ストップ・エンドロール

リクエスト内容:「君との幸せが欲しかった」の続編。
スタンリーの罪悪感や自己嫌悪が解消される話


「彼の石像を埋める手伝いをして欲しいの」

彼女の口から飛び出たのは紛うことなき完全犯罪だった。
食堂の片隅、昼時で賑わう場所の一角、ふたり向かい合って食事をしていたテーブルに影が落ちた気がした。数日前より痩けた頬にあまり眠れていないのか少しだけ青い目元の隈に、良いとは言えない顔色。そんな状態で肉体労働を申し出た名前の表情は真剣で、そこはかとなくピリついた空気を纏っている。

「…まずは寝てからだ」
「それができないから困ってる」

お願い、スタン。そう懇願するように呟いてそっと俺の手の甲に手のひらを重ねてぎゅう、と握る。酷く冷たいその手に沸き上がるのは劣情で自分の浅ましさを痛感する。
普段は俺のこと「スタン」なんて呼ばないくせに。なんてズルい女。
頭ではそう理解しているのに震える唇と揺れる瞳に負けてしまって、ただただ無言で彼女の要求を承諾した。

決行は本日、陽が落ち始めた頃。
俺は惚れた女の婚約者を遺棄する。

「君も存外、彼女に甘いらしい」そんなゼノの嫌みを背中で受け止めながら城を建設したときに利用した道具を手に取る。人ひとり埋めるのに大袈裟な装備はいらないが、できるだけ早く…名前の気が変わらないうちに済ませてしまいたい。そう、俺はこの期に及んで名前の婚約者を確実に葬る算段を立てている。
俺は最後までなんて狡猾で薄汚い人間なのか、自分を責めるのはすべて終わったあとでいい。

「可愛い名前のお願いなんだ、なんだってするさ」
「だからって名前の婚約者の埋葬を手伝うとは思わなかったよ。君が彼のなにを弔えるっていうんだい?」

俺の心情を知っていると言わんばかりに痛いところを突いてくるゼノ。それに反射的に咥えていたタバコを軽くがじっと噛み、吸えなくなったそれを床に捨てて火を踏み消した。

「別に俺にとっちゃ埋葬でもなんでもねぇ、弔うつもりもないね」
「おお、じゃあ本当に名前への愛情だけで人を埋めるのか」
「それもちょっと違う。俺は俺が殺したい男を自分の手で埋めるだけだ」

そいつがいちゃ、名前が苦しみ続けるだけなんでね。そう呟いて新しい煙草を口に咥えるとゼノから呆れたような声が上がった。その声を聞こえないフリして煙草に火をつける。気分が沈んでるからか、吸い込んだ煙がやけに重かった。

「ここ、この岬」

名前に案内されたのはいつもより潮が引いている海辺、拠点からは少しだけ遠い場所を指差して「ここに彼がいる」と呟いた。岬と言えば聞こえがいいが、ほぼ崖のような傾斜には複数の石像が埋まっている。こんな危険な、足を滑らせれば海に落ちてしまうような場所でようやく婚約者に会えたなんてハリウッド映画なら涙を誘うシーンだろう。俺からすれば出来すぎた映画だと一蹴させてほしいところだ。

「…よく見つけたね、こんな危ない場所で」
「ここで最後にしようと思ってたの。黙っててごめんなさい」

名前も馬鹿ではないし、危険な場所に行くなら護衛をつけるように普段からゼノに言い聞かされていた。そんな名前が俺らに黙ってこんな場所にまで足を伸ばしていたことを、今まざまざと見せつけられている。婚約者を見つけることを半分諦めていたように見せて相当追い詰められていたことが伺えて心臓がぎゅう、と締め付けられた。

「謝んなくていいよ。むしろアンタがそんなに思い詰めてたことに気づけなかった、ごめんな」
「…スタンリーは優しいね」

アンタにだけだ、そう胸中で呟いて首を横に振った。俺は名前から婚約者を奪うためにここにいる。…名前すら裏切って、名前に協力するフリして、自分のために言葉を吐いて自分の保身を第一に顔も知らない男を埋めるのだ。

