バッドエンドを愛せない

リクエスト内容:石化後、スタンリーが夢主を探す話


世界が飛び込んできた瞬間、いちばん初めに叫んだ言葉は恋人の名前だった。
数千年ぶりに発する自分の声はたまらなく狼狽していてまだ石片が解けきらない体を無理に動かそうともがく。ピシリと亀裂の入ったそれが体から剥がれきるまでが途方もない。その間ずっと唇は彼女の名前をなぞっていた。

未曾有の科学兵器。この鉱石に名称をつけるならそれがもっとも相応しい。その兵器が世界に降り注いだ瞬間、俺と名前は同じ場所にいた。
元々キナ臭ぇ召集だとは思っていたし、なんか起きてもおかしくない。そこにNASAの叡智とか呼ばれているらしいゼノと、軍事研究部の名前が揃えば仕事に身が入るのは至極当然のことだ。そもそも石化が起こんなくても普通にテロが起きても可笑しくないメンバー。部下にもそう指示していたし、俺も細心の注意を払っていた。
そんな俺の張り詰めた様子に気づいたのか、久々の再会にただ一言だけ「久しぶり」と笑った名前。そして仕事モードの彼女は無駄話をひとつも溢さずにすぐに会議に向かった。そんな名前の背中が俺の瞳に焼き付いた彼女の最後の姿だった。

それからすぐにあの忌々しい光が注ぐ。そうして、俺が取った行動は目の前にいた要人…ゼノの身柄の保護だった。ワンチャン、ゼノさえ石化から免れてくれさえすれば、と考えた。石になってもできるだけ石像が原型を保っていられるようにと自分が遮蔽物になってゼノを転がす。こいつの頭脳さえあればなんとかなると判断してあの場を凌いだ。
こうして酷く冷静な思考は、いとも簡単に恋人を切り捨てた。

なりふり構わず名前の元へ走ってしまえばよかった。抱き締めてしまえば良かった。名前と俺の距離はたった数百フィート。すぐそこに名前はいたっていうのに世界の終わりに俺は彼女を選ばなかった。

その後悔を数千年引きずった矢先、ようやく動けるようになった体を引き留めたのはゼノだった。落ち着けと俺を諭す声がぼやけて聞こえる。呼吸が浅く、体が跳ねるほどの焦燥感に心臓を揺らす俺にとってそのぼやけた声は一瞬の効果しかない。ゆらりと立ち上がり今にも駆け出しそうな俺に「君がそんなことでどうする!」と、今度はハッキリした声が辺りに響いた。…クソ、アンタがそれを言うのかよ。

「名前が、」
「わかっている。でも水も火も、今日の寝床も確保しなきゃいけないんだ。しっかりしろスタンリー・スナイダー、まだ目覚めていない彼女よりもまず、今起きている人間を優先してくれ」

目覚めているなら君の悲痛な叫びに駆け寄ってくるさ、名前はそういう女性だ。
そう淡々と晴れない思考にゼノが鞭を打つ。そうだ、そうだった。この光景は、ゼノの言葉はあの日俺が優先させたものだった。こいつの頭脳さえあれば。そう考えたのは俺だ。

「…できるだろう、スタン。君なら」
「…できるよ」

胃になにも入っていないはずなのに吐き気がする。息苦しい体を引きずって冷静を装う俺は果たして「隊長」でいられただろうか。こんななんにもない世界で、名前まで失ったとしたら。いろんな感情をぐちゃぐちゃにかき混ぜて野営を張るために、指示をするべく声を張り上げた。

そこから数時間、寝床も決めて見張りのローテーションも組んだ。そこから火を起こして食料確保と川の探索にチームを分ける。想定よりも起きた人数が少ないせいで人手が常に足りない。これからこういうことで頭を悩ませんだろうなとゼノと部下数人で水脈を探す。スタスタとまるで場所を知っているかのように迷わず歩くゼノの後ろを周囲を警戒しながら歩いていると水の音がした。
そこから数分歩いた先にデカい川が姿を表す。これでようやく今日一日は凌げそうだ。

