#7 共謀シガレット

密造煙草作りももう佳境に入ったのだと思う。
すっかりその役割を果たしていなかった正規ルートの煙草製造ラインを抑え、今まで煙草を作っていた場所は丸々私の城となった。密造煙草製造もゼノに認可され、密造煙草は密造ではなくなった。どうやらゼノは途中から私たちの悪事に気づいていたようで、すんなり新しい煙草生産ルートに合意。お叱りも受けることなく、私は、私たちは違法行為をこの世界の合法にしてしまった。

「名前、これどこ置く?」
「その子今日発酵作業があるからかまどの近くに置いておいて」
「はいよ」

スタンリーが葉の塊を軽々と持ち上げて私に問う。今は私の部屋を圧迫していた研究材料の引っ越し中で、喫煙者のみなさんにその作業を手伝ってもらっている。前にスタンリーに喫煙者を聞いたときは教えてもらえなかったけれどさすが軍人。想定よりもたくさんの人が煙草を求めていた。
これから製造場所も広くなるし、たくさんの葉を保管できるようになる。煙草作りを手伝うと言ってくれている人だっている。

…つまり、私の役割が終わるのも近いということだ。
科学は人類のものだ、私やゼノだけのものではない。こうして得た結果をみんなに共有するのは正しい道だと言えるし、それがなによりも誇らしい。来る日のために誰でも煙草が作れるマニュアルも用意したし、なにもかもが順調だ。

ただ、問題があるとすれば。

「部屋広くなったな」
「煙草が部屋の8割を占めてたからね」

この男、スタンリー・スナイダーと会話をする機会を失うことが、少しだけ寂しい。
煙草から始まった私たちの関係ももうじき終わる。私がこの生産ラインを手放せば、簡単に共謀者は他人になるのだ。なんて希薄な関係なのか。
少し前の私なら早く終わらせたいと終了を急いでいたかもしれないけれど、あの頃とは情勢が大きく変わってしまっていた。どうやら私はこの、隣で煙草を吸う男、スタンリーに恋をしているようなのである。

そうだと気づいた日は冷静さを欠いて彼から逃げたりもしたが、あれから数日。私ももういい大人、好きな男の前で少女のような反応ばかりしてられないと感情を抑え込んで今に至る。
仕事で不条理に叱られて体の欠片すら残らない方法で上司を葬ろうとしたときよりも穏やかに感情を殺せている。どうやらその上司に感情をコントロールできるよう鍛えられたらしい。すごい、ありがとうクソ上司。石像を見つけ次第粉々にするつもりだけど、ありがとう!

「さて、新しい作業場で初めての煙草でも作ろっかな」
「ね、見ててい?アンタ部屋に籠りっきりで煙草作るとこ見せてくんなかったし」
「いいよ、スタンリーも自分で作れるようになってたほうが都合いいでしょ」

そう言って発酵済の葉の束を作業机にどかりと置く。葉を縛っている紐をほどくと今まで嫌というほど向き合ってきた有害物質がわんさか飛び出してくる。それを黙々と紙、フィルターで巻いて煙草を1本ずつ生産。
…もし次煙草の研究に携わるならこの工程をどうにか短縮したいな。旧世界だと自動だったわけだし、ブロディがいれば作れなくはないのでは?ゼノにも相談してしまえばきっとすぐにでも人の手は必要なくなる。

「器用じゃん」
「もう慣れちゃった」
「煙草作りはじめてから1年以上経ってっかんね、そりゃ慣れるか」

スタンリーの言葉に「そっか…」と少しだけ重たく相槌を打った。そんなに経ってたんだと驚く反面、楽しくって時間の経過を忘れていたことに気づかされる。計画立案時はあんなに嫌だった彼との会話もすっかり心地いい。
巻いたばかりの煙草をはい、とスタンリーに渡すと今咥えているものを灰皿に押し付けた。そうして新しい煙草に火をつけたスタンリーに思わず口の端が緩む。前々から思ってたけど餌付けみたいよね。まるで給餌、なんて言ったら怒られちゃうかな。

