#3 共謀シガレット

最近、スタンリーの機嫌がいい。

すれ違うときに声をかけたら返事をするようになったし、この前は初めて彼の「おはよ」を聞いた。研究室で作業をしていたら「今なにやってんの」と声をかけてきたこともある。あの時は驚きすぎて腰を抜かすかと思った。
半年ほど前から続いている密造煙草のやりとりも順調でなんだか逆に居心地が悪い。発酵について仮説を立てて三ヶ月、試作に試作を重ねてようやく「マトモ」と呼べる煙草にたどり着いた私は、ある程度彼に認めて頂けたらしい。けどまだ試作。本運用するには時間も人手もモルモット…失敬、モニターも足りていない。元々かなり無謀な依頼だ、寝不足は否めない。

ただ、軍事研究ばかりだった私が、人に喜んでもらえる研究をしているというのは悪くない、と、思う。「平和が欲しいなら戦いに備えよ」なんてどこかの誰かさんは言ったけど、こんな平和協定も悪くない。

「じゃあこのライフルで5発。試しに600ヤードで撃ってみて」
「1000ヤードでも当たんよ」
「…あなたの腕は信用してるけど、これは試作品だから…」

そして不思議なことに今も仲が良さそうにライフルの試し撃ちなんてことをしているわけだ。と、言ってもスタンリーと故意にふたりきりになったかと聞かれればそうではない。本当は試し撃ちをマヤにお願いしようと思っていたのだけれど、銃は苦手だと断られてしまった。そこに通りかかったスタンリーが「俺が付き合ってやろうか」と、あのスタンリーが、あのスタンリーから申し立ててきたのだ。
驚きすぎて喉から声にならない「ヒュッ…」という息が漏れてマヤに笑われたのはここだけの話にしてほしい。そして「俺じゃ不満かよ」と冷たく私を見下ろしたスタンリーに「め、滅相もございません…よろしくお願いします…」と屈した。ふふ、弱い。

こうして西の森にある簡易射撃場にふたりで訪れたわけだ。ちなみに移動中は会話は一切なし。逆にそれが落ち着く、というより心を落ち着かせるのに役立った。ちょっとデータが欲しかっただけなのに私はこの世界で一番腕の立つ軍人を雇ってしまった。恐れ多くて今にも吐きそうだ。

「なんのデータが欲しい」
「弾道が知りたいの。過去のデータを見てたらブレてるみたいだったから」
「ああ、確かにブレんね」

そう言って的に向かって真っ直ぐスタンリーがトリガーを引く。パンッと乾いた音がした直後に的から悲鳴が上がった。速度は体感問題ナシ。じゃあ発射時か銃口に少しのズレがあるのかしら、とメモを書きながらスタンリーの射撃を見守る。
冷徹な瞳がスコープを覗き、狙いを定めている横顔に熱を感じなくてゾクリ、と悪寒のようなものが走った。目を奪われる、と言う表現が相応しい。ぞわぞわと粟立つ全身と瞬きすらできない目。ようやくぱちり、と瞼を動かすと呼吸を忘れていたことを知った。
…怖いわけじゃない、彼があまりにも美しくって息を飲んでしまった。

「終わったぜ」
「あ、ありがとう。ちょっと確認してくるね」

呆然と彼を眺めていた私に軽く声をかけたスタンリー。時間を忘れて彼を見つめてしまったことがなんだか後ろめたくって慌てて顔を反らした。
そしてスタンリーなら確実にすべて命中させているであろう的に近寄る。遠目からは見えなかったが、かなりの距離だし同じ場所を狙っていても着弾は安定していないはず。
しかし視界に飛び込んできたのは、私の考えをすべて覆す結果。スタンリーは的のド真ん中に5発綺麗に狙いを定めて撃ち抜いてしまっていた。

そうだ忘れてた、あの人の射撃データは”完璧すぎて”なんの役に立たないんだった。それは数千年経っても、銃が不出来でも変わらないらしい。
人選をミスった、と思うにはもう遅い。スタンリーは次の射撃に備えるためにライフルに銃弾を装填し終えていた。

「あの…スタンリー?」
「なに」
「データが完璧すぎると言いますか…」
「あ、ワリ。手ブレ補正してたわ」

そんなカメラの機能みたいに言わないでよ、とツッコミを入れていいのかわからない。少なくとも彼が真顔でそう呟いたものだからきっと冗談ではない。いや冗談と本気のラインわかりづらいわよ!試されてるのかな?!

