魅惑のトワレは疑惑のブーケ 後編

「マルゲリータにシカゴ…サンディエゴも美味しそう…!」
「好きなもん頼みなよ」

るんるんと語尾を弾ませて瞳をキラキラさせながらメニューを見る名前はたびたび俺に話題を振りながらピザを真剣に選定している。長い時間悩んでいるものだから先に頼んだ飲み物がそろそろ運ばれてきそうだ。

「ハニー、いつまで悩むつもりだ?」
「スタンは何食べたい?」
「名前が選んだやつならなんでもいーよ」
「じゃあ、このソーセージがたくさん乗ったやつとベーコンのやつと、それから」
「OKわかった!ピザはさすがに2枚までにしてくれ!」

そう名前を制すると「だめ?」と可愛く小首を傾げる。その仕草が少しあざといとわかりつつも単純なもので、胸がきゅんと鳴いた。可愛い。可愛いわ俺の彼女。しかしさすがにピザをこれ以上頼まれると俺の胃袋が悲鳴を上げることになってしまう。おねだりは却下だ。

「ほらピザ以外もあんだからさ。ポテトとか好きじゃん」
「美味しそう!」

別のページを見始めた名前はまたキラキラと表情を明るくし、なにをオーダーするかまた悩みはじめた。まぁいい、いつまでも待つさとタバコに火をつけようとした瞬間だった。
机に置いてあった名前のスマホが振動しながらメッセージが届いたことを知らせる。それを名前は気に留めずに相変わらずメニューに夢中だ。そのメッセージが一通だけなら良かった。何通も送られてきているそれにピコンピコンとスマホが震えてはメッセージの受信を伝える。そして気づいていないのか、頑なにスマホに触れない名前。
いつもなら俺に断りを一言だけいれてすぐに返事をするはず、仕事のメッセージかもと慌てて席を立つことだってある。気づいていないなら一大事だ。

「名前」
「んー?」
「スマホ鳴ってんぜ」
「あ、あー…。出なくていいやつ!気にしないで」

あ、あやしすぎる、なんだその浮気相手からのメッセージ受信テンプレ反応?!ガキでももうちょっと上手くやんぜ?!
下手すぎる嘘に呆然としていると名前はスマホをバッグにしまいこんでしまった。視線は泳いでいて、たまに俺と目が合えばすぐに反らしてメニューを見始める。おいおい、嘘つけないタイプなのは知ってたけどこんなわかりやすいことある?
絶対に男からのメッセージじゃん…とぐるぐる考えながらタバコに火をつけ、自分を宥めるように煙を吸う。ああ、今日は吸い込んだ煙がやけに重たい。

「決まったから注文してくるね」

そう言ってメニュー片手に席を立った名前。バッグはそのまま、もちろんスマホもバッグの中。
邪な考えが脳裏を過る。名前のスマホの暗証番号は知っていたし、今なら彼女の情報源を覗くことは容易いだろう。ロックを解除して先ほどのメッセージを確認するだけだ。
その考えがちらついて向かいの席に置いてあるバッグを凝視してしまう。彼女のスマホを見るなんて大罪を、決行するか否か。

ぐ、と息を飲んで指先だけをピクリと動かす。もし、もし男からだったら?俺の知らない男が名前に「ハニー、早く会いたいいつ帰ってくる?」なんてメッセージを送りつけてきてたりしたら…いや、知らない男ならまだいい。もし知ってる奴なら最悪だ!例えばゼノとか…まぁゼノに限ってそんなことはありえねぇとは思うが…。
腕を伸ばすか伸ばさないか、スマホを見るか見ないかで膠着している俺の思考がぐるぐるめぐる。誰か俺の足を蹴りあげて「早く決めろ」と渇を入れてくれないだろうか。

「はー…やめだ、やめやめ。」

思わず前のめりになっていた姿勢を崩して椅子の背もたれに体重を預ける。確かにメッセージは気になる、気になるが。まだ名前とろくに話もしていないのだ。決めつけるには早計だし、なんなら俺はまだ名前を信じている。なら、俺も名前に誠実でいていつでも信用できる男であるべきだ。
タバコを灰皿に押し付けてもう一本に手を伸ばす。その手を何者かにぱしりと掴まれギョッとその人物を見るとピンクカーネーションが怪訝そうに形を尖らせていた。

「スタン、吸いすぎ」
「ハニーが中々帰ってこないもんでね」
「あなたの可愛いハニーがドリンクを持って戻ってきたんだから褒めてよね」
「アンタはやっぱり最高の女だよ、サンキュ」

そう言ってテーブルにドリンクを置く名前の頬にキスをするとふふっと名前から声が漏れた。唇の端をご機嫌に上げた名前が「もう!」とくすぐったいことを口してするりと俺から逃げ出す。そして向かいの席に座って「あのね」と会えなかった時間を埋めるように話を切り出した。

あっぶねー!思ったより早く戻ってきたなスマホ見てたら絶対バレてた。勝手にスマホ見たのなんかバレたらさすがに名前でも俺に不信感を抱くだろう。速攻フラれてしまってもおかしくはない。セーフセーフ、俺の理性にチアーズ!