…きっと彼は私と関わらなくなっても平気な顔して煙草を吸っているんだろう。もしかしたらそれがどうしようもなく寂しいのかも、とスタンリーの横顔を眺める。
ふう、と息を吐くとスタンリーがちらりとこちらに視線をやった。やば、眺めてたのバレちゃったかな?と慌ててもう一度煙草を巻く作業に戻る。手元でくるくる、と今まで何百本も作った煙草を手癖のように作っては箱に入れていく。
それをからかうように顔に煙を吹き掛けられて「スタンリー!」と抗議を上げると隣から楽しそうな声が上がった。そうして、私をからかったまま煙草を灰皿に沈める。…そのまま彼の手が掴むのは、巻いたばかりの煙草。

私なんかいなくても平気な彼をただひとつだけ心配していることがあるとすれば、彼の煙草消費量だ。ここ最近は彼好みの煙草を作ったこともあってか一日の喫煙本数が増えている。執念のような統計だけれど、初代の煙草から比べるとその本数は約5倍に膨れ上がっていた。…ゼノが煙草作りに力を入れなかった理由がよくわかった。不味い煙草を提供し続けた理由も。

「なに?俺の顔になんかついてる?」
「なんでもない」
「この男前な顔見てなんでもないはないだろ?」
「まつげが長くて羨ましい」
「なんだそりゃ」

私自身、なんて自分勝手なのだろうと思う。あんなに「スタンリーの煙草の量が増えようがどうでもいい」と思っていたのに、いざその本数が目に見えて増えると不安になってしまった。
煙草の有害性は誰よりも良く知っている。知っていながら煙草を作ったくせに。スタンリーのことなんかどうでも良かったくせに。今さら研究を白紙に戻すことなんかできないくせに。
なにより、煙草を吸う横顔を愛しく思うくせに。

…何度か、「吸いすぎじゃない?」と彼に伝えようともした。けれどそのたびに言葉を飲み込んで、彼の隣に居座った。煙草を渡すたびに何度「吸いすぎは推奨しない」と釘を刺そうとしたかもわからない。けれど、それすら言えなかった。
そもそも、私はそこまでの発言権をあいにく持ち合わせてはいないのだ。彼の人生に口出しするような権利もない。そして、そんな偽善のような言葉を煙草作りの首謀者が言ったって無駄だろう。どの口が言ってんだ、と反論されかねない。
というか、私が私自身に思ってる。どの口が言ってんだ、煙草を作ったのはお前だろって。

「スタンリーはいつから煙草を吸ってるの?」
「さあな、忘れちまった。ゼノに聞いたほうが早いぜ」
「自分のことでしょ…」

他愛ない話をしながら煙草を巻いていく。今までスタンリー一人分の煙草さえ巻いていれば良かったけれどこれからは少しストックを作るようにしないとなぁ。なんだか隣にいる人が吸いつくしてしまいそうな気がしないでもないけど…。

「スタンリーはどうして煙草を吸うの?」
「難しい質問だね。まー…ストレス発散?」
「軍人さんらしいね」
「吸ってると落ち着くんだよね」
「ネスビット・パラドックス。あ、でもそれは葉巻煙草の場合だっけ?こういう紙巻煙草は肺まで届くから」
「あー、ストップストップ。そーゆうのはゼノ」

むにりと私の頬をつまんで話を遮ったスタンリー。それにむう、と雑談を遮られたことに抗議を込めて唇を歪ませると彼から笑い声が漏れた。煙草を咥えながら器用に笑うスタンリーにどうしようもなく胸がふわふわする。
こんなに自由に暮らしているように見えてスタンリーにもストレスがあるらしい。ならそのストレスを減らしてやれば煙草の量も減るのでは?と考えたところで頬をつまんだままのスタンリーが不思議そうに「名前?」と私の名前を呼んだ。