「無意識だった。次は上手くやんよ」

無意識に照準を合わせていた、ととんでもないことを口にする。軍のデータを見たときからスタンリーは飛び抜けて射撃の成績が良かったけれどここまでの腕前だとは思わなかった。

「気負わず気楽にやってね」
「言われなくても」

この後、持ってきていた銃弾をすべて使ってデータを取らせてもらった。相変わらず少し完璧で正確なデータじゃないかもしれないけれどスタンリーが手伝ってくれたことにきっと意味がある。手元のデータを記録した紙とボードがなんだか少し嬉しくてぎゅう、と胸に押し付ける。

「ありがとう!必ず役立てると約束するわ」

思わず口元が緩んでそのままスタンリーにお礼を言う。すると「別に」と言ってふいっと城に戻るために踵を返してしまった。最近よくわかったんだけど、スタンリーのこの一見冷たく聞こえる返事は機嫌が悪いとかではなく、普通に彼の素らしい。まったく損な性格をしている人だ。

「ライフル邪魔でしょ?持つよ」
「いい。アンタは大切なデータ抱えてな」

………えっ、やさしっ、怖っ。
本当に半年前までは私の言葉を9割無視していた男と同一人物か?とスタンリーの背中をまじまじと見てしまう。歩くのだっていつもより少し遅め、私を置いていかないように配慮をしてくれてる。
煙草の効果すごい…ここまでスタンリーの態度が変わると思わなかった。

「ごめんなさい、長時間付き合わせちゃった」
「それはいい。俺も暇潰しになったし」

そう呟くように言って煙草とマッチを取り出したスタンリー。すかさず煙草に書いてある数字を確認すると32、と私の字が刻まれていた。先週渡したばかりなのにもうそんなに吸ってるんだ。別にいいけど。

「…私はあなたの暇潰しくらいにはなれるのかしら」

…待って、私いまなんて言った?
射撃データに目を落として、そうだ今後の煙草の開発スケジュールを共有して、と並列に脳を使っていたものだからぽろりと出た言葉が自分の言葉なのに理解できなかった。けれどこれだけはわかる。
私は今、無意味な問いをスタンリーに投げ掛けた。

ひやりと指先が冷えるのを感じる。しまった、絶対に踏み込みすぎた。せっかく友好関係を築きかけていたのに不用意だ。いっそのこと無視をしてほしい、と願ったのはさすがに初めてだった。

「…ま、それなりに」

主従関係、まさにご主人と奴隷。彼の言いなり逆らえない都合のいい女。私はただの煙草製造機。そう思っていたものだから、彼の言葉がずどんと頭を撃ち抜いたような感覚がした。
…暇潰しくらいにはなる、って、もう知り合いくらいの地位を得たと思っちゃってもいいんだろうか?やばい、ちょっとだけ嬉しい。

「あ!そうだ明日また煙草渡すね」
「あん?ペース早いな。別にいいけど」
「葉っぱは変わらないんだけどね、フィルターを作ってみたから試してほしくて…まだ試作だから期待はしないでね」

少し浮かれてまだ検討を重ねているフィルターについてぽろっとスタンリーに溢してしまう。もうモノはできているからもう少し改良すれば明日にはスタンリーに渡せるだろう。

「フィルター?」
「そう。あなた、火をつけてなくても煙草を咥えてることが多いじゃない?今のままだと紙が湿気て吸えなくなる、もしくは味が落ちてると思うの。だからフィルター。耐熱性は約束するわ」
「ヘェ、そんなもんどうやって」
「セルロースを無水酢酸と濃硫酸で反応させるとトリアセチルセルロースができるから」
「ストップ。俺に言ったってわかんねえよ」

