共謀シガレット おまけ①

体力も時間もない科学者たちは安易に限界を越えるものだ。
そして今もその状況で、かれこれ睡眠を取らないまま二回目の朝をゼノと研究室で迎えた。もちろん、効率が悪くなるから仮眠は取っているけれど十分な睡眠時間とは言えない。けれど、戦闘機の設計に大いに盛り上がりすぎた私たちは重要なことを頭からすっぽり抜かしてしまっていた。
そう、もうすぐ冬がやってくるのだ。数回目の越冬とは言え冬の寒さはかなり厳しい。誰ひとりとして欠けさせないためにはそれなりの準備が必要だった。

「やばい眠い、倉庫に保管する薪の数はこれで足りるかしら」
「目が覚める話をしてあげようか?おお、十分だよ。昨年は数が足りずに苦労したからね。あ、そう言えばさっきグリズリーを狩ったらしくてね。君がブロディに作らせた乾燥機で干し肉を作っておいてくれ。くれぐれもマヤに見つからないように」
「なに、目が覚める話って。グリズリー?皮も利用できるわね。了解、マヤ以外に手伝ってもらうわ」
「スタンの過去の女性遍歴」

眠気覚ましに飲んでいた紅茶を勢いよく吹き出してしまった。
効果はテキメン、もう目が覚めるどころじゃない。ゴホゴホッと紅茶を吐き出してヒーヒー悶える私を、ゼノは一瞥もしない。こんなときにそんなに面白そうな話題を引っ張り出さないで欲しい。

「絶対面白いじゃん。紅茶淹れなおすからちょっと待って」
「僕のコーヒーも頼む」

自分の紅茶とゼノのコーヒーを急いで淹れる。その間私の表情はこれでもかというほどニヤついていた。先ほどから話題に上がっている男、スタンリー・スナイダーは私の恋人である。普通は恋人の過去の関係は知りたくないと思うものだが…彼に至っては別だ。なんせ顔がいい。過去にどんな女性と関わってきたのか、好奇心のほうが勝ってしまった。あと、ゼノが幼馴染の恋人についてどう表現するのかも気になる。
悪趣味だと思うけれど走り出した知的好奇心を抑えることができたら、私は科学者、もしくは研究者なんて呼ばれていなかっただろう。もうこういう星の下に生まれているのだ、許してダーリン。

「さて、一人目の話だがー…」
「やばい楽しみすぎて笑っちゃう」
「それはいいが手は動かしてくれよ」

作業をしながらゼノが語る、幼い頃のスタンリーの話を相槌をしながら聞く。ゼノとスタンリーが出会った頃にはもう彼がモテていたこと、昔から端正な顔立ちだったこと、ハイスクールに入ってからはモテっぷりに拍車がかかったこと。いつも周りに女性がいたこと。その割にあまりお付き合いはせず…うん、クズだな。女性の敵でしかない。

「思ったより面白い、映画にできるわ」
「B級もいいところだ」

そうケラケラ笑いながら茶々を入れる。ゼノは「あ、そういえば」とまたスタンリーの過去について口にした。それもそれですごく拗れてて面白い、よくもまぁここまで女性トラブルに巻き込まれて生きてこれたものだ。あ、昔から身体能力が高かったらしいし上手く逃げてたのか。

「それにしても話を聞くかぎり年上の美人が多そうね」
「そうだよ、だから年下のお世辞にも美人とは言えない君に本気で入れ込んでると聞いてびっくりしたんだ」
「すごく自然にディスるのやめて」

それは私も常に思っていることだから否定はできないけれど、堂々とそう言われてしまったら刺さるものがある。
いや、いい。スタンリーは私がいいと言ってくれてる。昔の女がなんだ、今彼が愛してくれているのは私じゃないか。毎日可愛いって言ってくれるし私は幸せ者。勝手に彼の過去を聞いてショックを受けるのも可笑しな話だ。
そうひとりうんうん、と頷いていたらずしりと頭に重量のあるなにかがのし掛かった。それに「うぐっ」と声を上げると、聞きなれた声を押し殺した音。

