたら僕は自分を許すことができなかっただろう。

「あ、あの、ゼノ…」

困惑しきった声と表情がいつもより近くにある。長いまつげは数回揺れて可愛い唇は何か言いたげだ。

「あの…胸…」

その可愛い唇がそう動いて、胸?と首をかしげる前に、むにり、と柔らかい感触を左手で捉える。頭で理解する前にばくん!と心臓が跳ねて血液がかああ、と顔に集まるのを感じる。
そして僕の左手が名前の胸に触れ、なんなら揉みしだいてしまっている事実にようやく気付いた。

「すすす、すまない!!」

パッと左手を避けて上半身を彼女から遠ざける。気づいてしまったが、僕の片膝も彼女の柔らかい太ももの間に挟まれていて彼女が身をよじるたびに柔らかいものが膝に当たる。少しでも動かせば、彼女に触れてしまう。そんな距離に動揺して思考が追い付かない。
彼女も「早くどいてよ」とかそんな言葉をくれればいいのに慌てている僕をただ下から眺めるだけ。男に組み敷かれているのになんて冷静なのか、この状況がわかっていないのか。

「…なにか言ったらどうなんだい」

しびれを切らしてそう彼女に問うと彼女が呆れたようにふう、と息を吐いた。

「キスをする度胸もないのね。」

この状況でそんな言葉が出てくるとは。彼女の彼女らしさに完敗だ、胸に触れられても悲鳴ひとつ上げずに僕の膝を両足で挟んだまま彼女はそう言ったのだ。試されていると感じる前に彼女へ言葉をぶつけてしまう。

「君はどうしてそうやって僕を煽るんだ!僕だって男なんだよ?」

君はなにもわかってない、と彼女の首の横に両手をつく。僕は彼女を押し倒し、逃げられないように顔をずいっと近づけている手段をとっている。少しは僕を意識させることができればいい。そう短絡的にこの行動をとったが彼女の表情は変わらない。困惑にもましてや恐怖にも染まらないその瞳はまっすぐに僕の瞳を見るのだ。

「知ってる。わかってるわよ。」

そう言って僕の右手を取ってあろうことか彼女の胸元にそれを持っていく。再びむに、と柔らかいそれが手に触れていよいよ思考が奪われる。

「ゼノになら、」

その言葉を言い切る前に唇を奪ってやろうと彼女に改めて覆いかぶさった瞬間だった。

「おいゼノ、アンタ朝飯ー…」

ギィ、と扉が開いて聞き慣れた声が部屋に飛び込んでくる。聞き間違えるはずもない、それは確かに幼馴染のスタンの声だ。
バッと声がしたほうを見ると珍しく目を見開いて動揺しているスタンの姿が視界に入る。

「あー…悪かった。ごゆっくり。」

そう言って部屋から俊敏に出ていき早急に扉を閉めたスタン。その流れに名前が僕の下で大声で笑いだしてしまって、僕だけ地獄に叩き落されたような気分になる。

「キャースタン助けて!童貞に襲われる!」

信じられないことに彼女からとんでもない裏切りを食らい、喉からヒュッと声にならない声が上がる。う、嘘だろう君さっきまで僕のことを煽ってきていたじゃないか!!

「アンタさえ良かったらそいつの拗らせた童貞もらってやってくれよ」

スタン?!扉越しになんてことを言っているんだ!!僕に味方はいないのか!いやスタンはある意味味方か。…味方なのか?
ケラケラケラと愉快そうに笑っている名前に「扉に取り込み中って看板かけてやろうか?」といらない気遣いをしてくる幼馴染。ああ、最悪だ!今日ほど自分の運を呪ったことがない。
ハア、と自分でも想定外の大きなため息をついて組み敷いていた名前を解放する。さすがにこの状況で続きを所望できるほど強欲ではない。

「ふふっ、本当に運がない人。」

そう言ってするりと僕から逃げ出して服を整える彼女の笑顔にぐうの音も出ない。床に散らばってしまった資料を手際よく拾い集めて僕の胸が押しつけ、それを受け取るとそのまま彼女の右手の人差し指が僕の唇にトンッと触れた。

「今度はあなたから誘ってね。」

最後にとんでもない爆弾を僕に投げつけて研究室から出た彼女にくらくら脳を揺さぶられてしまった。

「スタン、ゼノったら酷いのよ。無理やり床に私を押し倒してね…」
「悪いね、あいつそういうのはからっきしなんだよ。」

すぐにその甘い錯覚が現実に引き戻された。彼女をこのまま野放しにしてしまったら僕の沽券に関わる!

「童貞と床で、なんて失敗しそうよね。」
「あっはっは!今度はベッドで誘うようよーく言っといてやんよ。」

そんな最悪すぎる会話をしながら廊下を歩き始めていた二人を当初の目的であった資料を抱えながら全力で追いかけたのだった。なんて会話をしているんだ!君たち、特に名前に恥はないのか?!

この後食堂でも今日の出来事をいじりにいじられいたたまれなくなってしまった。消えてなくなりたいとまで思ったのは今日が初めてだ。

「パパ、ゼノがね…」
「おい青二才、俺の娘になにやってくれてんだ二度と近寄んな」
「君たちそんなに仲良くなかっただろう?!」

ついにはブロディに泣きつきはじめてしまい、他のメンバーからの視線も痛い。煽ったのは君だろう!と言ってしまいたかったが余計に反感を買いそうだ。
こうして僕の地位は暴落の一途を辿ったのであった。

公開日:2020年10月4日