ハンデブレイク・テロリズム おまけ

私にとって可愛い弟のひとり。
近所に住んでいた男の子で、家族ぐるみの付き合いをしていた子。端正な顔立ちがとても愛らしくて…でもそれをいじられるのが嫌だってよく泣いていた。
そんな彼を、彼の母親から「よろしくね」と言われてから数年。私は年上として、姉として彼に接していたし彼も私を慕ってくれていると思っていた。そう、ずっと思い込んでいたわけなんだけど。

「オハヨ名前、今日も最高に可愛いね」
「スタンおはよう。今から朝ごはん?」
「今日の飯当番アンタだっけ?なに作ったん?」
「サンドイッチ。お肉ばっかり飽きちゃったし」

私はなぜか、数千年経った文明が滅んだ世界でその弟…スタンリー・スナイダーに口説かれているわけである。石化が解けた日にキスをされてからずっと、かれこれ数週間私の脳の処理は停止中したままだ。
どうしてこうなったから始まり、今はどうやって彼からの猛追を逃れようかと頭を悩ませていた。…そして、共同生活をしている限り私はスタンから逃げられない現実から目を背けている。
今だって食堂で朝食の準備をしていた私を朝から見つけ出して可愛いなんて言ってちゃっかり隣に居座った。…変に意識しちゃって情けない。

「もう飯食った?一緒にど?」
「ゼノを待ってたんだけど…」
「あいつは放置でいーよ」

そう言って肩を引き寄せ、頬に唇が落とされた。そしてそのままクッと彼の指が私の顎を上に向ける。朝から好き勝手されてたまるもんですかとその手を叩いて落とすと「つれないね」なんて少しいじけたような声がした。

「今日の予定は?」
「ゼノと研究室引きこもり」
「ヘェ…じゃあ俺もいていい?」

そう甘えたように彼の頬が私の頭に触れる。ふわりと香るのは煙草の匂いで、それにぶわっと思い出すのはあの日。ようやく息が吸えること、動けること、体を侵略した鉱石の分析ができること。いろんな感情をすべて上書きしてしまったのは、スタンからの口付けだった。
ベッドに連れ込まれて腹部をなぞられる。ずくりと疼いたのは醜い欲か、関係が崩れることへの恐怖か。そしてそのまま重ねられた唇を、私は今も引きずり警戒している。
よりにもよってスタンとなんて、とぐるぐる目を回す私に「弟でいたくない」と突きつけたスタンは、知らない男の人に見えた。

「いいけどあなた今日哨戒の予定じゃなかった?」

そうスタンのスケジュールを確認するとピクリとだけスタンの指先が動く。そして都合が悪かったのかそのままむすりと黙ってしまった。
さすがに自分の予定をすっぽかすわけにはいかないのか反論もせずにぐりぐりと私の頭部に頬ずりをする。予定が終わったら来ればいいのに、なんて素直な人。
彼の体温や体重を全身に受けながらお皿にサンドイッチを盛り付ける。スタンはあんまり食べないからと人より少し多めにサンドイッチを盛る。すると「そんないんない」と抗議が聞こえたけれどそれを無視してトレーにお皿を乗せた。そしてそのまま野菜がたっぷり溶けたコンソメスープも注ぐ。コーヒーに砂糖をつけて一食分を完成させて「ほら、」とスタンに朝食を促した。

「うまそうじゃん」
「ふふ、食事は大事だからね」

名前の料理好きだよ、と言ってもう一度スタンの唇が頬に落ちる。チュッとリップ音が立てばそこに熱が走るのを軽く首を振って逃がした。まったく調子が狂う、と自分の分の朝食を準備していると「アンタももっと食ったほうがいいぜ」と体の側面をなぞられる。

「コラ、セクハラ」

そう言ってスタンを言葉で律するも効果はなさそうだ。ぐいっとスタンの頬を手のひらで押すと「わかったわかった」と降参の声が上がる。ようやく体をまさぐる指が止まって、そのままスタンの顔が肩にずしりと乗っかった。…もちろん、体には彼の腕が回っている。小さい子どもの戯れだと思えば可愛らしいものだけど相手は「同い年だ」と主張するアラサーである。たちが悪い。
彼に聞こえないため息をひとつ。そしてそのまま自分の朝食を完成させる。今日は試作を重ねてようやく完成したハムとハチミツと絡めたマスタードを塗ったサンドイッチ。牛や魚、鶏の出汁に野菜をたっぷり入れて味を整えたスープは空腹をくすぐった。
いつも朝から肉や魚を焼いただけだとか料理とは言えないものばかり提供されがちなこの新世界ではマトモと呼べる食事だろう。うーん、もう少し食事の質を上げたいところだ。

「また考えごと?スープ冷めんよ」
「ん」

今後の食事についてや栄養、摂取カロリーについて色々考えながらスープとにらめっこしているとふわりと体が浮いた。あっ、と声を上げる頃にはもう遅い。スタンは私を抱き上げてキッチンから連れ出して近くの椅子に座らせた。
私の長考に痺れを切らしたのはわかってる。けれど簡単に持ち上げられてしまっては格好がつかない。

…スタンもずいぶん逞しくなってしまったものだ。昔から運動神経は良かったし銃の腕も天才級。そんな彼が軍に入ると聞いたときは心臓がひっくり返るかと思った。
だから、あの日。人類が全員石になった日に再会したスタンに驚いた。初めて見たブルードレス姿もそうだけど、以前に会ったときよりも大きくなったように見える体躯。相変わらず綺麗な顔に思わず息を飲んだのは、私が知らない冷たい瞳が新鮮だったから。
なのに声をかけると顔を緩ませて私との会話を楽しんでいるように見えたものだからてっきりいつまで経っても彼は、スタンは私の弟なのだと思い込んでしまった。無邪気に笑う顔がハイスクール時代のスタンに重なったのをまだ覚えてる。

「…まだなんか考えてんの?」

そうスタンの声が降れば目の前に食事がことんと置かれる。ありがとうと反射的に答えると嬉しそうに綻ぶ口元に柔らかく微笑む瞳が飛び込んだ。
その笑顔がバチンッと胸で弾ければぱちくり、目を見開いてその顔を凝視してしまう。綺麗と表現するには無邪気。無邪気と呼ぶにはなにか含みのある…いや、言及するのはよそう。私まで坩堝と化してしまっては示しがつかない。

「…今後の食事についてちょっとね」
「フーン」

誤魔化すように慌てて視線をそらす。そして食事に手をつけるとスタンも食事をはじめる音が聞こえてきた。
昔から見てきたスタンの笑顔に少しときめいたなんて言えない、言えるわけがない。そんなことを言ったら彼はにんまり唇を上げてしたり顔をするに決まってる。

「名前」
「なあに?」
「考え事してるアンタも好きだけど、今は俺のことだけ考えてよ」

…心配しなくても、あなたのことばかり考えてる。しかも、目が覚めてからずっと。

公開日:2021年3月21日