「スタンリー、お疲れ様。首が折れる前にどいてね」
「俺抜きで随分楽しそうじゃん?浮気かシュガー」

笑い声をおさえながらそう私に問うスタンリー。ふわり、彼から煙草の匂いがして寝不足の体に眠気を誘う。ずいぶん彼の煙草が心地よくなってしまったものだ、こんなにも落ち着くなんてまったく想定外である。

「おおスタン、今君の昔の恋人について名前に共有してたところさ!」
「は?」

頭に乗っている重量が増した。それにう゛っ…と声にならない悲鳴を上げるもスタンリーはその腕をどけてはくれない。消えそうな声でギブアップ!と懇願しても届かない。

「ゼノ、アンタほんと余計なことしか言わねえな」
「名前が聞きたがったんだよ」
「だ、だって面白そうだったんだもん」
「別にいいだろう、全部過去の話だ」

今にも首を折られそうな私と違ってゼノは楽しそうだ。一方スタンリーは呆れたような声をゼノに投げ掛けている。下にいる私を潰しながら。

「す、すた、スタンリー、ほんとにギブ…」
「反省したか」
「はい…」

自分でも悪趣味だとは思っていたが、ここまで嫌がるとは思わなかった。あっけらかんとして笑いながら過去の女性を揶揄るくらいしそうなものなのに。
腕をゆっくりどけて頂いてようやく頭が解放される。そしてスタンリーは私の隣に座って肩を抱いた。この人は相変わらず、優しいのか厳しいのかわからない。

「で?」
「で?とは」
「なんか感想あんだろ」
「いや…あ!よくもまあそんなに女性をとっかえひっかえして無事でいたわね。警察沙汰になっててもおかしくないのに!」

そう笑いながらスタンリーの顔を覗き込むとうげぇ、と言わんばかりのしかめっ面が視界に飛び込んできた。そしてゼノは私の発言をお腹をかかえて笑っている。えっなにかまずいこと言った?!

「アンタほんと俺のこと愛してんの?」
「え、もちろん。でもそれとなにか関連性があるとは思えないけど」
「名前、名前。スタンはね、君に妬いてほしいみたいだよ」
「え、そうなの?!」

思わず「くっだんな」と一蹴してしまいそうになる口をぐっと閉じた。ゼノの一言に反論しないということはどうやら図星らしい。嫉妬?嫉妬…嫉妬したって過去が変わるわけじゃないし無意味じゃない?いやでもこれ言ったら喧嘩になりそうだな…。

「俺はゼノと名前がふたりで作業してんのも妬くよ」
「沸点低すぎじゃないだだだだだだごめんなさい!愛されてる!私すごく愛されてる!!」

絡められた指をぎゅうと力いっぱい握られて本日三度目のギブアップを叫んだ。いつか本当に骨をへし折られるかも…と震えていると不機嫌なスタンリーが煙草を手にとる。…いつもなら外で吸ってと言うところだが、今日の私に発言権はなさそうだ。

「名前の過去の男の話もできるが聞きたいかい?」
「な、なんで知ってんの」
「案外世間は狭いものさ、とくに優秀な科学者の噂はすぐ耳に入る」

今日のゼノは眠気のせいか少しおしゃべりだ。しかしスタンリーの話も聞いたわけだし、私には拒否権はない。そもそも私は交際人数も少ないし別に気にはしないんだけれど。
けれどこの恋人は違うらしい。愕然とした顔でぽとり、火をつける前の煙草を指から逃がしてソファーに落とした。そして数回ぱくぱくと口を上下したあと、ゼノに質問を投げ掛けた。

