いたちごっこなちぐはぐ恋慕 傍観者の憂鬱

自室でベッドに腰かけて煙草に火をつけるとようやく自分のプライベートな時間が訪れたことを実感する。四六時中煙草をくわえて自由気ままに生活をしている自分だがさすがに共同生活で一人になれるのは夜、自室のみ。まさに俺にとっての至福の時間だった。
…ただ一点、今からこの部屋を訪れるであろう女を待っていること以外は。勘違いしないでほしいが、その女は決して俺の恋人だとか肉体関係だとか、そういう繋がりではない。彼女…名前は科学馬鹿の幼馴染に恋をしてしまった憐れな女だ。そしてそのぐだぐだな恋愛に首を突っ込んでしまったことから俺の悲劇は始まった。

そもそもの話をしよう。この共同生活が始まる前のことだ、幼馴染から「恋人ができた」と連絡が入った。あのゼノに恋人、とかなり衝撃を受けた俺は「会わせてくれよ」と何度も連絡を取ってようやく人類が石化した日にお目にかかることができたのが名前だった。助手に手を出すなんてやんじゃんともヘェ、ゼノにしては可愛い子捕まえたねとも思ったし実際に胸中は喜びでいっぱいだった。早くめでたいねと笑って酒でも浴びながら馴れ初めでも聞いてやろうと目論んでいたところ数千年の邪魔が入ったわけだ。

数千年の執念ののち無事に名前が目覚めたあと、すぐにニヤニヤ不躾にこう聞いたのだ。「アンタ、ゼノのこと好きなんだって?」と。そう聞いてやれば惚気のひとつでも引き出せる。恋人の幼馴染なんだ、ちょっとはそういう話を聞いてもいいだろ?
そう思っていたのに名前から出てきたのは「どうして知ってるの、私がゼノに片思いしてること」というとんでもない言葉だった。数日は混乱した。
ゼノは確実に名前を「僕の恋人、愛しのハニー」と言っていた。それなのに目の前の女はゼノを「私の片思いなの」としどろもどろ俺に伝えたのだ。石化したときよりも混乱した。むしろこの状態で石化させられなくて良かったとさえ思ったね。
混乱したまま数日、名前からは相談をゼノからは惚気を聞き続けてひとつの結論に至った俺を誰か褒めてほしい。そう、あのゼノなのだ。恋愛なんて俺が知るかぎり一度もしたことがない、なんなら女と会話しているところすら見たことがないゼノにいきなり恋人なんておかしな話だ。こいつら付き合ってんじゃないのか?という疑問はそもそもの間違いで、ゼノは恋人になるための一歩すら踏み出していないのだ。よく考えてくれ、あのゼノだぞ。溺愛している愛しのハニーに愛の言葉をひとつもくれていないなんて大いにありえる。というか、ありえてしまった。

そこから今日まで、憐れすぎる女の肩を持ちつつゼノの惚気を交わしているわけだ。なにが恐ろしいってこの二人、なんとなく会話が成り立っていることだ。名前はゼノのなけなしの口説き文句を「助手だからそう言ってもらえるの」なんて躱しやがるし、ゼノはそんな様子を「僕の恋人はなんて可愛いんだろう!照れ屋さんだ!恥ずかしがり屋さんだ!」と勘違いしている。正直馬鹿同士でお似合いだ。ものすごくお似合いだ。
そしてゼノが今日言った名前を愛していることなんて周知の事実という言葉が今になって面白い。何が笑うポイントかって、現実に周知の事実だからだ。そう、名前以外に。名前本人にはなにひとつ伝わっていないのだ。ほら面白い。

「かと言って俺が口挟むのもねぇ…」

そう呟いた言葉はどこにも届かず煙に巻かれて消えていく。名前には「ゼノはアンタのこと好きだし付き合ってると思ってんぜ。よく今までベッドに誘われなかったもんだ」って突き付けてやりたい。ゼノにはもちろん一発お見舞いした後に「名前、アンタと付き合ってると思ってねえの知ってた?」と現実を叩きつけてやりたい。名前の反応はわからないが、ゼノはきっとあの目を大きく見開いてぱくぱく口を上下させて絶句すんだろうな。
けどこれは本人たちの問題だかんなぁと大きなため息と煙を吐いた。板挟みの俺の苦労は誰にもわかんねぇだろうなと片手をベッドにつき体重をかけるとベッドがギィ、と軋んだ。すると目論み通りにコンコンッと軽い音がドアから聞こえる。幼馴染の女神登場である。

「いいぜ、入ってきな」
「スタン聞いて」
「どうせ来ると思ってたかんね。さて今日はなにがあったん?」

この世界で一番不幸な女だ、丁重にもてなさなくては。適当に座んな、と言った俺に頷きながら部屋にあるのに一度も俺が腰かけたことがない椅子に座る名前。もはや名前専用と化した椅子だ、そろそろ名前の名前でも掘るかと冗談を言っても許されるだろう。

「ゼノが私のことね、助手として認めてくれてるみたいで嬉しかったの」
「…おいおい、助手じゃダメだろ」
「そうなんだけどね。なんだか当分これでもいいかなーって思っちゃって…。私これからどうすればいいと思う?!」

ヤバイ、ゼノ曰く名前に囁いた愛が違うベクトルに突っ走り始めている。こりゃ軌道修正が大変そうだ。

「ホントにそれ助手にかける言葉だった?もしかしたらゼノなりのI LOVE YOUかもよ」
「ないない、私の手腕についてばかりだったもの!でもね、それがすっごく嬉しくて…」

そうつらつら頬を染めながらゼノへの感情を吐き出し始めた名前。こりゃダメだ、こうなったらこいつは、こいつらは人の話を聞かない。
本当にお似合いだよ、アンタたち。そんな言葉を突き付けてやりそうになるのをぐっとこらえて「ヘェ」「フーン」「ソウナンダ」と相槌をする俺の身にもなってくれ。

「スタン?ごめんね、いつも話聞いてもらっちゃって…」
「んにゃ?いいよ、好きなだけ話しな」

早くくっついてくれという本音を飲み込んで、こうしてまた今日も俺の長くて憂鬱な夜が幕を開けるのだった。

公開日:2021年1月11日