#6 共謀シガレット

最近、スタンリーの様子がおかしい。
というか、怖い。

私がスタンリーを怖がっているなんて周知の事実だろうが、今回は少し意味が違う。なんというか、今までとは違う恐怖というか…言語化するのが難しくて誰にも相談できていないくらいに最近のスタンリーは”ヤバい”。

たとえば、資料を抱えて歩いてると「どこ行くん?」と声をかけてきて荷物を取り上げられてしまう。素直に「倉庫に用があってね」と返事をするとふーん、と短い返事があったあとそのまま倉庫まで荷物は彼の腕の中。戸惑いながら倉庫まで一緒に行動して、倉庫の片付けを始めようとすると「アンタどんくさいんだから気ぃつけなよ」と釘を刺す。そしてそのまま最後まで倉庫掃除を手伝ってもらってしまった。

この前なんてゼノが寝落ちしたから「ゼノ落ちたよ」と業務連絡を無線でしたら「そんなやつほっとけ、それより今日はもう休みな。朝から根詰めっぱじゃん」と返事。それに戸惑いながらもう少し、と作業を続けているとゼノを迎えにきたはずのスタンリーに「こーら」と作業を止められてしまった。心臓まで止まるかと思った。

そういえば体力限界で喋ってないと寝落ちする!と「NASAのロケットパーク行ってみたかったな…」なんてうつらうつら内容のない、世界一どうでもいい言葉を口にしたところ「俺も行ったことねーな。ゼノに作らせようぜ」と返事が返ってきた。あの時は眠気が吹き飛んだ。

ここ最近のスタンリーは、そう、優しい!優しすぎる!優しすぎて怖い!
数ヶ月前までは話しかけただけで睨まれて今にも舌打ちしそうな顔で「了解」「ドーモ」と返事をされるだけ、もしくは無視がデフォルトだったじゃない!
今気づいたけど最近は睨まれてないどころか目も優しいし表情も柔らかい、というか眉間の皺どこ行った?!ここ数週間、スタンリーの眉間に皺が寄っているのを見ていない。おかしい、なにが起こっている?

ここ数日、スタンリーの変化についてぐるぐる頭を悩ませるも答えは一切出てこない。ただ私は無力にも数ヶ月前では考えられないような行動の数々にたじろぐ他ないのだ。
密造煙草も新しい技術を加えたりしてないし、強いて言うなら自然発酵させた煙草の葉の味を見てもらっただけ。しかしそれは不評だったはず。
煙草以外の繋がりなんてない私たちから煙草という関係を奪えば、なにも残らない。それなのにスタンリーの異変に煙草は関わっていないように見える。

そして今朝、遂に大事件が起きたのだ。私は昨日研究室で盛大に寝落ちをした。意識が落ちる瞬間を鮮明に覚えているからこれは間違いない。なのに、今朝目が覚めたら自分のベッドにいたのだ。
はじめはマヤが運んでくれたんだ~と呑気にマヤの部屋のドアをノックしお礼を言った。そうしたら「私じゃないわよぉ~」とすぐに否定されてしまった。じゃあ誰が…ゼノにそんなことできるわけないし…と悩んでいたところニッコリ笑った彼女に「スタンリー」と私の知り合いリストで一番ありえない人物の名前を口にされてしまった。

そこから自分の部屋でベッドに座り込みガタガタ震えているわけである。怖い、怖すぎる。あのスタンリーのことだ。私が研究室で寝てようが「床に転がしとけよ」と冷たく私を睨み付けていてもおかしくない。なのにベッドまで私を運んでくれたという事実は私の中で理解して飲み込むには重すぎる。

重すぎるけれど、今日もやらなきゃいけない作業がある。それに昨夜の輸送が事実ならお礼を言わなきゃいけないだろう。最近は夜も冷えるようになったし、あのまま研究室で寝ていたら風邪をひいていたかもしれない。
本日初のため息をひとつだけ吐き出して部屋を出る。…今日のスタンリーの予定ってなんだったかしら?ブロディとの作業が入ってたら一日出くわさなくて済むかも。なんて彼から逃げることばかりを考えながら研究室へ向かった。