「とりあえず穴掘る?どこに埋めんの?」
「うーん、海の近く…できれば崩れない場所」

別に埋めなくてもいいじゃん、いつか科学で復活できるかもしんないんだし。
海の近く?城の近くにすれば毎日墓参りできんぜ?
そんな都合の悪い言葉は全部飲み込んだ。俺個人としてはとっとと婚約者ってやつを忘れてもらったほうが都合が良い。

「じゃあこの辺りか」

適当な場所にスコップを突き刺すと「うん、ここで大丈夫」と笑った。俺が穴を掘っている間に石像の破片を集めに行くと主張する名前。手元にあるのは顔の半分のみで、残りの破片はまだ岬に転がっている。自分の手で集めたいんだろう、名前の瞳は真剣で危険だと止めても無駄そうだ。
「なんかあったら呼んで」と言って穴を掘るのに専念すると名前が俺から離れていく足音がした。早く掘って名前と合流したい。もうすっかり暗くなってしまった空のせいで名前が足を滑らせたら大変だ。

数十分穴を掘り進めたあと、婚約者の体格を聞くのを忘れていたことに気づいた。普通の成人男性なら埋まるくらいの穴は掘ったがブロディのような体格の男を埋めると言われたらまだ深さが足りない。バラバラで原型を留めていないらしいがそれでももう少し深さが必要だろう。

「ただいま」

もうちょい掘っとくかと穴に再びスコップを突き立てると背後から名前の声がする。手を止めて振り返ると星明かりに照らされた名前が少しだけ大きな袋を抱えて首を傾げていた。戻ってきたわりに人ひとり分の石像を抱えていないように見える。…子どもひとり分すら持ち帰っていなさそうだ。

「少なくない?」
「全部集めてたらキリないもの」
「案外ドライだね」
「合理的なの。そもそも一帯から適当に石を集めてきたから他の人の体も混ざってるかも」

俺が言えたことじゃないが、少し雑すぎる気もする。しかし名前の表情は穏やかで口元を少し緩ませながら穴にゆっくり近づいてそれを覗きこんだ。

「深い、結構掘ったね」
「そりゃ…人ひとり埋めんだからこんくらいはいんだろ」
「…全部残ってたら良かったんだけどね」

もう一部は風に飛ばされてると思う、と言って袋を穴の近くに置いた。そして中身を手に取った名前の手のひらからは石片の他にさらさら、と砂がこぼれ落ちる。

「もうこんな状態になってて…」
「…ごめん」
「なんで謝るの?石同士がぶつかって摩擦で石が砕けるのは当たり前のことだし…よく顔半分残っててくれたものよ」

そう言って穴に袋の中身を流し入れ始める。座り込んで少しずつ穴を婚約者の体で埋めていく姿を眺めることしかできない。
考えが浅かった。科学で復活できるかも?こんなバラバラで一部を自然に持っていかれた石像ですらない物が原型を取り戻すことは不可能だ。それを名前はわかっていたから今、婚約者を弔う手段を取っている。

「…手伝いいる?」

そんな名前が哀れになって思わずそう声をかける。俺の胸中はぐるぐると喜びや葛藤、彼女に対する罪悪感や恋心、そしてようやく終わるという安堵が渦巻いていた。
長かった。目が覚めて数年、名前の苦しんでいる姿をたくさん見た。今日ようやく区切りがつくことがなによりも嬉しいなんて彼女が知ったらなんて思うだろうか。

「じゃあお願いしようかな。袋をひっくり返して欲しいの」
「OK」

袋を掴んでざら、と穴に中身を流し込んでいく。それをぼんやりと眺める名前の表情は相変わらず穏やかで、まるで砂時計を眺めているようだった。婚約者を他の男が埋めているなんて微塵も考えていないような表情。都合がいいな、まったく。最後のトドメは俺でいい、そう思っていた俺の思惑通りに事が進んでいる。

「あ」
「どうかした?」
「しまった、埋葬で良かったのかしら?海洋散骨みたいに砕いて自然に還したほうが良かったのかな」
「さぁ、俺はこいつに会ったことねぇかんね。それはアンタが決めなよ」
「私も彼がなにを望むかわからないの。もうすっかり、なにもかも忘れちゃったから」

