いたちごっこなちぐはぐ恋慕 後編

「上機嫌じゃんゼノ先生。なんかいいことあった?」

何度研究室では禁煙だと伝えても聞いてはくれず、今も煙草を口に咥えている幼馴染がそう口を開いた。僕自身態度には出していないと思っていたが存外、表情や言動にこの胸の浮かれようが飛び出ていたらしい。
幼馴染だから気づいたのか、それとも今の僕は誰が見たって浮かれているように見えるのか。小さな問題に見えて大問題だ。ただ、今はこの幼馴染…スタンリー・スナイダーに聞いてほしい話がたくさんある。それについては後々に第三者に忌憚のない意見をもらうとしよう。

「わかるかい?」
「ああ、わかんよ。名前となんかあったんだろ」
「さすがスタン。正解だ」

両腕を広げてスタンを称えるとフゥーっと興味なさそうに煙を宙に吐いた。まったく、もうちょっと興味ありげに話を聞いてくれてもいいんじゃあないか?そんな不満を眉間に寄せると「わーった、聞くよ聞きゃいいんだろ」とスタンが煙草をポケットから取り出した携帯灰皿に押し付けた。

「で?今日は何?」
「それがね、今日も名前はとてもかわいらしくてまいってしまってね」
「それ毎日聞いてんな。本題は?」
「おお、そうだ聞いてくれスタン!先ほどね、名前に日頃から感謝していることを伝えたんだよ。そうしたら”感謝が薄っぺらい、やり直し”なんて言うんだ!なんて可愛いおねだりだろう!こんなに可愛い要求を見たことも聞いたこともないよ!だから僕はそれに応えるために自分が持っている言葉すべてを使って彼女に洗いざらい白状することにしたんだ。僕がいかに名前を愛しているかを」

黙って僕の話を聞いていたスタンが「おっ!」と声を上げる。今まで興味なさそうに椅子にふんぞり返って「フーン」「ヘーェ」と曖昧な相槌を打っていた男が体制を整えた。なんだ、ちゃんと聞いているんじゃあないか。それにしてもスタンの食い付くポイントはよくわからないな。僕が常日頃から名前に対して愛を語っていることは知っているだろうに。

「なに?愛してるとか言ってやった?」
「そんな言葉を使わなくても伝わっているよ。現に名前は僕の言葉を遮って顔を真っ赤にしながらギブアップしたんだ。僕としては言い足りなかったんだが名前がどうしても可愛らしくってね。そこで僕が勝った形になってしまった」
「…じゃあ戦利品に唇のひとつでも奪ってやったとか?」
「そんなわけないだろう。名前はこの世界でも頑張ってくれているんだ。僕の欲求をぶつけることは彼女の邪魔になる。以前からそう言っているだろう」

なにを可笑しなことを言っているのやら、と首を傾げるとスタンから特大のため息が飛び出した。そしてしつこく禁煙だと伝えているのにまた煙草を取り出し口にくわえたのだ。まったく、火気厳禁のシーンと石化中以外は禁煙できない男なのか?

「じゃあ名前になんて言ったワケ?」

煙草を吸い始めるとまた興味なさそうに、今度は机にもたれかかって片ひじをつく。頬をぐにゃりと手のひらで変形させて気だるそうな様子を隠そうともしない。

「なんてって…作業のことや周囲への気配り、彼女の料理の腕についてさ」
「ハァアアァ………」
「なんだいその大きすぎるため息は」
「…いや、なんでもねーよ」

なんでもないわけがないそれを隠そうともしないスタン。じとり、とスタンの瞳は僕を睨んで…いや、呆れて?いるように見える。スタンのことは普段なんでも理解していると思っているが、この様子だけは未だにどんな感情を抱いているのか教えてはくれない。

「まさか、スタン、君…」
「んだよ」
「名前のことが好きだとか言わないよね?」
「なんっでそうなんだ。久々にぶん殴ってやりたい気分だぜ」

僕の言葉にがたりと立ち上がったスタンはそのまま僕の頬をつねった。いや、つねるというにしてはあまりにも力強く僕の頬肉を引きちぎらんばかりの力が込められている。ぶん殴られる痛みとこの継続的な痛み、どちらのほうがマシなのだろうか。ギブアップと声をあげても一切力を緩めてはくれない。僕の幼馴染は悪魔かなにかなのだろうか?