研究室の扉をそろー…っと開けて中を確認する。そうしたら先に実験をはじめていたゼノが私に気がついた。…よし、スタンリーはいないみたい。

「どうしたんだい、そんな不審者のような行動をして」
「な、なんでもないの」

そう言って研究室の中に入りゼノの実験を覗き見る。ああ、そういえば今日は薬品扱うって話だっけ?私とは別作業だ。昨日の状態のまま散らかっている自分の作業場で昨日残していたデータを眺めはじめる。中途半端にすすめられた作業に思わず唇が歪んだが寝てしまったものは仕方ない。

「昨日は見事に落ちていたね」
「朝まで快眠だったわ」
「スタンに礼を言っておくといい」

ぐぬ、やっぱりスタンリーが私を運んでくれたのね。一部始終を見ていただろうゼノにそう言われてしまっては退路はない。

「スタンリーは今どこに?」
「さあ、僕も彼のスケジュールを把握しているわけじゃないからね。軍人たちの訓練でもしているんじゃあないか?」

ゼノが知らないんじゃ、誰もスタンリーの居場所なんてわかりはしないだろう。つまり私はこのモヤモヤを抱えたまま作業を始めなくてはならない。
…彼の幼なじみであるゼノなら、ここ最近のスタンリーの行動についてなにか知っているかもしれない。でもマトモな返事が返ってくるだろうか?とゼノという人間について少し悩む。しかしそれ以上に今、私はかなり追い詰められている。藁にもすがる思いを口にする他ない。

「…ゼノ、相談が…」
「おっと君から相談なんて珍しい。なんだい?なんでも聞いてくれ」
「最近スタンリーが…その、優しくて怖いの。理由とか知ってたりする…?」

おずおず…とゼノにそう問うとゼノが作業の手を止めて丸く目を見開き、私の顔を見た。そして驚いたような、呆然としたような顔をしたあとにいきなりクスクス笑いはじめてしまった。え、ええ~…ゼノのことよくわからないって思ってたけど感情ジェットコースターすぎない?驚くのか笑うのかどっちかにしなよ…。

「君、スタンのことがまだ怖いのかい?」
「なんというか怖いのベクトルが違うのよ、今までは明らかな敵意が怖かったんだけど…今は何を考えてるのかわかんなくて怖い…」
「おお、ずいぶん面白いことになっているな」

笑い声が徐々に大きくなりケタケタと笑いはじめたゼノにぐう、と言葉が返せない。しかしどうやらゼノはスタンリーの異変についてなにか知っているらしい。これは好都合だ。

「なにか知ってるなら教えて」
「ダメだ」
「そ、そんな…」

即答すぎる。こんなに悩んでいるのに…と悪態をつきたくなったがゼノにはそんなこと関係ない。うう…と小さく唸っていると、相変わらず楽しそうにゼノが言葉を続けた。

「君が理解しないと意味がないからね。ヒントくらいは出してあげよう」
「ほんと?」
「僕は君のことを結構気に入っているからね」

そう言って爪のアタッチメントを立てて私の疑問に対して、ヒントを出そうとする。口の端をあげながら「さて」と話を切り出したゼノは心底楽しそうだ。…こっちは毎日気が気じゃないっていうのに。

「まず、スタンだが…君以外に優しくなったと思うかい?」

…それは、スタンリーの性格そのものが変わったか否かという質問だろうか?どうだろう、と彼の行動を思い返してみる。私には確実に甘くなったが、彼はいつだって自分の仕事を確実にこなす軍人だ。それは今も例外ではない。
周りへの対応は…しまった、あまりよく覚えてはいない。そもそもスタンリーの交友関係もゼノしか知らないものだから…あ、そうだあの人、私に冷たかったときもゼノには甘かったっけ?つまり今の優しいスタンリーの姿は性格が変わったんじゃなくて、元々彼が持ち合わせていたものか。

「…変わってないと、思う。けどますます意味がわからない。私はゼノと同じ立場にいるってこと?」
「そういうことだね。では、なぜ?」
「な、なぜ?」

ゼノとスタンリーは幼なじみだ。話を聞いたところエレメンタリースクールからずっと一緒だったらしい。それはNASAに就職しようが軍隊に属そうが変わっていない。そんな彼らの確固たる絆と私が並ぶ?そんなことありえるのだろうか?