そういうことはゼノにでも言うんだな、と煙を吐くスタンリー。ゼノには内緒って約束したのはあなたのくせにと唇を尖らせて行き場を失った科学を飲み込んだ。ま、聞いてもらえるとは思ってなかったからいいんだけど。
さて、部屋に戻ったら射撃データをまとめてフィルターと向き合おう。まだ一度に吸い込める煙の量を調節できていないし、そういえば薄さも今のままでいいのかしら?葉が口に入ってしまわないように工夫も施したい。明日までやることがたくさんありそうだ。

次の日、なんとか人に渡せるレベルのフィルターを完成させて欠伸をしながらスタンリーの部屋を訪れた私。うーん、今の製造工程だと時間がかかりすぎるから大量生産はまだまだ要検討だなぁと5本の煙草を納品する。
ベッドに座ったままのスタンリーはそのうちの1本を取り出してじろじろとフィルターを眺めたあとに早速唇に咥え、火をつけた。元々の煙草を知っている彼なら違いがわかるはずだとドキドキしながら実験結果を待っていると、ようやくスタンリーが深く煙を吐いた。
…煙たくって匂いも苦手だった煙草も、製造をはじめてしまえば大切な実験、我が子同然だ。評価をされれば嬉しいし評価されなければ気合いが入る。と、いってもフィルターの製造はとりあえず後回しになりそうだけど。

「どう?」

結果を知りたいとそわそわした心が彼に催促した。そんな私を気にも留めず、煙草をじぃ、と見つめるスタンリー。これはどっちだろう?すぐに消さないってことは悪くはないはずなんだけど…。
もう一度唇に煙草を咥えてしまったスタンリーと「待て」を強いられている私。スナイパーなあなたとは違って私は忍耐強くないのだけれど…と胸の逸りは隠しきれない。
フゥー…とまた深く煙を、今度は私の体に吹き掛けるように吐き出した。そしてそのまま私を見上げ、なんと口の端をいたずらに上げて目を細めた。

「…やんじゃん」

スタンリーの笑顔が私に向けられた。いつもの冷たい瞳も、いつも深い皺が刻まれている眉間も、無表情を貫く頬も今は、今だけは緩んでいる。そしてなによりいつも透き通る感情を感じさせない声が今は柔らかい。
思わず服の裾をぎゅう、と両手で掴んでようやくやけにうるさい心臓に気づいた。返せる言葉が咄嗟に出てこなくってぱくぱくと唇が小さく上下するだけ。

スタンリーが私に笑いかけてる。こんな日が来るなんて想定すらしていなかった。彼からのたった一言がこんなにも心に深く刺さるなんて想像もしていなかった。
冷静になろうとすればするほど思考がぐちゃぐちゃにかき混ぜられて全身に熱が走る。このままここにいるとまずい、と短く息を吸ってその場から逃げる一言を吐いた。

「じゃあ、私今から予定あるから!」

またねと言って慌てて部屋から飛び出して乱暴にドアを閉めた。そしてドアにもたれ掛かって深く深く息を吐いた。逃げてきてしまった、なんてぐるぐる考えてももう遅い。…びっくりした。彼はいつも私の心臓に悪い。
スタンリーと関わりはじめてから煙草の煙もたくさん吸ってるし不要な動悸も増えた。こうやって私は寿命を縮めていくのね、と深いため息をひとつ。

それにしてもあんなに喜んでもらえると思わなかったな。フィルターを通すことで煙がマイルドになることや思いきり煙草を吸えるメリットがあることは知ってたけどあのスタンリーが笑うほどとは。恐るべし、煙草。
あ、しまった、大量生産はできないって話をするのを忘れてた。うわあ、あの笑顔を見たあとだと言いづらい、言えるわけがない。こうして私はまた煙草製造に時間を吸い取られてしまうのね。

こつり、とようやくスタンリーの部屋の前から退散する。今からゼノと今日の作業を終わらせてフィルターの製造工程を確立させなきゃ。そういえば三日前に仕込んだ葉の様子もそろそろ見たほうがいいな、煙の確認をしなきゃ。
本当に忙しくて寝る時間も確保できてない。そもそもスタンリーに対してそこまでする義理もないんだけど…あんな顔を見せられちゃったら、ね。もうちょっとがんばろうなんて思っちゃった。
なんて都合のいい女!

公開日:2021年1月30日