いたちごっこなちぐはぐ恋慕 前編

リクエスト内容:女の子と付き合ってると思ってる全く恋人らしいことをしないゼノと、大好きで憧れてるけど恋愛なんて持ち込んだら邪魔かな…と思ってるゼノの助手の夢主 (と、ゼノからは惚気を、夢主にはどうしたらゼノに振り向いてもらえるか毎晩のように相談を受けている「こいつら付き合ってんじゃないのか?」なスタンリー)の話


「アンタは十分可愛いし自信持てって」

そう毎日私を励ましてくれるのは青い瞳に綺麗なブルーグレーの髪、いつも煙草をくわえた軍人さん。私の想い人の幼馴染だと名乗る彼、スタンリーにこの恋心を明かしてからもう何年が経過しただろうか?
「アンタ、ゼノのこと好きなんだって?」と、人類がすべて石化して数千年が経った世界で初めて知り合ったスタンリーにそう話しかけられた。あの時は本当にびっくりして口から心臓が飛び出るかと思った。確かに石化前から今に至るまでずっとゼノの隣で助手のポジションを死守してきた私だ。勘が鋭い人なら私のこの想いがバレてしまっても仕方ないのかもしれない。
そしてその日にスタンリーにはこの気持ちを洗いざらいすべて白状して今に至る。つまり、私は毎日この顔が綺麗な軍人さんに恋バナをしている。

「こんな世界だからね、恋愛持ち込んじゃ迷惑だろうなぁって考えちゃう」
「そうかね、少なくともゼノは名前のこと気に入ってんぜ」

カチャリとスープを掬おうとしたスプーンが皿に当たって音が鳴る。失礼、と断りを入れると「気にしなくていーよ」とひらひら手を振られた。
今は少し遅いランチ中。ゼノから休憩を促されて食堂に向かうと同じく少し遅い休憩中だったスタンリーがいた。他に人がいない中、適当にお昼ご飯を準備してスタンリーの向かいに座ると彼が「またゼノに振り回されてんじゃん」と口を開いた。そこから私の秘密の悩みを聞いて貰っていたわけだ。

「…結局また私は告白もアプローチも先延ばしにしちゃうんだよね」
「それ昨日も聞いたね。俺のこと信じてアプローチなりなんなりしてみろって」
「だって…」

スプーンを置いてはぁ、とため息をつく。早く食べてゼノの元へ戻りたい気持ちと今日も燻らせているゼノへの想いを聞いてほしい気持ちが競り合って私をこの場に留める。まぁ、私がはやく戻ったところで「もっとゆっくりしてくれば良かったのに」と言われてしまうんだけれど。

「こんな逃げ場がない世界でなにができると言うのでしょうか…」
「逃げるばっかじゃあの恋愛初心者には伝わんねぇぜ」
「う…あなたの言うとおり。結局彼の助手でいられなくなるのが怖いだけなの」

NASAに勤めていた頃からずっと守り続けた恋だ。保守的になるのも仕方ないと思うし、このままも悪くないと考えてしまうのも一種の防衛本能だろう。そもそも!論文発表会でゼノを見かけてから一目惚れ、協力企業の社員だった私は必死に実績を上げてNASAに転がりこんでゼノの隣まで上り詰めたのだ。このポジションに落ち着くまでどれだけの労力を割いたかわからない。
そして石化のあの日だって「ゼノは絶対に意識を飛ばさないし、もし次目覚めたときにゼノの隣に知らない女がいたら耐えられない」という意地のみで意識を保ち続けたのだ。この私の矜持を私が壊すわけにはいかない。

「ま、名前のペースでいいと思うぜ。正直この場合ゼノが悪いかんね」
「どういうこと?」
「ナイショ」

そう言って煙草をくわえたスタンリー。食後の一服を満足そうに味わい始めてしまった彼に先ほどの言葉について追撃することはできない。…ゼノが私の恋心弄んでるとか?いやいやないない。そんな非合理的なことをあのゼノがするわけがない。
私の疑問には答えてくれそうもないスタンリーにもうひとつため息をつきながら食事を再開する。するとタバコをくわえたままのスタンリーが私の背後を見て「あ、」と声を上げた。

「おいゼノ、休憩か?」

えっゼノ?と振り向くと食堂に入ってきたばかりのゼノがコーヒーを淹れながらこちらに手を軽く振っていた。くう、スタンリーがいるといつもああやって優しく微笑んでくれるんだよね。笑顔が柔らかくって素敵…と見とれているとガタンとスタンリーがタバコを灰皿に押し付けながら席を立つ。そして私に「がんばれよ」と口パクをして食堂から静かに出ていってしまった。

「おや?スタンは?」
「さっき出ていっちゃった」
「少し聞きたいことがあったんだが…まぁいい、あとで呼び出そう」

そう言って私の隣に座ってくれるゼノ。ことりとコーヒーをテーブルに置いた彼からはコーヒーの香りではなく、先ほどまで取り扱っていた薬品の香りがする。困ったことにそれにすらドキリと胸が鳴った。石化前は宇宙開発関連の研究ばかりで化学はお互い専門外だったものだからなんだか不思議な感覚だ。

