#5 共謀シガレット

必要最低限の会話しかなかった俺たちの関係が変わったのは、たった1本の煙草がきっかけだった。
こんな世界になる前、一度会話を交わしたのみ。いざ少人数での共同生活が始まっても一方的に話しかけられる内容に返事をしたりしなかったり。
いつも怯えたように俺を見上げる顔、しどろもどろに要件を伝える姿を見るとイライラしたし、正直、名前との会話が必要だとは思えなかった。科学のことはゼノに聞きゃあいい。軍事研究部の研究員だったらしいが銃も設備もゼノがいれば完結する。

そんな俺の考えをあいつが覆したのはいつ頃だったか。
今じゃもう覚えちゃいないが、その頃から名前の怯えた表情も減って見ることがないと思っていた笑顔が増えた。わたわたと身振り手振りが癖なのか、しきりに体を動かして自分の考えを述べる名前は立派な科学者だ。
それに名前の作る煙草はそれなりに味も整っていて吸っていて心地がいい。くだらない会話をそれなりに拾うようになると、名前の目がまあるく開いてあからさまに驚いたあとに頬が緩む。まぁ、その様子を見ているとそれなりに友好関係が築けているんじゃないかと思う。
そして名前関連で困ったことがひとつ。これだけは不可解で仕方ないんだが…。

最近、名前が可愛く見える。

中庭で名前がルーナと会話しているのを視界が捉えて思わず立ち止まった。ここからは少し遠い場所でなにかを大事そうに抱え込み楽しそうに笑いながら立ち話をしている。ルーナと会話をしている名前はすっかり頬を緩めきって警戒心なんて微塵も感じさせない。
ヘェ、ルーナにはそんな顔見せんのか。と初めて見る名前の表情に感心してしまった。そしてその様子が珍しくて、思わず煙草を取り出して火をつけた。柱にもたれかかって一服するフリをしながら視線はたまに名前を覗き見る。我ながらさすがに執念じみている。
なにやってんだ、俺。そう自分の行動を振り返ってはその場から立ち去ろうと考えてはみるが煙草1本分だけ、とこの場に居座ってしまった。

なんの話をしているのか、相変わらず身振り手振りが多い挙動でしきりに唇を動かしている。俺んときはそんなに喋んないクセに。
嫉妬にも似た感情を抱いてじとりとふたりを眺め続ける今の俺はただの不審者だ。石化前なら通報されてんな、と自分の現状を揶揄っていると名前がこちらに気づいたらしい。あ、と口を大きくあけたあとにルーナに一言声をかけてこちらに向かって手を振った。そして大声で「スタンリー!」と俺を呼び止める。

その反応に少し驚いて吸っていた煙草が歪んだ。名前から声をかけてくるなんざ要件はひとつに決まっているが、そうじゃない。ルーナと話していたままの笑顔で俺に向かって手を振ってきたのである。
いつも少しだけ難しそうに強張っている頬も、困ったように下がった目尻も遠慮がちに動くだけの唇も今はみる影がない。思い切り頬を緩ませて柔らかく微笑んでいる名前に不意を突かれてしまった。

笑ってる、と脳が認識する前にどきりと心臓が胸を叩く。そしてその心臓の抗議に心底驚いた。…マジか、あのちんちくりんに?あの科学以外はからっきしで生活能力皆無。ゼノと一緒によく研究室で寝落ちして風邪をひいている危機感がない女に?
ブワッと耳に熱が走ればもうなにもかも手遅れだ。ルーナと別れて俺に向かって歩いてきている名前を、煙草を消しながら若干心拍数を上げて待つ他ない。
ああ、なるほどね。だから最近名前が可愛く見えてたんか。クソ、ティーンみたいな反応しやがって。今年でいくつだと思ってんだ俺。

「スタンリー、探してたの」
「珍しいね。なんの用?」
「煙草の話なんだけどね」

つい数ヶ月前までは考えられないほどの至近距離。ふいっと俺を見上げる顔は穏やかで、先ほどではないがふわりと口元が弧を描いている。そしてなにより名前から香るのは俺と同じ煙草の匂いだった。…部屋で煙の確認してんだっけ?研究熱心なのはいいが、体に悪いってことわかってんのかね。