「こんなとこに水場なんかあったか?」
「数千年経ったんだ、地形も変わるよ。現に僕だけ斜面から転がり落ちていた」

そりゃそうか、と視線をフッと川から反らす。すると複数の石の塊が視界に飛び込んできて、ゾクリと走ったのは悪寒。まさか、とばくんばくんと跳ねる心臓に浅い呼吸を連れながらそれに近寄ると確かにそれは「人」だった。腕も足もどこにもない。ただ、目が合った石像は恨めしそうに空を睨んでいるように見えた。

「ゼノ」
「運が悪かったね、きっと川に流されたんだろう」
「悪い」
「…いや、もう十分だ。ただ、日が暮れる頃には戻ってきてくれ」

名前が居た場所は覚えていた。
そこまで走って向かい、聞こえもしないのにひたすら名前の名前を呼ぶ。返事があればどれだけ良いか。願わくは「スタン」と俺を呼びながら、あの日と変わらない笑顔でいてほしい。…さすがに都合が良すぎんな。自分を見捨てた男に微笑むほど優しいタマじゃない。
ただ、無事でいてほしい。糾弾はすべて受ける。もう俺とやっていけないっつーならそれも受け入れる。
だから、どうか無事で。そして出来れば目をあけてほしい。俺は手前勝手なもんで、どうしてもアンタが笑っている世界で生きたい。

情けない本音をボロボロこぼしながら名前を探す。完全に地形は変わっているが、所々にあの日公園に居た人間を見かける。どこも欠けていないまま人の形を保っている奴も見事にバラバラで原型を保っていない奴も同様に転がっている中、ただただ愛しい女を探す。
少しだけ低い身長に細い体躯。長い髪をあの日はまとめていたっけ。俺の前で髪を上げてんのなんか見たことがなかったもんで、素直に可愛いと思った。仕事中だったとは言えそんくらい言ってやれば良かった。
ギリ、と奥歯を噛み締めると血の味が口内に広がる。どうやら口んなかを少し噛み切ってしまったようだがそれすらどうでもいい、と必死に名前を探す。

どれだけ探してもハズレばかりの石像の山を越えていく。そうしているうちに日が落ちていくのを肌が感じ取っていた。空を見上げると憎たらしいほどに橙に染まっている。…時間がない。

「クッソ!」

そう余裕なく吐き捨てればもう一度あちらこちら彼女を探す。もう会議をしていた周辺は探索しきっている。欠片すら見つからないなんて、そんなことあるかよと行動範囲を徐々に広げていった。

そうしてたどり着いた土砂の先に、半分だけ埋まった女の石像。見間違えるはずもない、名前の半身。
考えるより先に体が動いた。吐きそうな胃を抑え込んで名前に駆け寄って土砂を手でかき分ける。掘り進んでいくと少しずつ少しずつよく知っている体が姿を表した。顔も両手両足も、指の先すら欠けていない。溶けていく緊張にどかり座り込めばようやく数千年ぶりに息を吸った。

「軽いからここまで落ちて来ちまったのか」

そう声をかけて名前を完全に掘り起こす。座ったまま石化したんだろう彼女は膝を折っていてその上で祈るように両手の指を絡ませている。そして名前の表情は驚くほど穏やかに微笑んでいた。
そんな彼女にぐしゃりと視界が歪んだ。ああ、名前だ。良かった、どこも欠けていない。
そう名前の頭を撫でるとひとつ違和感に気づいた。長かった髪が纏められていた場所からバッサリ折れてしまっている。体が無事だったものの、細く束ねられた彼女の一部はどこかで無くなってしまったらしい。
こんなことなら、やっぱり可愛いと言えばよかった。きっと嬉しそうにニマニマ口角を上げて喜んだんだろうな。

「ショートの名前も可愛いよ」

そう言ってもう一度髪を撫でる。彼女が見つかった安堵と共に込み上げてくるのは彼女に対する後悔だった。俺があのとき一緒にいてやればここまで流されることも、髪が折れることも、こんな寒い場所で数千年もひとりぼっちで過ごすこともなかった。

「…いまさら信じちゃくれないだろうが」

微笑む名前の頬を撫でる。反応がないのが寂しい反面、俺にはちょうどいいと震える唇を動かした。

「俺は、アンタの騎士でいたかったんよ」

そう懺悔を呟いて彼女の冷たい、土の味がする唇にキスをした。

公開日:2021年3月31日