魅惑のトワレは疑惑のブーケ 前編

リクエスト内容:夢主が浮気をしていないか探っちゃうスタンリーの話


知らない女の匂いがする。

待ち合わせ場所でタバコをくわえて彼女を待ちはじめて数十分。珍しく遅刻してきた名前を「会いたかったぜハニー」と熱烈に抱き締めた感想はあまりに執念じみたものだった。もちろん、俺が名前以外の女の匂いをつけているわけではない。名前から、不自然なほどに甘い花の香りがするのだ。
あの名前から、だ。

「スタン?どうかした?」
「いや?久々にアンタに会えて感極まっただけだ」
「本当に久しぶりだものね。」
「いい子にしてたか、プリンセス?」
「もちろん」

車までエスコートすんよ、と腰を抱くとそれを当然かのように受け入れた名前からは変わらず花の香りがする。名前は香水などの人口的な匂いを嫌っていたはずなのだ。気分が悪くなってしまうと笑っていた記憶がある。その名前が、ハグをしただけで鼻につく香りを身に纏っていることに違和感を覚えた。
もちろん俺がこの香りが好きだとか彼女に伝えたことはないし、伝えたところで俺の趣味に合わせて香水を身に纏うような性格でもない。「ああ、スタンこんな匂いが好きなんだ?」と世間話として流されてしまうだろう。

「スタン?どうかした?」
「…いや、なんでもねえよ」
「本当に?気分が悪いとかじゃ…」
「大丈夫だから」

黙りこくった俺に対して名前が首を傾げながら俺の疑念を鋭く見抜く。そのときにもふわりと花の香りがするものだからたまったもんじゃない。
しかし、俺のことを心配しながら俺の顔を覗きこむ名前の表情は固く、こわばった視線を俺に向けていた。明らかに心配していますと言わんばかりの表情や仕草に少しだけ心が安らぐ。
一瞬、名前に対して最悪の疑念を覚えてしまったが彼女の表情を見てそれが勘違いだったと反省した。たかだか香りが変わっただけで愛しい恋人を疑ったことを懺悔すれば「重い人」とアンタは笑ってくれるだろうか?

ふと彼女のまつげがいつもより長く綺麗に巻かれていること、目の下には薄付きのコーラルレッド、唇には鮮やかなピンクカーネーションが咲いていることに気づいた。いつもよりも顔色が明るく、血色もよく見える彼女の普段見ることができない表情にドキリと胸が鳴った。化粧だとか美容だとかの知識がない俺でもわかる、名前は今日精一杯のオシャレをして俺に会いにきているのだ。そんな彼女が愛しくって今すぐにでもキスしてやりたいね、なんて企みながら足早に車へ向かった。

「い、今はダメ…」

疑念が確信に変わる瞬間というものは、こんなにも呆気ないものなのか。車内でエンジンをつける前に彼女の唇にキスをしようとした俺を拒む名前を見てそう漠然と悟る。約一年ぶりに再会したにしては随分粗末な扱いにぽかんと口を開けたまま言葉が出せない。

「今日予約してるお店ね、ピザが美味しいらしいの。早く行こ?」

そう言って名前が急かすものだから考えがまとまらないまま曖昧な返事をして車のエンジンをつけ、目的地に向かうためアクセルを踏み込んだ。

いつも待ち合わせ10分前には待っている彼女が今日は遅刻してきたこと。不慣れなはずの背伸びした化粧にしては肌に馴染みすっかり自分の魅力を引き出すのに成功していること。いつもなら拒まない俺からのキスを拒んだこと。そしてなにより苦手なはずの香りを全身に纏っていること。
すべての違和感に対して考えうる可能性はたったひとつ、俺以外の男の存在だ。

思わずハンドルを握る力が強くなり、ぎり、と奥歯を噛み締める。久々に名前に会えたことに対する胸の高鳴りが一変、苦しいほどにぎゅうと心臓を締め付けられ息が少し浅くなる。苦しくなった俺はそれを逃すように大きく息を吸って吐き出した。

「スタン?やっぱり様子おかしいよ、一旦家帰る?」
「いや、大丈夫だからさ、タバコとってくんない?」

そう伝えてグローブボックスを指差すと「本当に大丈夫なのね?」と念を押しながらタバコを取り出すために少し前屈みの体勢を取る。そしてタバコとジッポライターを手にとって運転をしている俺の口元にタバコを一本差し出した。それをくわえるとすぐにライターの火を寄越してくる。

「サンキュ、愛してんぜ名前」
「ふふっ、私もよ。スタン」

ああ、その言葉を素直に聞けたならどれだけ幸せだっただろうか?今はただ、その言葉が本心であることを願うほかない。
ちらりと横目で名前の様子を伺うとそれに気づいた名前がにこりと微笑む。その笑顔が可愛くってぐらりと気持ちが揺らぐ。やっぱ気のせいだろ、と頭が都合のいいほうに傾くとそのたびに彼女の花の匂いが俺の頭を撃ち抜くのだ。
堪らなくなって思わずタバコの煙をふぅ、と名前に吹き掛けた。

「も~、いきなりどうしたの?」
「アンタが可愛くってつい」
「ほら前見て運転して」
「あいよ」

どうか俺が吹き掛けた煙が、名前の甘ったるい香りを掻き消してくれることを願う。髪もその可愛い顔も、いつもより高いヒールも、彼女のすべてが俺のものだと主張するように何度も車内が煙で満たされるように重たい息を吐き出した。

「タバコ吸いたかっただけ?」
「そーだよ」
「もう…。そろそろ本数減らさないと病気になるわよ。知ってる?喫煙指数が400以上だと肺がんのリスクが高くなるんだからね?」

そう小言を言う名前。そんな彼女を信じたい気持ちと疑ってしまう気持ちを交互に繰り返しながら隣でピザを楽しみにしている名前のために車を走らせた。なんて健気な男なんだ、涙が出てくんね。

公開日:2020年10月25日