「そろそろモニターを増やしたくて」

そう言って今まで大事そうに胸に抱えていたボードと煙草を数本入れているであろう箱を見せてくる。ボードには白紙の喫煙者リストがはさんであって、それを俺にぐいっと押し付けた。

「スタンリーなら軍人さんの誰が喫煙者かわかるでしょ?」

他の喫煙者を教えほしい、と言ってにこにこ。一方俺はその緩んだ顔に少しだけモヤついた。俺の報告じゃ足りないんかよ、とか煙草の生産量増やしたらアンタの負担が増えるじゃんとか、渦巻くのは少しだけ黒くて重い感情だ。

「モニター増やしてなにすんの」
「あなたと同じこと聞くだけよ?どの煙草が好み?とか、まだ煙草ある?とか」
「ふーん」

つまり、間抜けな顔して警戒心なんてどっかに置き去りにして研究熱心に男とふたりきりでこそこそ煙草の開発をするわけだ。しかも必要とあれば男の部屋にものこのこ訪れる無防備さを俺は知っている。
…煙草を褒めたときの嬉しそうな顔。新作を作ったときの早く吸ってほしいと言わんばかりにそわそわしている素振り。そしてそれを吸ったときの感想待ちでキラキラ輝く瞳。データを取るときの真剣な横顔や、なにかを考えてるときにピタリと止まる動作。かと思えばいきなり首を捻って「なんで?」といきなり自分に質問を投げ掛ける姿。
全部、俺だけが知っている名前だ。

「複数の発酵させた葉をブレンドしたほうが深みが出るってゼノが教えてくれてね。あっ、私からは言ってないからね!ちゃんと内緒にしてるからね!世間話で煙草の話題が出ただけだから!」
「わかってんよ」

まだゼノにバレてないと思ってる素直さ、いや愚直さか?とっくにバレてんのにまだ名前は俺との秘密を守り続けてるらしい。なんつーか、ほんと、頭はいいし知識もあんのにこういうところが抜けている。この前なんか盛大にアラート鳴らして事故ってたし。原因がわかるまではさすがに焦ったが、催涙ガスと判明してからは笑い話だ。あんときの名前は顔面ぐちゃぐちゃで見てて面白かった。
そして、それすら他の奴なんかに見せたくない、と思う自分を愚かだと思う。

ぐ、とペンを握って名前から渡された紙にサラリと自分の名前だけを書く。「ほらよ」と返すと内容を確認せずに「ありがとう!」と癖なのかボードを胸にぎゅう、と抱えた。そしてワクワクした顔で喫煙者リストを見た名前は一瞬動きを止めて理解ができない、と言わんばかりに首を捻った。
それが可笑しくて思わずクツクツ笑うと「す、スタンリー?」と戸惑った声が飛び込んだ。

「俺だけでいいじゃん」
「で、でも…」
「俺だけでいーの」

他のヤツなんか巻き込まなくていい、と名前を丸め込むとまだ腑に落ちていないのか、わたわたあうあう、俺に投げ掛ける言葉を探している。そんなところも可愛く見えるもんで、本当にまいった。盲目もいいところだ。

「スタンリーがそう言うならそうするけど…」
「そ、アンタは俺だけのDr.でいてよ」

こんなガキっぽい女に、ねえ。そう自分に呆れながら新しい煙草を取り出す。まだ戸惑っている名前を横目に火をつけると隠しきれてないため息がこぼれた。そんなに俺以外の意見が欲しかったわけ?と投げ掛けたらどんな反応すんだろうな。また怯えた顔で「滅相もございません」なんて他人行儀に対応されちまうんだろうか?それはそれで都合が悪い。

「そーいやさっきルーナと何話してたん」
「えっ?…ただのくだらない世間話よ」

そのくだらない話が聞きたい、と俺は今からアンタを困らせる。

公開日:2021年2月2日