そう俺を見上げて苦笑いする名前。徐々に記憶が薄れていたのは知っていたが、人格や言葉まで忘れたと言うもので、少しだけ袋の中身に同情した。

「…俺なら」

同情しちまったもんは仕方ない。これでも名前に惚れたもん同士だ、花くらい持たせてやろう。

「俺なら、世界中漂うよりもたまに惚れた女が会いに来る場所で眠ってたいね」

そう呟いた俺に対して大きな瞳がまあるく開いた。すっかり大人びた表情が多くなった名前も目を丸くすれば幼い顔立ちを隠しきれていなかった当時の面影がちらつく。そうして少しだけぐしゃりと顔を歪めて「じゃあ、埋葬で」と弱々しく呟いた。
敵に塩、俺らしくもねえ。忘れることを望んだ名前が俺の言葉をどう受け取ったかは聞きたくない。ただ、目の前の男が哀れに思えてしまった。それだけの理由。

「中身全部入れたぜ。埋めんよ」
「あ、待って」

スコップを手に取った俺にストップを突きつけてごそごそとポケットに手を入れた名前。そしてそこから小さな包みを取り出した。

「それなに?」
「婚約指輪に使ってたダイヤ。石化したときにずっと握ってあったの」
「…ヘェ、それどうすんの?もっかい愛でも誓うワケ?」

名前がそんな代物を大事に握っていたなんて知らなかった。この様子じゃあゼノにも内緒にしていて、ずっと名前ひとりが抱えていたものらしい。
んだよ、完敗じゃん。名前は今、この瞬間まで穴の中にいる男を愛している。婚約指輪の欠片まで持ち出して、なんて美しい愛の物語だよ。

「ううん、一緒に埋めるの」

そんな俺の想像を覆すように名前は軽くそう言って穴にダイヤを放り込んだ。その行動が理解できなくてぽかんと名前を眺めることしかできない。

「あ、ゼノ先生には内緒ね!貴重な鉱石埋めたなんて知られたら叱られるどころじゃ済まないから」
「なん…なんで………」

行動について問うと名前がまた俺を見上げて穏やかに笑った。愛を誓って、一生あなただけと誓約を立てる。そうとばかり思い込んでいた俺にはその笑顔は眩しかった。

「これは彼のダイヤよ、彼が持っておくべきだわ。それに」

穏やかな表情のまま、穴の中に語りかけるように名前は、名前の考えを吐露した。

「あのダイヤがあるかぎり、私は前に進めない」

名前の笑った顔を、数千年ぶりに見たような気がする。もう大丈夫と言って穴を埋めるように促した名前は持っていた小さなスコップで穴を埋めはじめてしまった。

「…アッサリしてんね」
「もう十分悲しんだから」
「…そ。そのクセ埋めなきゃ寝れねぇって?」

そう意地悪く返事して土を穴に放り込む。ザクッ、ザクッ、と音を立てて穴を塞いでいると名前が口を開いた。

「私は私のために、彼を埋めるの。スタンリーを利用してでもね」

淡々と土を放り込むだけの作業をしている名前がそんなことを呟く。その一言に驚いて名前の顔を見ると引け目を感じているのか、顔をそらされてしまった。

「もう彼のために悲しむのは嫌なの、たくさんの人に迷惑をかけたし…もう終わりにしたかった」
「うん、動機は十分だ」
「でもひとりじゃ何日かかるかわからない。だからあなたが私に好意があることを利用して、婚約者を埋めるなんて悪行を手伝わせてる」

最低でしょと名前は土の山にスコップを突き刺しながら笑っていた。こんなときくらい自分勝手に自分のことばっか考えてりゃいいのに、驚くことにこの女は俺の気持ちを弄んでいることに罪悪感を感じているらしい。自虐的に笑っては穴に向かって土を投げる。すっかり石片は土で見えなくなって、もう少しで穴も塞がってしまいそうだった。

