彼女の籠絡はわかりやすい 後編

しまった目覚ましをかけ忘れた、と薄く目を開く。窓からは朝日が差し込んでいて朝までぐっすり眠っていたことを知らせている。ん、とヘッドボードに手を伸ばして時計を手探りに探していると突然ぱしりと手首を掴まれ、布団の中へ引きずり込まれた。驚いてもう少しだけ目を開けるとゼノ先生が私の行動をクスクスと笑っていた。
そ、そうだ私、昨日ゼノ先生と…と記憶を掘り起こしていたら「おはよう」と髪を撫でながら笑う。ぱちりと目を合わせて私も挨拶をして先生にすり寄ると彼から感嘆が漏れた。

「ああ、困った。」
「なにか?」
「…仕事に行きたくないと、初めて思ったよ」

ずっとこうしていたいと告げて頬にキスされる。彼の甘すぎる発言と行動に顔を真っ赤にしていると「なんてかわいいんだろう」とぎゅうと私を抱き締めた。

「ぜ、ゼノ、せめて時間だけでも確認しなきゃ」
「午前六時。ずいぶん早起きだ。」
「ならゆっくり朝食でも」
「こうしていたいと言っただろう。」

食事なら職場で済ませるさ、なんて言って彼は私を離してくれない。幸せな拘束に私まで離れがたくなってしまって一日の予定を吹き飛ばしてしまいそうだ。駄目だめ、今日は大事な発表があるのだから。

「…先生は今日十一時から打ち合わせがありますからね」
「君、都合良く呼び方を使い分けるつもりかい?」
「さあ、どうかしらね」

とにかくいずれはベッドから出なきゃいけない事実を伝えたかっただけなのにと彼の胸に顔を埋めながら笑ってしまう。心の中ではまだ先生と呼んでいることを知ったら本当に怒られそうだ、ぽろっと言わないようにしなくては。

「一晩考えたんだが」
「…ちゃんと眠れた?」
「少しね。君の寝顔を見ていたら朝になってしまった。」

本当のことなのか、私を喜ばせる嘘か判別がつかなくて困る。いや、寝ていてほしいから後者でいてほしいけれど…。

「…で?なにを考えていたの?」
「君、もうすぐ引っ越しだろう?」

ええ、と相槌をうつ。今は少しばかり職場が遠いし、不便だ。まぁ時間がなくってまだ部屋は見つけていないけれど、あと一ヶ月は猶予があるし次の休日にでも新居を探しに行く予定だった。

「君のことだ、自分の住む場所なんて感心がなくってまだ新居すら決めていないと思ってね」
「ふふ、面白いくらいその通りだわ。だって帰って寝るだけの場所よ?拘る必要がある?研究は職場で出来るし、そもそも近くなれば部屋なんて物置になるに決まってる。」
「一緒に住まないか」

…うん?今なんて?

「うちに部屋が余っていてね。少し片付ければ君が越してきても不便はしない。むしろ君は部屋を探す手間が省ける、僕は無駄なスペースが埋まり有効活用できる。そしてなにより君と生活ができるんだ。エレガントだと思わないかい?そうすればこんな風に朝を惜しむことも、いつもみたいに夜の別れを惜しむこともなくなるんだ。ああ、心配しないでくれ!引っ越し作業なら手伝うし、家でのルールも君が決めればいい。」
「…ゼノ」
「なんだい?」
「あなたっていつも私に相談なく私の人生を決めてしまうのね…」

よくもまぁペラペラとそんなことを平気で口にするものだ。そ、それに一緒に住むって、いきなりすぎるし心の準備とかいろいろあるものじゃないの?

「何を言ってるんだ、これからは君の人生は僕の人生でもあるんだよ。もちろんその逆でもある。」
「あなたって本当にめんどくさい人…」
「そんな言葉より、返事が欲しいんだが…」

駄目かな?と不安げに問われてしまってはNOなんて口にはできない。ああ、私はやっぱりDr.ゼノに振り回されてばかりなのね。まさか恋人になってからもこうなるとは思わなかったけれど…。

「ふふっ、本当に自分勝手な人。」
「嫌みかい?」
「いえ?ただ、振り回されてあげてもいいって思っただけよ」

一日でも早く引っ越しがしたい、と伝えると目を輝かせた先生に唇を奪われる。指を絡ませてぐいっと腕を引かれると指先にキス。

「早く部屋を片付けよう!ほとんど物も置いていないから掃除するだけですぐにでも君を呼ぶことが」
「ゼノ」
「なんだい?」
「二人で片付けしましょ。二人で住むんだから。」

いよいよ仕事に行きたくないと口にした彼をこれは駄目だとベッドから引きずり出して身支度を促す。ほらほら先生、とからかうと幸せすぎて夢を見ているようだとまだ甘い言葉を口にする。
まだ寝ぼけているのかもよ、といつもより少し砂糖多めのコーヒーを淹れて、ふたりの一日目を始めたのだった。

公開日:2020年9月26日