「この研究バカに男いたん」
「軍事研究部は女性が貴重でね、名前は人気があったんだよ」
「初耳ねそれ」

まさか数千年後の世界で新しいことを知れるなんて感激だわ、と皮肉をたっぷりゼノに突きつけるけれどゼノはすごく楽しそうだ。確かに口説いてくる男性はそれなりにいたけれど、こちとら軍事研究部のデータを網羅している人間である。ロミオ諜報員…いわば、ハニートラップにしか見えなかった。
それをため息まじりに説明しようとスタンリーの横顔を見ると、ギリ、と奥歯を噛み締めて眉間に皺を深く寄せてかなりの不機嫌が見て取れた。…え、この人もしかして妬いてるの?妬いてる顔怖すぎない?数年前の私なら逃げる、逃げて自室でガクガク震えながらすすり泣く。

「スタンリー?」
「あんなvirginみたいな反応してたのに?」
「あー…」

それは貴方の手が早すぎて戸惑っただけです。
しかしそんなことを本人に言うわけにもいかず、どうフォローしたものか…と一瞬戸惑った私の隙をゼノは逃がさない。

「どう考えても君の手が早かったんだろう。研究ばかりの彼女が君みたいな男と交際したことがあるわけないからね」

言っちゃった。

「そもそもなんだい、忙しい名前を捕まえて迫ったって。virginじゃなくても驚くよ」

トドメ刺しちゃった。
幼馴染容赦ねぇ~!とゼノの発言に戦々恐々としているとスタンリーの頭がぽすり、私の肩に落ちた。ぐりっと頭を肩に押し付けて甘えるような仕草をしたあと、弱々しく「………ヤだった?」とお伺いを立ててくる。
綺麗な顔が沈む、瞳が揺れていて唇は不安そうに結ばれている。…私、この顔に弱いのよね。まったく、出会った頃と同じ人物なのかしら。

「嫌ならあなたと恋人になってない」
「…そりゃそうだ」

目の前のゼノは「喧嘩でも始まれば面白かったのに」と言わんばかりに私たちを眺めている。まったく、うちのDr.は良い性格をしているわ。
ぐりぐり、と私に甘えたままのスタンリーの頭を数回撫でたあとに手元の資料に視線を戻す。まったく、眠気を覚ますだけのつもりが作業の手を止めてしまっては意味がない。いろんな意味で本当に眠気が覚めてしまった。この資料をまとめたら次はブロディに冬の暖房器具について相談に行かなきゃな。今年こそは各部屋に暖房器具が欲しい。去年は自室で作業ができないくらい寒くて予定が狂ってしまったから。
…あれ?私なにか忘れてるような。

「そういえば名前、グリズリーはいいのかい?」
「あっ?!」
「そうだそれで呼びに来たんだわ。どうすん?あの熊」
「あああああ!早く血抜きしないと生臭くて干し肉にできなくなっちゃう!スタンリー、私の部屋から乾燥機一式を持ってきて。私は血抜きしてくるから!」

え、めんどくせと言いながら煙草に手を伸ばしたスタンリーの手をはたく。彼がここに来てから数十分、もう猶予なんてない。「お願い、スタンリー」とおねだりをするとスタンリーの表情が緩んだ。よしよし、チョロいな。
どたばたと準備をして研究室を飛び出そうとする私。それに「あ、少し待ってくれ」とゼノがストップをかけた。い、急いでるのに。

「なに?手短にね」

そうゼノに近寄るとチョイチョイ、と指を動かす。スタンリーに聞かれたくない話ね、はいはい。ゼノの口元に耳を近づけて「なに?」ともう一度私を呼び止めた理由を問う。

「僕はスタンのことをすべて知っている。だからこそ間違いない情報だが、スタンは本気で君を愛しているよ。それはもう僕が見ていてむず痒いほどにね。胸を張るといい」
「…人使いの荒い人」
「おお、そう聞こえてしまったかな?事実なんだがね」

いつもスタンリーに振り回されるけど、今日はゼノにしてやられた。まだまだやらなきゃいけないことがある私にそうやって燃料を与えて働かせるつもりだ。上手く利用されてる、されてるけど…。

「はいはいDr.!仰せのままに」

恋人の面白い話が聞けたからもう少しがんばって働くか。そう二徹の重い体を引きずって冬備えに向かうのだった。
まったく、相変わらず都合の良い女!

公開日:2021年2月16日