「だって君たちやけに仲がいいじゃあないか。今日も僕が名前の様子を見に行くまで一緒だったろう」
「あ゛?じゃあアンタは俺が名前に冷たくしてもいいってんだな?」
「名前が傷つく、やめてくれ!」

なんてことを言うんだ!とスタンを叱り上げると頬をつねる指にいっそう力が入った。そして僕の顔を見ながらハッキリ物申す。

「なにもかもゼノ、アンタが悪いんだかんな」

スタンの瞳が鋭く僕を睨みつけてくるもんだから降参だと両手の手のひらを上に向けた。正直どうしてスタンに責められているのかはわからないがこの場合は謝っておくのが話が拗れないで済む。
そんな僕の様子を見て頬を解放したスタンはまたため息を吐いて再びどかりと椅子に座った。やれやれ、ちょっと疑っただけじゃないか。こんな反応をされると思わなかったな。

「で?アンタの愛しのハニーは今どこで何してんの?」
「ああ、名前なら休ませているよ。疲れてるように見えたから」
「ヘーェ、優しいじゃん」

すっかり短くなった煙草を灰皿に押し付けて三本目の煙草の先を焦がす。そして「顔色悪かったか?」と昼間の名前の様子を思い出すように呟いた。確かに僕もまじまじと顔を見ないとわからなかったものだからその言葉は間違いではない。ただ、あの可愛らしい顔が少しでも暗く見えるのが嫌だっただけで彼女を上手く丸めこんだわけだ。

「きっと今はぐっすり眠っているよ」
「…なあ、そんな好きならもうちょい愛してるって言ってやったほうがいいぜ」
「いきなりだな、君は。僕が名前を愛していることなんて周知の事実だろう?それに愛の言葉は常日頃伝えているよ」

それに名前は恥ずかしがり屋だからね、と付け足すとスタンが大きく煙を吐いた。そりゃなによりで、と諦めたようにまた煙草を唇にはさんでそれを吸いはじめてしまった。今日のスタンはやたら僕と名前について口を挟んでくるな。女性とお付き合いをするのは名前が初めてだし、スタンも心配してくれているのはわかるが少々過保護にも思う。

「心配しなくとも名前とは上手くやっている。彼女を悲しませることは絶対にしないから安心してくれ」
「へーへー、わかったわかった」

どうでもいいと言わんばかりにまた煙草に集中しはじめてしまったスタン。なんだ、ちょっと興味を持ったかと思ったらすぐこれだ。なんて気まぐれな男なんだろうか。
と、いってもこんな話はスタンくらいにしかできない。だから今日もスタンにこんな惚気のような報告のような話をしているわけだ。そもそも僕の性格上、根掘り葉掘り聞かれることも好まないのでこれくらいの対応がちょうどいいのかもしれない。実際、ルーナに名前との関係を聞かれたときは二時間ほど離してもらえなくて困ったものだ。

「今後もよろしく頼むよ、スタン」
「なにが悲しくて幼馴染の惚気なんざ聞かなきゃならんのかね」

そう悪態をつくが口元は上がっている。この男はなんだかんだ文句を言いながら、これからも僕の話を聞き続けるのだろう。
さて、聞いて欲しい話は一通り終わらせてしまったし目の前の作業に取りかかるとしよう。夜には名前の様子を見に部屋を訪れたいし、早く終わらせてしまわなくては。

「スタン、そこに置いてある薬品を取ってくれないか」
「今日は惚気だけで終わっちまうのかと思ったぜ」
「まさか。むしろ早く終わらせて名前に会いに行きたいよ」
「…そういうの本人に言ってやってくんねぇ?」

またスタンの小言を浴びながら薬品を受けとる。きっと名前に「早く会いたかった」なんて言ったら顔を赤くして「馬鹿言わないで」と照れてしまうだろう。そんなところも可愛いので今日は素直にそう伝えてみるとしようか。
彼女のいつまでたっても初々しい反応が楽しみだ、なんて思いながら明日のコーン畑視察の際に使用する肥料作りに取りかかる。そうだ、肥料ができたと言ったら名前は「私も手伝いたかった」と頬を膨らませるだろうか?そう愛しい人を想いながらガチャンとガラス瓶の音を上機嫌に鳴らした。

公開日:2021年1月10日