「…アンタが最低なら俺はどうなる」

淡々と土を掬っては穴に投げ込む作業を繰り返しながらそう返事をすると、休みなく動いていた手がピタリと止まった。しかしすぐに作業を再開してしまって、俺の懺悔なんざ聞く気がないようだった。
そのまま無言で数分、ようやく埋まった穴を踏みつけて地面を均すと名前から大きなため息が漏れた。そしてそのまま地面にへなへなと座り込んで小さく「終わった」と呟いた。

「疲れた?」
「ここ数日寝不足だったからね。正直、酸素が足りてなくて気分が悪い…」
「アンタほんと…」

馬鹿だね、という言葉を飲み込んで「ほら、帰るよ」と名前の肩に手を置くと体が小さく震えていた。反射的に顔を見ると瞳に涙を溜めて今にも泣き出してしまいそうだ。…そりゃそうか、婚約者を自分の手で埋めることになるなんて中々出くわさないシチュエーションだ。いくら覚悟したって足りないだろう。

「…名前」
「なあに?」
「俺に、アンタを抱き締める権利をくれ」

名前の体が小さくぴくりと動いた。震える声が、「…いいよ」と俺に許可を下す。涙が溢れる寸前にへたりこんだ名前を引き寄せて自身の肩に名前の顔を押し付けるようにぎゅう、と強く抱き締めた。耳元でぐす、と彼女の弱音が漏れれば髪を撫でて「がんばったな」なんて最後までズルい男だ。

「もう大丈夫、ありがとうスタンリー」
「そんなずびずびしながら言われても説得力ねーんだけど」
「泣くのにも体力使うし目も頭も痛いし良いことないからやめる。もう泣かない」
「そりゃなによりで」

ぽんぽんと名前の背中を叩いて慰めてやると、名前が俺の背中に手を回して服を少しだけ掴んだ。そして「ありがとう」ともう一度呟いて離れようと体をよじる。それを逃がさないようにもう一度強く抱き締めると名前から怪訝そうな声が上がった。

「スタンリー?」
「…アンタが弱ってんのにつけこんで、俺はほんとズルい男だ」

婚約者を失って泣いている女の体温が心地良い。そんな俺を、最低だと言って突き放して欲しい。奥歯を噛み締めて名前の反応を待っていると俺の腕の中で「馬鹿な人」と呟く名前の声が聞こえた。

「死んだ男を忘れられない執念深い女のどこがいいんだか」
「諦められるわけねーじゃん」
「口を開けばあなた以外の男の話をする私を、あなたの気持ちに気づいてて黙ってあなたを利用した最低な女を諦められないなんて本当に馬鹿な人」

そう言ってまた声を震わせはじめた名前。ああ、泣かせてしまった。俺だけは名前を泣かせたくはなかったんだけどね。

「…そうかもね」

名前の言葉を受け止めて返事をする。そうに決まってると悪態を腕のなかで受け止めて、さらりとした髪を撫でた。そしてずっと言えなかった本音を名前に突きつけた。

「ただ、名前が苦しんでんのが、俺も苦しかったよ」

放っておけなかった。
年下で、頑張り屋で、まっすぐで俺やゼノの言葉を素直に聞く可愛い人。ただのお姫様かと思いきや数千年、俺の号令ひとつで起きてるような強い意思を持った女。
そんなアンタが好きだよ、諦められるもんか、と俺の独白に近い言葉が届いたかどうかはわからない。しかし瞳を潤ませながら「馬鹿な女に騙されても知らないんだから」と俺を小馬鹿にする声が聞こえて、ぐいーっと俺から少しだけ顔を離した。

「アンタ以外に騙されてやるかよ」
「…あなた、本当に優しいのね」

呆れたような、ため息混じりの声。全部知ってるくせに、まだ俺を善人だと信じている名前は俺の腕の中は居心地が悪そうだ。少しだけ力を緩めるとすぐにするりと逃げられてしまった。

