君を拐って月夜を歩く 後編

「こんな素敵なパーティーはじめてよ!」

地面に足がついた瞬間に俺を見上げながらそう宣言した彼女はくるりと回ってドレスの裾を揺らした。その姿がゼノと会話していた穏やかな表情の彼女と重なる。脱出劇を経てようやく俺は彼女の御眼鏡に適ったらしい。

「ねえ、少し歩かない?」

そう俺に素敵なお誘いを口にしてにこっと少女のように笑うカメリアローズ。「ぜひお供させてくれ」と返事すると黒いハイヒールが踊った。
郊外にあるパーティー会場だったもんで周辺にはなにもないが、この場合は好都合だったらしい。静かな夜に彼女のハイヒールの音が響く。青緑のロングドレスが月に照らされてなんとも言えない妖艶な雰囲気を醸し出している。しかし、ドレスよりも美しい彼女の白い肌が透けて彼女の魅力を引き出して仕方ない。会場で見かけたときよりも月下の彼女は綺麗だった。
そんな彼女に見惚れていると風がヒュウと俺たちをからかう。この時期は夜に気温が下がるせいで空気も風も少し冷たい。彼女を見やると大きく露出された彼女の背中が肌の白さも相まって温度をまったく感じさせない。思わずむき出しの肩を抱くと信じられないほど冷たく、氷のようだ。

「冷たいじゃん、大丈夫?」
「あなたって優しいのね。大丈夫、元々体温は高くないの私」

俺が優しい、な。ゼノが聞いたら笑い転げちまいそうだ。ホント、アンタが例外なだけだぜと突きつけてやりたいが彼女と出会って二時間も経過していない俺にそんな度胸はない。優しいついでにジャケットを脱ぎ彼女に羽織らせてやると長いまつげがぱちりと俺の瞳を見つめた。

「なに?」

その瞳がなにか物言いたげで彼女が口を開く前に疑問を投げ掛けると、困ったように息を吐いてしどろもどろに返事をする。

「あ、ありがとう。」
「どういたしまして。で、なんでそんな驚いてんの?」
「言ったでしょ、私の周りの研究者はこんなにスマートに女性を助けられないって。」
「ヘェ、照れてんの?」

そうからかってみると、彼女が息を飲んで「…違うけれど」と否定する。しかし目があわないところを見ると俺の主張は正しいらしい。彼女の周りにいる不甲斐ない男たちに感謝した瞬間だった。
俺のジャケットを羽織って襟付近を両手で支える彼女の小さな体はすっぽりとそれに収まっている。ドレスのハイネックは見えなくなってしまったがその代わりに俺のジャケットで暖を取る可愛らしい姿を見られたので良しとしよう。

「すごく温かい、ありがとう。」

そうはにかむ彼女にノックダウン寸前だ。今まで余裕ありげに彼女を連れ出し、会話をしてきたが実のところ余裕なんてない。そもそも今まで女とマトモに会話することを避けてきたんだ、いきなりタイプの女を口説けと言うほうがおかしい。
…ゼノ、普通に会話してやがったな。あいつ、こんなに可愛くて甘い匂いがする彼女と仕事してるの凄くねぇ?俺ならタバコの量が増えてしまいそうだ。

「あなたのジャケットも素敵だけど、ブルードレスも見てみたい。写真とかないの?」
「男が自分の正装姿の写真なんざ持ってるわけないね。」
「そう、残念。」

そんな会話をしながら夜道を歩く。少し自然が残る明かりもない田舎道を今日初めて会った女と歩いている状況になんだか少し笑えてきてしまう。月を夢中で見上げる彼女の横顔に光が落ちる。その横顔に、表情に心拍数が上がる。
…ヤバい、かなり本気になっちまいそうだ。いや、彼女を会場から連れ出した時点で俺は彼女に完全に心を奪われていたのかもしれない。クソ、ゼノにまたからかわれちまうな。
そんなことを考えている間、彼女は夜空を見上げていた。彼女も科学者だと聞いていたし、星だの月だのが好きなのも頷ける。ゼノと違うのは、お喋りもせず静かに一人なにか考えるかのように空を見上げていることだった。
しばらく無言が続いたあと、彼女がぽつりと空に向かって呟く。

「私、軍人さんに拐われるなんて初めてよ」

突拍子もない言葉に、まさかずっとそのことを考えていたのか?と胸が締め付けられた。あんなに綺麗な横顔で静かに俺との出来事を反芻していた事実は、何よりも俺を喜ばせる甘い罠だ。

「俺だって名前も知らない女拐ったのなんざ初めてだよ」

そう伝えると月を見ていた顔がぐりんとこちらを向く。ぴたりと止まった足と彼女の挙動。そして呆然と俺を見る大きな瞳がぱちりぱちりと上下したあと、唇が大きく動いた。

「わ、私あなたの名前を知らないわ!」
「俺もアンタの名前知らないよ」

気づいてなかったん?と問うとこくこくと目を丸くしながら頷く。なるほど、名前を聞く価値もないってね。

「あなたの名前を教えて」
「アンタの名前、教えてよ」

ほぼ同時に同じ内容を口にした俺たちの声が重なる。それを言い終わったあと、顔を見合わせて二人でケラケラひとしきり笑い合う。そしてスッと彼女が手を差し出した。

「私、名前よ。名乗るのが遅れちゃってごめんなさい。」
「スタンリー・スナイダー。スタンでいーよ。こちらこそ名乗りもせずにアンタを拐っちまったことを許してくれ。」
「スタンリー!素敵な名前ね」