「おお、君は存外鈍感だね。よく考えてくれ、あのスタンリーが、だよ。あのスタンリーが君にだけ優しいんだ」

最近は僕すらおざなりにされているのを、君も知っているだろう。そう付け足したゼノにますます首を傾げた。ゼノ曰く、今のスタンリーはゼノに対してよりも私に甘いらしい。それって私に対してなにかそうせざるを得ない理由があるってこと?

…あ、煙草?煙草か!
ゼノと私の違いなんて煙草くらいしかない。つまり、毎日せっせと煙草を供給している私をスタンリーは自分の懐に入れて甘やかしている、と。あー、なるほど。日本では「鶴の恩返し」なんてお話があるらしいけどそれのスタンリーバージョンね。ようやく理解できた。

「…なんとなくわかったわ。ありがとう、ゼノ」
「ちょっと待ってくれ、絶対理解してないよ君」
「詳しくは言えないんだけど…原因はわかったから」
「原因と言ってる時点で僕の思惑とは大きくかけ離れている!待ってくれ!」

君って人は!となぜかゼノに叱られてしまって私の結論を聞いてもいないのに否定されてしまった。困ったように眉間に皺を寄せているゼノにこちらも困惑してしまう。結論は出たし納得もしたから作業に入ろうとしていたのに、それはまだ叶わないらしい。

「…じゃあ、質問を変えるよ。君は頑固だから」
「そ、そんなこと言われたって…」
「君は」

反論を許さない、と強く話を遮られる。真っ黒な瞳が私をゆらゆらと映せば、もう彼の話からは逃げられない。

「なぜ、そんなにスタンを気にかける?別にどうでもいいじゃないか、所詮、君に冷たく当たってた男だよ」
「…今は違うじゃない」
「でも冷たくされた分、君にもその権利があるしここまで悩む必要もないだろう。彼の優しさだって黙って享受すればいい。彼は優秀だからね、後ろにいれば心強い。それなのに君はそう彼を割り切りもせず、悩んでる。それはなぜ?」

振り回される筋合いなんてないだろう。とハッキリ言い切ったゼノ。その言葉にぐ、と息を飲んだ。
…確かにゼノの言う通りだ。前までの私はきちんと割りきって「別に嫌われてようがどうでもいい」なんて彼に対して考えてた。そう、彼が私にどう接しても「どうでもいい」はず。
なのに、私は彼の変化に何故か怯えて他人に意見まで聞いている。彼の行動の意味を考えて理解しようとして、今はこんなに悩んでる。

「…わからない、」

どうしてこんなにスタンリーに関して悩んで、振り回されて、彼のことばかり考えているんだろう。彼との繋がりなんて煙草しかないのに、と思考したところで心臓がぎゅ、と抗議を上げた。
初めはただの興味本位の研究だった。煙草なんて作ったこともなかったし、依頼されなきゃ一生関わることのない有害物質。それにどんどんハマっていったのはどうしてだろう。
どうして、煙草を吸うスタンリーの横顔ばかりを今思い出すんだろう。煙草を吸いながら口角を上げて私の話を聞いてくれる。そんな彼を、私は。

「少なくともスタンと会話をしている君は楽しそうに見えるよ」

もうとっくに後戻りなんてできない。
楽しそうにいたずらっ子のように笑いながらゼノが私の変化を指摘するものだから、いきなり全身の血が身体中を走り出したような感覚に陥った。そしてかああ、と頬が火照れば私はひとつの事実に気づく。

「えっあっわ、わたし、」
「うん、うん」
「う、うううう嘘でしょ?!」
「僕から見てそうなんだから、確実だろう」
「ちょ、ちょっと待ってマジ?!あの冷血漢…い、いや最近は優しいけど~?!」
「面白いくらい狼狽してるね!本当に今の今まで気づいてなかったのかい?」
「じゃあスタンリーに対して不整脈起きてたのってただ彼にドキドキしてただけってこと?!」
「君もしかして人間初心者か?」

