お触り禁止法令発令中! おまけ

限界だ。
タバコを口にくわえ、それを吸いながら脳裏に過った言葉はそんな弱音だった。なぜ俺がこんな窮地に立たされているかは長い回想が必要になってしまうため割愛しよう。

三日、もう三日も名前に触れるどころか会話すらしていないのだ。前代未聞の世紀末のような危機に先日からタバコの量がかなり増えてしまっている自分に呆れ返る。ちなみにゼノにタバコを取り上げられそうになったのを「タバコまで奪わないでくれ」なんて情けなく乞うたのは昨日の出来事だったか。
とにかく、俺は疲弊していた。愛しいハニーと会話できないだけでこれだ、自分が情けなくて仕方ない。

「よお、スタンリー。わかりやすく落ち込んでんな」
「うるせー」

裏庭のベンチに座りタバコを吸っていた俺にそう軽く声をかけたのはブロディだ。いや、まあ、部下はこの状態の俺に近寄ろうともしないため至極当然だが。

「なに?なんか用?」
「さっきお前のハニーがゼノと楽しそうに歩いてたぜ」
「その話はやめてくれ!吐きそうになる!」

タバコを手に取り、両手で両耳を塞ぐ。んだよからかいに来ただけかよ趣味悪ぃな!と悪態をつくがブロディはバハハ!と笑い飛ばすだけだ。そりゃそうだ、周囲にとってこんな面白い状況も滅多にないだろう。

「で?盛大に喧嘩したんだって?」
「誰から聞いた」
「ゼノが愉快そうに話してたぜ」
「あいつロクなこと喋んないね」

ハァーとデカイため息をついて笑いたきゃ笑えよと投げやりに答えると「聞いたときにさんざ笑ったからいい」と無情な言葉が返ってきた。最悪だ。

「限界そうじゃねーか」
「あーもうとっくに限界だよ。今すぐ名前を取っ捕まえてベッドに引きずり込みたいくらいだ」
「テメェらの事情は知らねえが士気は確実に下がってんぜ。大丈夫かよ隊長さん」

その言葉になるほど、ブロディの腹が読めた。この男は上司の機嫌が悪ぃから部下が萎縮しちまってるとわざわざ忠告しにきたのだ。余計なお世話だと言いたくもなるが否定もできない。

「俺の部下に泣きつかれて先陣切って忠告ってワケ?」
「つーかマジでなに指示したらあんだけ大の大人震え上がらせれんだよ」
「うちの隊に赤ん坊はいないはずだがブロディママ助けてって?アンタでけぇ子供がいるんだな。言っとくけど名前に近づいたら脳天ぶち抜くって宣言しただけだぜ?」
「十分ヤベェこと言ってんじゃねーか」

当たり前だ。恋人である俺が名前との会話すら許されない状況で他の男が名前と同じ時間を過ごすなんて耐えられない。本来ならばゼノにも近寄んなと言ってやりたいところだが、今回ゼノは最悪なことになぜか名前の味方だ。言ったところで「自業自得だね、早く謝ってしまえばいい」と正論を振りかざされるだけだろう。

「喧嘩するのは勝手だがな、周り巻き込んでんじゃねーよ青二才」
「わーるかったよ、ただこんくらいで士気が下がってんじゃイチから鍛え直す必要があんな」
「その前に仲直りしちまえっつってんだバカか。悪かったハニー許してくれも言えねーのかよ」

簡単に言ってくれるが、事態はそんな単純なものではない。正直、一週間でも二週間でもなんて大見得を切った手前、引くに引けない状況だ。素直に頭下げれんならとっくに下げて許しを乞うているだろう。どうしてあんな啖呵を切ってしまったのか、三日前の自分をぶん殴ってやりたい。

「あ、名前」

ブロディが名前の名前を口にする。思わずバッとブロディの視線の先を見ると資料をたくさん胸に抱えてのんびり歩く名前の姿が見えた。あんなに資料持ってどこに行こうってんだ?いつもならすぐに駆けつけて資料を奪い終点までエスコートするところだがー…。

「おい名前!」

ブロディが大声で彼女を呼ぶ。バカやめろ!という俺の制止など聞いちゃいない。こちらに気づいた名前はにっこり笑ってブロディに小さく手を振るのだ。うわめちゃくちゃ可愛いな、あいつあんなに可愛かったっけ?