ぜひスタンって呼ばせてねと微笑む名前の手を握る。友愛の握手になんだか距離を感じてしまって仕方ない。腰を抱いたり抱き上げたりジャケットを貸したりしているのに今さら握手をかわすなんて笑えるな。

「ふふ、でも女性を拐ったのは私が初めてじゃないでしょ?」
「初めてだよ」
「嘘、手口が軽やかすぎるもの」
「信じてよ」
「…ま、今日は騙されてあげる」

一切信じてくれない名前に大きく息を吐く。まぁナンパから助けたと言えば聞こえはいいが、俺自身も名前を連れ出してしまったものだから強く否定はできなかった。

「…ゼノに聞いてもいいぜ?」

最後の悪足掻きをぽつりと口にすると「…ずるい人。」なんて呟いて口元を隠してしまった。その姿がどうしても愛らしくて、頬に唇を落としたくなったがぐ、と我慢する。嫌われてしまっては今までの時間が水の泡になってしまう。

「…そろそろ戻るか」

会場からずいぶん遠くまで歩いてきてしまっていたし、先ほど握った名前の手が冷えきっていた。ヒールの高い靴で歩いていたものだからきっと疲れているだろうし、ドレスだって楽じゃないはずだ。

「そうね、そうしましょう」

俺の提案を素直に飲み込んでくるりと踵を返す。エスコートしてちょうだい、といたずらに微笑む名前に「我が儘なプリンセスだ、かわいいね」と耳元で囁いてやって肩を抱いた。甘い香りがしていた彼女から俺のタバコの匂いがして混ざりあっている。ああ、クソ、どうやったら彼女を手に入れられるのか。ぐるりと渦巻く感情に封をして会場までの道を歩いた。

帰り道で普段どんな研究をしているのかを聞いた俺が間違いだった。今までのどんな表情よりもキラキラした瞳でツラツラツラと自分の研究分野を口にして身ぶり手振りでその素晴らしさを語る名前はまさに科学者だ。それも俺が一番よく知っているタイプの。
まさか最後の最後でこんなムードもない状況になってしまうとは。言葉の端々からヤバそうな単語も聞こえてくるし、さすがはゼノの知り合いということか。これは俺のミスだ、彼女は一切悪くない。
もし次に会う機会があれば絶対に仕事の話を
は振らないでおこうと胸に誓っていると、そうか、次に会う予定がないのかなんて、ずどんと頭を撃ち抜かれた気分になった。…ゼノに協力を仰いで休日にメシに誘う、もしくは今連絡先を…待てまて、名前すらさっき教えあったばっかだぞ?連絡先なんて聞いてしまったらやっぱり慣れてるじゃないと言われてしまいそうだ。それだけは避けたい。
マシンガントークをしている名前に相槌を打っているとパーティー会場の明かりが見えた。ああ、この時間も終わりが近い。あと数十分、早ければ数分ですぐそばにある小さな体から離れなくてはならない。

「戻ってきちゃったね」

科学の話を中断して会場の明かりを見つめる名前がそう呟いた。ふる、と小さく震えた名前の体は外で長居するには耐えられないだろう。タイムリミットだ。

「はやく会場に戻ろうぜ。寒いっしょ?」

そう言って名前をエスコートするために肩を抱き直すと、「待って」と彼女の足が止まった。

「どした?」
「スタン、…あの、」
「なに?」

歯切れ悪く目を伏せながら俺の名前を呼ぶ。まるで俺と離れがたいと言わんばかりの行動に、さすがに色眼鏡が過ぎるかと自分のおめでたい頭に渇を入れる。

「実は、私の研究内容が認められて今度お披露目の発表会をするの。」
「ヘェ!めでたいね。」
「そのあとにパーティーがあるの。私が主役の、お祝いのパーティー。あ、あなたがそういう場が苦手なのはわかっているのだけれど…」
「なに?招待してくれんの?」

薔薇の花束持っていきゃいい?と思わずからかってしまう。彼女の口から飛び出てきたのは明らかな好意だ。正直指先が震えて仕方がない。近い距離に心音が悟られてしまったら情けないことこの上ないな。

「…また、私のこと拐ってほしい」

少し潤んだ瞳で、俺の目を見ながらそうハッキリ唇が動いた。その言葉にびっくりして息を飲む。その反面、俺と過ごした時間が楽しかったと暗に告げている彼女へ愛が募る。

「それ、俺のこと気に入ったってこと?」

思わず肩から手を離して名前の手を取るとすんなり俺に手を預ける。ふと名前にしつこく迫っていた男を思い出す。手に触れようとする男を上手く交わしていた彼女が、今、俺の手を受け入れている。
ああ、めでたいねと指先にキスをするとぴくりと可愛い反応が返ってきた。そしてそのままちらりと名前の顔を見ると、月の明かりしかないほの暗い空間でもわかるくらいに彼女の頬が赤く染まっていた。

「…そう、かも、」

そんな返事をされてしまっては仕方ない。薔薇を抱えてパーティーの主役を誘拐する計画を立てるしかないだろう。おいおい、バレたら大目玉食らうのは間違いなしだな。
そうだ、次も月が綺麗な夜がいい。君に出会えた素敵な夜をもう一度、と貪欲にも了解を伝えるために再び彼女の指先に唇を落とした。

公開日:2020年9月30日