「でね、最近ゼノがね」
「ゼノと会ってんの?」
「なんか彼、今大変そうよ?スタンも連絡取ったほうがいいんじゃない?」

…浮気をされるようなことは一切していない。
そう言い切れたなら、どれだけ気持ちが軽かっただろうか?目の前で楽しそうに最近あった話題を口にしている名前に誠実でいれたと主張できたらどれだけ良かっただろうか。
いつもさみしい思いをさせてしまっている手前、そう主張するには二人の時間が足りていない。しかも極秘任務に出た日にはいつ帰ってこられるかもわからない。よくよく考えてみれば、そんな男を健気に待っていられる女なんて滅多にいないだろう。
いつだって連絡が取れて、いつも傍にいて名前を抱き締めてやれる男を選んでしまってもおかしくはない。

それでも俺は彼女を離してやることなんてできないのだ。と、なるとこの状況はいずれ問い詰めてやる必要がある。

「で、さっきから鳴ってるソレは誰からなん?」

ゼノから?とバックを指差しながらわざとらしく探りを入れてみると名前の表情が変わった。その表情は驚きのなかに焦りが見えていてパクパクと微かに唇が動く。

「友達からだよ」
「なら返事してやれよ、ずっと鳴ってんじゃん?」
「返事することないから…」
「ヘェ、律儀なアンタが返事しないなんてことあんだね」

その表情と反応にますます疑いの目を向けてしまう。そして俺の質問に名前も薄々と俺の魂胆に気づいたようだった。眉をひそめて返事に困っているように見える。

「…えーっと、なにか疑われてる?」
「まぁ、薄々と。」
「わかった、あなたの質問に嘘偽りなく答えると誓うわ。だから私を睨まないで。」

知らず知らずのうちに眼光が鋭くなっていたらしい。名前にそう諌められふぅ、と息を吐いてゆっくり目を閉じた。そしてぱちぱちとまばたきをいくつか繰り返して冷静さを取り戻す。さて、これからなにを問うかだが。

「じゃあ質問。さっきからメッセージ送ってきてんのは誰?」
「会社の同僚。」
「しつこく迫られてるとか?」
「残念、女の子よ」

男ではないとキッパリ言いはね除けられ息を飲む。
そもそも一年も彼女の隣を留守にした俺に、彼女が咎められるのか?なんて弱気が見え隠れして仕方ない。

「…じゃあ、浮気とかはしてねぇんだな?」

直球にそう投げ掛けると目をまんまるに見開いて「はっ?」とすっとんきょうな声を名前が上げた。喉から飛び出してきたそれに俺まで面を食らう。

「えっと…とりあえず、どうしてそう思ったの?」
「アンタ、今まで遅刻なんてしたことなかったし」

あちゃー、と言わんばかりに名前の表情が歪む。しかし言い分は聞かずに今日感じた違和感をツラツラと名前にぶつけた。

「なんか久々に会ったらめっちゃ可愛くなってっし、の、くせにキスは拒むし」
「ま、待ってまって!」

名前が俺の言葉を必死に遮って手をぶんぶんと振った。考えがまとまらないのか「えっと、えっと」と言葉を探しながらも俺の疑念を否定しようとしているのは伝わった。

「ま、まず」
「うん」
「今日のメイク、同僚の子にやってもらったの…」
「はっ?!」
「一年ぶりにスタンに会うって言ったら可愛くしなくちゃって朝から大改造。で、時間が押しちゃって」

遅刻はそれが原因ですと主張する。メイクに関しては名前が選びそうもない色ばかりなことを疑っていたが、そう言われてみれば納得はできた。しかし。

「キス拒んだのは?」
「リップの色がスタンについちゃうでしょ?」
「気にしねぇよそんなん!」
「気にしたほうがいいよ!」

少なくとも私が気にするの、とどうでもいい意地を張られてしまった。んなことで一年ぶりのスキンシップを断られたのか、と胸の奥がもやもやしつつも名前らしい言い分で文句のつけようがない。

「えっと…つまり」

彼女の言い分を俺なりにまとめる。が、これはあまりに。

「全部俺のため…?」

自信なさそうにこくりと頷く名前の瞳が揺れていた。一方俺はやらかしたと全身が冷えるのを感じた。この季節に手足が冷えることがあるとは思わなかったが、すべて自分が悪い。