「午後からまた作業だが疲れてないかい?」
「平気。あなたに振り回されるのは慣れてるからね」
「おお、言葉が痛いよ」

私の馬鹿、ゼノになら振り回されてもいいって思ってるくせにこんな棘のある言い方しなくてもいいじゃない。いつもそう、私は好意の欠片も彼に見せることができない。

「君は無茶をするからね」
「ゼノに言われたくないなぁ」

一度スタンリーに聞いたことがある、ゼノの好きなタイプ。「可愛くて素直な子」と言われたときの私の頭を殴られたような衝撃は一生忘れることができないだろう。どうしても私が私自身をそうとは思えないもので、どうしたものかと未だに悩みのひとつとして私の頭を痛めている。可愛げは年齢と共にどこかへいなくなってしまうし、素直になれたならこんなに苦労はしていないのだ。

「名前にはいつも感謝しているよ」

ゼノを目の前にしてぐだぐだと自分の嫌いな部分を羅列しているとそっと手袋をはめた手が伸びてきた。そして無機質に頬を撫でて優しく微笑む。その表情にどくんっと大きく心臓が跳ねてピリッと耳に熱が走った。
い、いきなりそういうスキンシップは心臓に悪すぎる!と抗議をしてしまいたいが、そんなの好意が筒抜けだ。いつも感謝しているなら、もう少し私のことも見てほしい。そんな言葉すら出せないのだ。なんと哀れな女なのだろうか。

「感謝が薄っぺらい、やりなおし」
「おお、困ったな」

そう言ってクスリと笑うゼノにまた胸が鳴った。まだ頬に触れている彼の指先がするりと肌を撫でてそのまま私の目の下に触れる。それと同時に彼の小さいけれどよく動く口がぺらり、と開いた。

「じゃあ僕が日々君に感謝していることを語るとしようか!まず朝は必ず僕より早く起床してその日のスケジュールに合わせた準備をしてくれる。そのおかげですぐに作業に取りかかれて大変助かっているよ。手先も器用で仕事も丁寧、おまけに無茶を言っても笑ってこなしてくれる。僕たちがここまでやってこれたのは君がいたからと言っても過言ではない。僕を含めて男はガサツで気も回らないからね。以前の仕事でだってそうだ、いつだって君の資料はよくまとめられていて何度も助けられた。君だって科学者だ、自分の研究もあったろうに僕の手助けをしてくれて」
「ちょ、ちょっと待って」
「いいや、待たないよ!共同生活を始めてからわかったが君は協調性も高くてみんな君を慕っている。それに料理も上手くて今日も君の料理を食べるのを楽しみに」
「ゼノ!わかった、わかったから!」

私が悪かった、ギブアップ!と声を上げると満足そうにゼノが大きな瞳を緩めた。からかったつもりが逆にからかわれてしまった。どこまで本音かはわからないがつらつらと私への感謝を口にするものだから参ってしまう。そこにいたのはゼノの負担を少しでも減らしたいと躍起になっている私だった。別に褒められるために尽くしていたわけじゃないけれど、ゼノが私のことを助手として認めてくれている。その事実が嬉しくって、少し歯痒かった。

「おお、僕はもっと君に伝えることがあるんだが…」
「勘弁して」
「わかった。じゃあ最後にひとつだけ」

まだあるの?!と心臓の軋みを叫びに変えるがゼノの口が閉じることはない。先ほどから降り続いたゼノからの称賛は甘い動悸となって全身を叩いていた。少しだけ息が苦しいから解放してほしい。うう、人の気も知らないで。

「目の下に隈ができているよ。肌も荒れているし…疲れているだろう」
「…気にしないで、化粧で隠してただけで普段からこんな顔してたの」
「駄目だよ、今日の作業は僕に任せて今日は休むといい」

よりにもよって最後にあまり見られたくなかった部分を指摘されてしまった。こんな世界じゃなかったら全部隠してせめて綺麗な私でいられたのに。なんて一長一短な世界なんだ。

「あ、あんまり見ないで」
「どうして?」
「恥ずかしいから」

誰が好きな男に疲れた顔を見せたがるというのか。ふいっとゼノから顔を背けるとつん、と頬を爪でつつかれてしまった。それを認識する頃にはばくばくばくっと心拍が上がっていよいよ顔に熱が走る。私の気持ちを弄んでいるほうがまだマシだ、無自覚なスキンシップが一番たちが悪い。

「ふむ…とりあえず今日はゆっくり休んでほしい。これは指示ではなく僕からのお願いだよ」
「うっ」
「君の可愛い顔が疲れているのは嫌なんでね。わかったなら自室に戻るといい。明日は一緒にコーン畑の様子を見に行こう」

最近トラクターができたばかりだからゼノの声は浮かれている。有無を言わせない彼のお願いにどうやら私はこのまま自室に戻るしかないらしい。

「わかった。休ませてもらうね」
「うん、ぜひそうしてくれ」

一度も口をつけていないコーヒーを持って椅子から立ち上がるゼノ。その際に彼の手のひらがふわりと私の頭を撫でた。

「おやすみ、名前」

普段、作業をしているときには見せないゼノの表情。子どもをあやすような優しい声色に優しい手は私を舞い上がらせるには十分だった。
ゼノにとって私はただの助手。それなのに勘違いしてしまいそうで首を左右に振った。ああもう、またスタンリーに相談する内容が増えちゃったな、と深いため息を吐いて頬杖をつく。明日スタンリーを取っ捕まえて話を聞いてもらおう。あなたの幼馴染、天然タラシなんじゃない?と嫌みも添えて。

ただ、少しのあいだはこのままでも幸せかも。ゼノが私を必要としてくれているなら、それで。

公開日:2021年1月6日