科学者の籠絡はまわりくどい おまけ

「顔色が悪い。きちんと睡眠時間は確保できているかい?」
「Dr.ゼノ、あなたに言われたくないわ…」

デスクでぐったりと項垂れている科学者が二人。先ほどまでとあるプロジェクトの数日に及ぶ実験に巻き込まれ、ずっと張っていた緊張の糸が切れたばかり。ピクリとも動けなくなってしまっている私とゼノ先生は明らかに満身創痍だ。睡眠時間?おかしなことを言う、三日前に望んだ結果が得られず不眠不休で働いていたのはお互い様だろう。

「ようやく眠れる…」
「すまない、君まで巻き込んでしまった…」
「いえ、とても勉強になりました…」

実際に大学院に籠っていたら得られない経験ばかりだったし、数日前まで…体力があるうちは楽しかった。睡眠時間を確保できなくなってからは文字通り地獄だったが。

「起きたらエビデンスを整理しますね。」
「君の資料は見やすくて好評だ。ぜひお願いするよ」

項垂れていても仕方ない、送るから家に一度帰宅しようと白衣を脱ぐゼノ先生。こんなところで眠っても疲れなど取れないだろうし、賛成だとデスクに広げてあった荷物をまとめる。

「二日くらい動けなさそう…」
「…明日、会議があると言ったら…?」
「あー…ありましたね会議…」

もちろん参加します、と口にしながら明日の朝の会議までに起きれる自信などない。が、もうこうなりゃ意地だ。絶対に参加して全部自分の知識にしてやる!と息巻くと「頼もしいかぎりだ」と力ない呟きが聞こえた。

「ゼノ先生こそ起きてくださいね」

先生がいないと会議進みませんよ、とぼんやり呟いてバッグを肩にかけようとすると「貸しなさい」と私の荷物を持ってくれる。…相変わらず彼のレディーファーストには驚いてしまう、普段私のことなんて自分の手足としか考えていないくせに。こんなときだけずるいじゃないか。
あまり回っていない頭とぼんやりする目でふとゼノ先生のデスクを見ると、書類や資料に混じって伏せられた写真立てがぽつん。えっこの人写真とか飾る人なの?!
自分のデスクに飾る写真なんて恋人か家族、ペットくらいしか思い付かない私にとって心臓がぎゅっと苦しくなる。あのDr.ゼノが…ううん、誰の写真かとても気になるけれど聞いてもいいのだろうか。彼に奥さんはいないはずだから、十中八九恋人だろうけれど。この偏屈な人を手に入れられる女性がどんな人物なのか。
き、気になる…!

「どうかしたのかい?」
「い、いえ…その…」

ちらり、と写真立てに視線をやるとその視線にゼノ先生が気づいてしまう。珍しく慌てた様子で写真立てを手に取り乱暴にデスクの中にしまいこむ様子を見て確信してしまった。へ、へぇ恋人…いたんだ…。知らなかったな…。

「恋人ですか?」
「ち、ちがっ…」
「隠さなくてもいいのに。写真を飾るほど素敵な女性なんでしょ?」

レディーファーストなんていらない、と荷物を取り返すとゼノ先生からぐ、と息を飲む声がした。

「こういうのは恋人にしてあげないと。」

一人で帰れるので、とふらりと一歩踏み出すと「待ってくれ!」と私の手首を掴む。別に恋人がいようがいまいが私とゼノ先生の関係は変わらない。しかし、恋人よりも結果的に傍にいる私を、普通の女性ならば良くは思わないしゼノ先生の立場だって悪くなる。いいじゃないか、これで私も研究に集中できる。
ただ、捕まれた手首がどうしても熱くて泣きそうだった。

「待ってくれ、誤解なんだ」
「早く帰りましょうよ、明日朝早いんですから」

はなして、と冷たく伝えるとゼノ先生が観念したようにデスクから先ほどの写真立てを取り出す。それを伏せたままコトン、とデスクに置きごにょ、と「君に嫌われたくなかったんだが…」と呟いた。

「見られたくないなら見ませんが…」
「君の誤解が解けるなら安いものだ。」

できれば嫌われたくはないが、と付け足しつつ写真立てを立てるよう促す。いざ見ても良いと言われてしまうと私にも覚悟が必要だ。どんな女性だろう、Dr.ゼノが愛する女性だ。科学者か、それとも笑顔が可愛らしい女性か。どちらにせよ私とは違って花のように笑う、素敵な女性だろう。
ごくりと生唾を飲み込んで写真立てに手をかける。さようなら、私の憧憬。
ゆっくり写真立てを上に向け、写真を見る。見たことがある風景とスポットライト。これは忘れもしない、とあるカンファレンスで私の論文が入賞したときの、表彰台の写真。写真の中の私は笑いながら手を振っている。そう、この写真を撮ってくれたのはゼノ先生だった。

「ああ、最悪だ。君には知られたくなかった!」
「…Dr.ゼノ、わ、私の写真を飾っていたのには驚いたけれど…」
「引いてるね!そりゃあそうだすまなかった!」

この写真の君が素敵でつい、と余計な情報を足されてしまい寝不足の頭に大打撃。しまった、これはゼノ先生も私も頭が回っていない!

「…恋人じゃなくて安心しました。」

そう、頭が回っていないからこれも譫言。
しかし言ってしまった言葉は明らかな好意でくらくらしてしまう。一刻も早くこの場から逃げ出してしまいたいが、呆然と私の顔を見る先生の瞳が逃がしてはくれない。

「とりあえず!今日はもう帰りましょう明日朝早いですし!」
「あ、ああ、そうだね。家まで送ろう。」

再び私のバッグを手に取り、肩を抱く。こんなの調子に乗ってしまうな、と思考力が低下した脳が勘違いをしそうになる。はやく帰ってシャワーを浴びよう。眠ってしまえば都合の良い夢だったと割りきれるはずだ。
ただ。

「…君が博士号をとるまで、僕は待つからね。」

確かに届いた言葉に、明日からの関係を探すことは夢か現か幻か。そんなことを考えていたら朝になってしまいそうだ。

公開日:2020年8月15日