「反応どうだったか聞かれてもスタン、なにも言ってくんないし返事できなくて…」
「うっ…」
「に、似合ってない…?」
「めっちゃくちゃ可愛いよ、天使かと思ったわ。」

考えうるかぎりの称賛を名前に伝えるが全部「ふーーーん」と信じてなさそうな返事で流されてしまう。そりゃそうだ、俺が名前を疑っている間ずっと名前は俺からの言葉を待っていたのだ。それなのに俺はずっと探って挙げ句の果てには未遂とはいえスマホまで覗こうと企んでいた。我ながら最低すぎて笑えてくる。
俺が悪いとはいえ居心地が悪くて逃げるようにドリンクに口をつけた。ジンジャエールのしゅわりとした泡までもが俺が悪いと突きつけるもんだからまいってしまう。

「あのさ、香水はどうしたん?アンタきつい匂い嫌いじゃなかったっけ」
「へ、香水?」
「つけてんだろ?花の匂いがすんぜ」
「まだ私のこと疑うの?」
「違う違う!純粋な疑問だよ」

手首をくんくんと嗅いでみて「そんな香りする?」と首を傾げる名前。が、すぐになにかを思い出したように「あっ」と声を上げた。

「最近仕事の部門が変わってね」
「そうなん?前まで健康食品の研究やってたんだっけ」
「うん、そうなんだけど化粧品開発に回されて毎日ヤバい匂いの香水に囲まれ続けたから鼻がバグってるのよね…」

配属当初は毎日吐いてたと遠い目をしてしまった名前。環境に元々の体質をねじ曲げられたと主張する名前が哀れで思わず彼女のグラスにかちんと自分のグラスをぶつけた。

「今朝ラボに寄ったし匂いついちゃったのかも。」
「わかった、もういい。全部信じる。」
「やっぱり疑ってたんじゃない。」

もう、と少し呆れたように唇を尖らせた。悪かったよと何度謝っても許して貰えなさそうだ。いやでも名前もかなり、かなーり怪しい行動してたかんねと突きつけてしまいたい。が、今は反感しか買えないだろう。

「今日の名前、ホント可愛いよ」
「そう伝えておくわ」
「同僚じゃなくて名前に言ってんだよ」

すり、とテーブルの下で足を絡ませてやると小さな反応が返った。少しだけ耳を赤らめてバカ、と呟いた名前に「よしよし、あともう一押しだ」と被害は最小限に留められるように丸め込めるよう言葉を紡ぐ。

「ああ、でもこれ以上可愛くなると困んな」
「どうして?」
「あんま可愛くなりすぎっと他の男がほっとかないかんね」
「…まぁ、そういうことにしといてあげる」

簡単には丸め込まれてはくれない名前に許してくれよと許しを乞うていると先ほど名前が選んだピザやらポテトやらがテーブルに運ばれてきた。それに一瞬だけ瞳を輝かせるがすぐに表情をムッと切り替える。まだ怒ってますアピールをするつもりらしい。
…こいつ、俺のことからかいはじめてんな。

「わかった、これ食い終わったら名前が行きたいとこ連れてってやんよ。」

その言葉にピクリと名前の指が動いた。よしよーし、もうちょいで仲直りできそうだな。

「海でも遊園地でもどこでもいいぜ?アンタが好きなアイスクリームを食べに行ってもいい。」

どこでもいいぜ、と名前を口説いていると俺の必死さに名前が堰を切ったようにケラケラと笑いだしてしまった。やっぱりからかってたんじゃねーか。

「ふふ、じゃあ買い物に行きたいな。」
「…ついでにアンタに似合う香水をプレゼントさせてくんない?今の香り、似合ってないからさ。」
「今鼻が効かないから匂いわかんないかも」
「いーんだよ、俺と周りがわかれば。」

タバコの匂いをさせているよりよっぽど健全だな、と呟くと名前から「ああ、そういう…」と車内のことを思い出したのであろう呟きが聞こえた。欲深い男で悪かったなとぼやくが俺を許し、ずっと楽しみにしていたであろうピザを目の前にした名前には届かなかったらしい。

「ね、冷める前に食べよ」
「ははっ、アンタやっぱ可愛いよ。愛してんぜ、名前。」
「私も愛してるわ、スタン。」

ルンルンとピザを皿に取りながらそう言われても説得力なんてものはない。ただただその「愛してる」が本心であることが確認できただけ良しとしよう。
ピザを手に取りながら名前を見ると「美味しい」と舌を唸らせながら幸せそうにピザを頬張っている。そんな彼女が愛しく、思わず俺の頬が緩んだ。
ああ、ようやく一年ぶりのデートを心から楽しむことができそうだ。

公開日:2020年10月25日