「なに?」
「いや…今日様子おかしいぜ?なんかあった?」
「そうかな、なんでもないよ」
「悩みでもあんの?」

頬を解放されたかと思いきやそのまま彼の手のひらを当てられる。な、悩んでるように見えたのかな?私ってもしかしてわかりやすい女なのか…?と戸惑っているとスタンリーの親指が唇に触れた。ふに、と彼の指で下唇が押されてびくりと体が震える。待って近い近い近い!と叫んで暴れながら離れようとしたけれど真っ直ぐスタンリーに見つめられて体が凍った。

「す、スタンリー、」
「名前はさ、ひとりで抱えこんじまうから心配なんよね」

あなたのことで悩んでる。
そう言えたらどれだけ楽だろうか。なんて考えるけどただの知人にそんなことを言われてもきっと迷惑だろうな、とまた言葉を飲み込んだ。

「ほんとになんでもないよ」
「…そっか」
「それよりスタンリーはなにか悩みとかない?ストレスに直結するような…なにか…不安とか…」

しまった質問がストレートすぎる。もうちょっと誤魔化して質問できなかったのか私。ほらスタンリーが明らかに戸惑ってる、質問が下手くそ~!

「悩みだぁ?あるように見える?」
「あ…えっと…な、なにかない?」
「なんでそんなこと知りたがんだよ」

あなたの煙草量を減らすため、とは口が裂けても言えない。あ、あう…と返す言葉を探す私をじろ、とスタンリーの瞳が射抜いた。うぐぐ、この目にはまだ弱いんだよなぁ。

「…ほら、この状況下でスタンリーはいっつも人に頼られてるし…そういうのって疲れたりしないのかなって」
「あー、どうだろな。考えたことねーよ」

そう言って煙草を灰皿に押し付けた。その指がまた煙草を摘まもうとするものだから、思わずぱしりとスタンリーの手を捕まえる。それにびっくりしたのか、彼から「あ?」と声が漏れた。な、なにやってんの私…?!と自分の行動にスタンリー以上に驚いてしまって息を飲む。

「…なに?ドクターストップ?」
「ちちちちちがうの!」

ぱっと彼の手を解放してわたわたと行動の理由を探す。明らかに「これ以上はダメ」という私の意志が引き起こしたものだけど、彼からすればただの不審な行動でしかない。必死に否定してなんでもないを連呼するとスタンリーから怪訝な声。そりゃあそうだ。

「やっぱ名前今日変だぜ。俺の心配してる場合かよ」
「うぐ…」
「んな心配しなくてもアンタにゃ迷惑かけねーよ」

…迷惑?その言葉が胸に引っ掛かって、ぐ、と服の裾を掴む。あなたの悩みを、ストレスの種を迷惑だなんて思うはずがない。彼の言葉を否定するべく唇を震わせた。飛び出た声は震えてた。

「迷惑なんかじゃないよ」
「アンタには相談しない。なんか俺より抱えこみそうだかんね」

そう言ってぽんぽん、と私の頭を優しく撫でた。そしてそのまま煙草をつまんで火をつける。引っ越しをはじめてから三時間、10本目の煙草だった。
「俺のDr.でいて」なんて私に言っておきながらなんの相談もなしにあなたは煙草に逃げる。頭を撫でれば誤魔化せると思っている彼にぐしゃりと視界が歪んだ。私たちは煙草だけの関係でしかないことを痛感してしまって胸が痛い。

煙草は嗜好品だ。それを否定するつもりも非難するつもりもない。煙草が彼のストレス発散になるなら、それでいい。
ただ、少しだけ自惚れてたのかもしれない。彼の悩みを少しでも私が聞いてあげられたら、なんて。煙草が不味いと依頼を受けたときみたいに、彼の悩みを共有してもらえたら、なんて。
ただの共謀者、悪事が終われば赤の他人のくせに。

「煙草美味しい?」
「最高だぜ、じゃなきゃ毎日キスしてねぇよ」
「…そっか、よかった」

私は煙草でしか彼を救えない。

公開日: 2021年2月6日