まさかの展開に脳の処理が追い付かない。しかし思い返せば思い返すほど納得がいく結論だ。最近はスタンリーの喜ぶ顔が嬉しくて煙草作ってたところもあるし、話しかけられると不整脈が起きるし、女性扱いされると顔に熱が走る。今思えば、初めて彼の笑顔を見たときからずっと。

「墓場まで持っていきます…」
「えっ、待ってくれ、だからその視点でスタンリーの心情を」
「バレたら生きていけない…烏滸がましいにも程がある…」

彼はこの共同生活において誰にだって信頼されている人だ。初めはなぜそんなに信頼されているのかわからなかったけれど彼と関わりはじめてからそれも理解した。彼は、いつだって冷静に状況を判断してくれるし先陣に立つし、彼の背中は安心する。
それに、なにより、あの顔。薄々気づいていたが彼の顔は格好いい。絶対学生時代モテてた。そんなスタンリーと、研究ばかりで引きこもっている私。はい、一目瞭然、釣り合いなんて取れるわけがない。

「いや、だからね、スタンリーは」
「もういい、わかった。ありがとうゼノ」

静かに首を振ってゼノの言葉を遮った。そしてスン…と感情を沈めて目の前の鉄の塊に視線を落とす。平常心を保つには研究をするのが一番だ。目の前にはライフル銃が2丁。トリガーの重さを調整したものと、していないもの。どちらが撃ちやすいのかスタンリーに試してもらおうと思っていたものだ。
はい、会う言い訳。ふたりきりになる口実こうやって作ってた。はーい、私もただの女だってことだ。なんて浅ましい。

ふふ、と自分を笑ってガチャリと銃を持ち上げる。そういえば、スコープを覗くスタンリーの横顔すごく綺麗だったな。熱を感じなくて芸術品のようだった。
そんなことを考えていると静かにぎい、と研究室の扉が開いた。こんな時間に誰だろう、と思うも扉を見なくてもわかる。煙草を吸いながら研究室の扉をあけて「お、名前いんじゃん」なんて言って私の名前を呼ぶ人物はひとりしかいない。

「す、スタンリー…」
「オハヨ、よく眠れた?」

ツカツカと足音を立てながら私の隣までやってきて朝の挨拶をくれる。それに「おはよう、おかげさまで」と返事をするとスタンリーの唇が上機嫌に鳴った。
一方私は内心ソワソワドキドキ、悲しいくらいに心臓を高鳴らせて彼と会話をしている。ああ、これはもう気づかないほうが楽だった。私は本当に墓場まで彼への想いを隠し通すことができるんだろうか…。

「スタンリー、昨日はありがとう」
「ん?いーよ、こんなとこで寝オチしてるほうが心配だし」

なんて返事すればいいのかわからない。今までどんな会話をしていたんだっけ?と頭が真っ白になってしまって呆然とスタンリーの顔を眺めてしまう。彼の優しさがここまで胸を叩くなんて知らなかった。

「あ、あの」

話題を変えてしまおう、とライフルに視線を落とす。これの試し撃ちに付き合ってほしくて、と口にしようとした隙間をスタンリーは逃さない。

「名前、寝癖ついてんよ」

そう口元を緩めて、至近距離。頬も瞳も甘く溶かしてぐい、と顔を近づけてくるスタンリー。そしてその大きな手のひらが頭を撫でた。その熱にびくりと体を震わせてしまうが、スタンリーは逃がしてはくれない。何度かなでなで、と頭を、髪を撫でたあとにもう一度優しく微笑んだ。

「おし、可愛くなった」

完全にキャパをオーバーした瞬間だった。
がたりと立ち上がり、あわあわあわと数回何かを言おうか言うまいか口をぱくぱくさせたあとに口を突いて出たのは「そ、外の空気吸ってきます! 」というただの逃げの一言。それにスタンリーが戸惑ったように「おう」と返事するのもロクに聞かずに滅多に走らないくせに全力で研究室を飛び出した。

とにかく今は、「なんて無謀な」と嘆く他ない。

公開日:2021年2月3日