「さ、帰ろ。ゼノ先生にも報告しなきゃ」

立ち上がった名前が服についた土を払ってそう俺にエスコートを催促する。そんな名前を眺めながらポケットから煙草を取り出すと名前から「あ!」と俺を咎める声がした。

「ダメよスタンリー、あなた今日結構吸ってたでしょ!」

そう言ってぴょんぴょんと俺から煙草を奪おうと跳ねるがその手は届かない。頭を片手で押さえつけてジャンプを止めさせると恨めしそうな瞳と目が合った。名前の頭に肘を置いてマッチを擦りタバコに火をつけると名前の抵抗が消えた。
ただ、俺を睨み付けながら名前が煙草の有害性をつらつらつらと言語化している。そんな名前にフゥ、と煙を吹き付けると糾弾の声がより一層強くなった。

「…俺はそんなにいいやつじゃないよ」

煙草を吸いながら俺を「優しい」なんて寝言を言う名前に現実を突きつけた。俺が馬鹿な女に騙される?馬鹿言うなよ、騙されてんのはアンタだ。

「アンタの婚約なんて聞きたくなかったしなんなら、ずっと婚約者なんか見つかんなくていいとすら思ってた。…石像がバラバラで見つかったって聞いて正直喜んじまったしな。だから一番に慰めに行ったしアンタの弱さにつけこもうとした」

ずっとアンタに嘘ついてた。と呟くと名前が目を丸々と開いて、俺の顔を見ている。こんなに不味い煙草は久々で、苦いやら重いやら、不味いこと以外味なんてわかりゃしなかった。

「…あなたって人間だったのね」
「なに?俺のことなんだと思ってんの」
「い、いや感情薄い人だと思ってたから」

そう言い訳をしながら両手をぶんぶん振る名前。違う違うと否定しながらも驚いた顔は隠さない。…ほんとに可愛いやつ。
じと、と名前を睨んでいると「あー、」と気まずそうに息を吐いて、少しだけ唇を閉じたあとに目を細めた名前。そんな彼女を煙草の灰を落とすことも忘れて見入ってしまう。穏やかに口角を上げて微笑むような優しい表情をしたあと、ゆっくり唇が動いた。

「人間だもの、仕方ないんじゃない?私はそれを悪だとは思えない」

ぽろり、と口から煙草が逃げた。名前の言葉があまりにも受け止めて難くて呆然と煙草の火を消すこともできない俺にそのまま追い討ちをかける。

「私もあなたの優しさを利用した。だからおあいこ」

ね?と首を傾げた名前を咄嗟に捕まえた。そしてそのまま引き寄せて、もう一度強く抱き締める。「もう、」と呟く呆れたような、困ったような声は変わらないが声が柔らかくて安心する。
ろくでなしな俺を「おあいこ」なんて笑って許す奴、こいつくらいだろう。名前の不幸を一瞬でも喜んだ男だぞ、許しちゃダメだろ。
能天気な名前に言いたい言葉が頭を過る。「普通は俺のこと恨むんだぜ」とか「いいの?俺アンタが思ってるより最低な男だよ」とか。ただ、最低でズルい男にそんな言葉が咄嗟に出るはずがない。

「…愛してんぜ、名前」

ずっと言いたかった言葉がするりと飛び出せば、腕の中にいる名前が俺の顔を見て高速でぱちぱちぱちと瞼を何度も上下した。こんなに露骨に驚いている名前を見るのは初めてだ、いいモン見たな。

「口説くのはいいけど、さーてDr.名前に恋愛してる余裕なんてあるかしら。ゼノ先生にも心配かけちゃったし明日からがんばらないといけないの」
「おっとそんな悠長なこと言ってられるか?言っとくけど俺はターゲットは必ず仕留めるぜ」

なにそれ、と俺の口説き文句を軽く流した名前は俺が落とした煙草を踏み消した。そして手癖悪く俺の服から煙草とマッチを盗んで、そのままとんとんっと俺の肺を叩いた。

「私を口説きたいならまず禁煙ね」
「煙草吸う俺も愛してくれよ」
「嫌よ。もう大事な人を失いたくないの」

私にあなたを埋めさせるつもり?と意地悪く問う名前に返す言葉がない。…仕方ない、明日から本数を減らすか…と重い気持ちを隠すことなく息を吐くと、煙草の箱を唇に当てた名前。そして

「必ず仕留めるんでしょ?」

なんて煙草を人質に笑った。

公開日:2021年1月25日