「そんな大荷物でどこ行こうってんだ?」
「ゼノのお使いでね、書庫に行くの」

穏やかにそう話す彼女はどうやらベンチに座っている俺に気づいていないらしい。それは好都合だとタバコをくわえるが、ブロディが俺の足を蹴り上げ「はやく謝れ今すぐに!」と小突いてくるのだ。やめろ俺がいんのバレんだろ!と小声で抵抗するとブロディに首根っこを掴まれそうになる。しかし、こちとら元海兵隊特殊部隊、なんなら隊長やってんだ。いくら天才メカニック様でも簡単に俺の首はとれない。

「じゃあ私行くね、またあとで!」
「おー、足元気を付けろよ!」
「もう!転んだことをいつまでも笑わないで!」

またあとで?転んだことを笑わないで…?
そのワードに眉間に皺を寄せていたら名前の足音が遠ざかるのが聞こえた。言葉通り書庫に行くのだろう、ああ、保管してある資料に夢中になりすぎないといいが。

「テメーいつまで意地張ってんだ!」
「うるせえうるせえ、それよりまたあとでってなんだよ」
「あとで誰かさんが使う銃の設計会議すんだよ」
「…二人で?」
「他に誰がいんだ」

キツイ。素直に感じたことはその三文字だ。いつもなら俺もその場に参加して野次を飛ばしたり使い勝手について口を出したりしただろう。そこに自分がいないことがこんなにもしんどいとは思わなかった。
沈んでしまった俺にブロディが追い討ちをかけてくるものだから余計にたちが悪い。

「だから早く謝っちまえって」
「…アンタ、愛した女に一週間触んなって威嚇されたことは?」
「ねーよ」

なら俺の心情なんざ1ミリも理解できないに違いない。こちとら愛した女に触んなって言われてんだぜ?そのショックはその状況に陥った人間にしかわからない。

「どーせテメェが悪いんだろ」

その言葉に返す言葉が見つからない。そーだよ俺が悪いなんてブロディに言ったところで名前には伝わらない。それが分かっているからこそ言葉が詰まってしまう。

「ま、一週間で収まんならいいな。」
「…一週間で収まるといいね」
「どんな喧嘩したんだよ」

そう言ってタバコを口にくわえる。すう、と息を吸い込み吐いたところでブロディが声を上げた。

「スタンリー、それ、火ついてねえぞ」

その言葉に耳を疑う。恐る恐るタバコの先を確認するとブロディの指摘通り火はついていなかった。嘘だろ、と絶句していると「マジで気づいてなかったのか」とブロディまでもが動揺していた。うっわ、情けなくて笑えてくんな。自分が思っているよりも相当重症らしい。

「マジで早く謝ることをオススメすんぜ」

肩にポンと手を乗せられ、そう宥められてしまい火のついていないタバコをがじ、と噛ってしまう。だからそれができたら苦労はしないといわんばかりなため息を吐きながら数分火もつけずにくわえていただけの草臥れたタバコを灰皿に押し付けて新しいタバコをくわえ直した。

「火のつけ方わかるか?」
「うるせーな、わかんよ。今はな」

いずれはどうなるかわからない。という趣旨の発言にブロディがあからさまに呆れ返った表情を眺めつつマッチでタバコに火をつけた。ずっと吸っていたつもりだったが、改めて煙を吸い込むと肺がじんわりと満たされていくのを感じる。煙が入ってこないことにすら気づかなかった自分に改めて嫌気が差した瞬間だった。

「今のお前、部下が見たら泣くぜ。あのスタンリー隊長が女一人にぐずぐずにされてるってな」

なんとでも言えよと諦め半分に煙を吸い込んでは吐く。タバコを吸っているのに満たされないこの感情を、早く名前で満たしたい。そんな弱音を飲み込んで煙と共に本日何度目かもわからないため息を憎いほどに青い空に大きく大きく吐きつけた。

公開日:2020年10月17日