#2 共謀シガレット

煙草の葉から嗜好品を作るのは時間もコストもかかりすぎる。それを知識として知ってはいたけれど、いざ目の当たりにすると莫大なロードマップに心が折れてしまいそうだった。
目の前には一年草とされる植物が乾燥された状態で実験台に置かれていて私の手にかかるのを心待ちにしている。…葉タバコって結構大きいのよね、加工するだけでも骨が折れそう。作業に取り掛かってもいないのに私の心も骨もボロボロだ。

なぜ、私が吸いもしない味もわからない煙草を製造しようとしているのか。
それは先日、我が共同生活における軍事部の総司令官であるスタンリー・スナイダーに「煙草を作ってほしい」と依頼されたからである。
あのときはその場の空気に流されてしまったが冷静に考えるととんでもない約束をしてしまった。とりあえず私は今彼が吸っているものよりもマトモな煙草を作らなくてはならない。今より酷いものを献上したならば、ただでさえ友好とは言えない関係が悪化しかねない。というか、殺されるんじゃないかとすら危惧している。それだけはどうしても避けたい。これでも数千年起き延びた分、生には執着しているほうだ。まだ死にたくはない。

そしてなにより、私も研究者である。中途半端は私が私自身を許せない。
まずは葉タバコの水分状態を5段階に分ける。煙草を作ることになってからブロディに「ドライフードを作りたいから」と嘘をついてまで作ってもらった乾燥機に葉タバコを入れて状態を見ながら実験のベースを作る。
カラカラになった葉タバコの状態を記録してふむ、と声を漏らす。自然乾燥と加熱乾燥も試したい。脳裏に浮かぶすべての方法を駆使して私は、自分の実験を必ず成功させる。
そのことだけを胸に目の前の有害物質と向き合うのだ。…それは別に依頼主のためではない。

「結論から言うと、1本じゃおさまらなかったわ」
「…ヘェ、めでたいね」

実験の結果をスタンリーに提示すると自分が押し付けた依頼のくせに興味なさそうにそれを横目でちらりと見て終わり。ただ、スタンリーの興味は私が手に持っている数本の煙草に注がれていた。
仕方ない、とアルファベットを書いてある煙草を順番に机に並べるとスタンリーが「A」の煙草を手にとってまじまじとそれを眺め始めた。

「それは自然乾燥、水分量5%以下、葉肉80%葉脈20%ね。Bは自然乾燥、水分量5%以下、葉肉70%葉脈30%でCが」
「待て。俺はモルモットかよ」
「だって匂いしかわからないんだもの。マトモな煙草が吸いたいなら協力して」

実際、できた葉を燃やして煙を確認することが私ができる限界だった。おかげで喫煙者でもないのに私の部屋は煙草くさいし、体にも独特な匂いが染み付いてしまっている。
今日なんてゼノに「最近君からスタンリーの匂いがするんだが、まさか毒ガス仲間になったんじゃないだろうね!」とお叱りを受けてしまったほどだ。必死に「たまたま同じ空間にいただけ」と弁明をしたが、最悪だ。スタンリーとの関係を疑られたらなんと答えればいいのかわからない。ちなみに今のところ的確だと思っている関係の名称は「主従」だ。なぜなら私はスタンリーには逆らえないから。

「で、こんなかで一番美味いか教えろって?」
「…一ヶ月しか寝かせてないからまだ美味しくはないと思う。どの配分を熟成にまわすか決めるからあとで味を教えてほしい」
「熟成にどんくらいかかる」
「1年から2年はほしい、な…」

素直な納品時期を伝えると冷たい瞳が少しだけピクリと動いて私のことを見据える。言いたいことはわかる、わかってるけど仕方ないじゃない!と抗議してやりたいが、じぃ、と睨まれてしまって唇ひとつ動かせない。
怖い、なんで煙草作ってあげてるのに睨まれなきゃいけないの?うう、肩身が狭い…。
そもそも数千年石化が解けるの待てたんだし、あなたスナイパーでしょ?忍耐強いのが売りなんじゃないの?数千年に比べたら1年や2年あっという間でしょ、と決して口には出せない悪態がボロボロボロ。

「…煙草には発酵が必要不可欠なの。その工程を経ないとやっぱり味に影響が出ると思う。そもそもこの煙草ももう第一次発酵を済ませてデンプンとタンパクを分解してるものだし…あ、」

私が持っている煙草に関する知識をぺらぺらと話し、スタンリーに許しを乞うていると脳裏にひとつの仮説が浮かぶ。
煙草は紅茶と同じ酵素発酵を経て雑味が抜ける。その発酵の際に発生する熱は約50度。それを促すのではなく、こちらから与えてやればあるいは。
密閉空間と適性温度。これからの課題がどかんとのし掛かれば、思わず口角が上がってしまう。専門外とは言え、やっぱり化学は面白い。

「試したいことができた」

言い訳をやめて素直にスタンリーの顔を見ながらそう伝えるとスタンリーの煙草をいじる指の動きが止まった。そしてなにを思ったか、少しだけ眉間の皺を緩めて「ヘェ」と私を品定めするように声を漏らす。

「ま、名前に任せんよ」
「待ってあなた私の名前知ってたの?!」

いきなり彼から一度も呼ばれたことがない自分自身の名前が飛び出して、その不意打ちに声を上げてしまった。いつも私を呼ぶときは「おい」「なあ」「お前」のどれかだったじゃない!てっきり私の名前なんて覚える価値ナシ!脳リソースの無駄!という辛辣な判定を食らってると思ってた。

「お前の名前呼ぶのに許可でもいんの」
「い、いや、あの…び、びっくりしただけ…」

しどろもどろ、たじたじでスタンリーの言葉に返事をする。スタンリーからの奇襲に心臓が不要に脈打って寿命が縮んでしまいそうだ。石化から解放されて数年、ようやくスタンリーから名前を呼ばれたという牛歩よりも遅い私たちの関係は今後どうなってしまうんだろう。

ちなみにこの日からスタンリーに「紅茶飲む?」と聞けば「いんね」と返事が返ってくるようになった。まったく、煙草同様難しい男だ。

公開日:2021年1月28日