君を拐って月夜を歩く 前編

リクエスト内容:スタンリーの一目惚れの話


ゼノが研究でよくわからねぇ賞を受賞したらしい。その受賞パーティーの招待状が送られてきたこと、そしてその日が偶々オフだったこと、そしてゼノから直々に「ぜひ参加してほしい」と連絡が入ったことが重なり、普段は絶対に参加しない改まった場に顔を出すことになった。ゼノと少し会話をしたらすぐに帰る予定で、長居するつもりもない。
久々にブルードレス以外の正装に袖を通し、パーティー会場に赴く。受付で招待状を見せるとすぐに会場に通され、扉をくぐるときらびやかな、苦手な雰囲気に包まれてしまう。とっととゼノを見つけて帰ろう、と幼馴染の姿を探す。今回のパーティーの主役だ、どうせ人だかりができているに違いないとゼノを探すこと数分。結論、ゼノは見つけた。しかし想定外だったのはゼノは人だかりの中心にいたわけではなかったこと、ゼノが女と二人でパーティーの隅で楽しそうに会話をしていたことだった。

あのゼノが、と困惑するも数秒。会話をしている女は深い青緑色のハイネックのロングドレスにパールを合わせている。露出された肌は驚くほど白く、不健康に見えがちだがそれは彼女の表情で間違いであることを知る。大きい瞳が笑うたびに細まってカメリアローズの唇が楽しそうに揺れ、長いまつげが上下するたびにくるくると表情が変わる女。ゼノの話をニコニコ聞いている女と、穏やか且つ楽しそうに話をしているゼノは確かに会場の注目を集めていた。
それがパーティーの主役が長時間同じ人間と会話をしていることに対しての失笑か、ゼノと会話をしている彼女への嫉妬か、美しい女性と楽しそうに過ごせるDr.への羨望か。とにかく二人は目立っていた。

「じゃあまたね、Dr.ゼノ。改めておめでとう!」
「ああ、また。」

二人の声が判別できる距離まで移動した頃にそんな会話が聞こえた。手を振ってゼノと別れた青緑のドレスがくるりと方向を変え、一瞬、俺とぱちりと目が合った。すぐに彼女は微笑んでカツカツと黒いハイヒールを鳴らしながら俺なんか気にも留めずにふいっと隣をすり抜けていく。すれ違った瞬間にふわりと甘い甘い香りが鼻腔をくすぐった。
思わずバッと彼女が歩いていった方向を見るが彼女は人混みにとけて消えていた。

「おおスタン!よく来てくれたね!」

背後からゼノの声がしてハッとする。そうだ、とっととゼノに声をかけて帰る予定だった。もちろん、長居するつもりはない。

「パーティーの主役がこんな隅にいていいワケ?」
「いいんだよ、あまりこういった場は得意ではないのは君も知っているだろう。」

んなこと言ったら俺だって得意ではないことを知っているくせに。そんな悪態を飲み込んで受賞に対して「おめでとう」と口にした。そこから少し近況をお互い報告し合い、会話が一旦落ち着いた頃。話題もなくなり、本来ならじゃあ帰るわとゼノに手を振ってパーティー会場から逃げ出してもいい頃合いだった。しかし、先ほどからゼノと会話をしていた女が脳裏をちらついていて仕方がない。

「あー…ゼノ」
「なんだい?」
「俺と話す前に会話してたさ、ロングドレスの女いたじゃん」

そう切り出すとゼノが目を大きく見開く。そりゃそうだ、俺から女の話を振るなんて前代未聞だ。

「あ、ああ、彼女か。」
「どういう関係なん?」
「スタンが女性に興味を持つだなんて!安心してくれ、彼女は協力会社の科学者だよ!今回の研究も少し協力してもらってね、気が利いて明るくてとても素敵な女性さ!ああ、ちなみに二ヶ月前に話を聞いた限り今彼女に恋人はいないよ!」
「そこまで聞いてねーだろ!」

居心地が悪くて頭をがしがしと掻くが、ゼノと男女の関係ではなかったことや恋人がいないことに少しほっと胸が落ち着いた自分もいる。…クソ、こんなの初めてだ。

「気になるなら声をかければいいさ。」
「簡単に言ってくれるな。」
「おお、僕の幼馴染は女性に声をかけられることはあれど、好みの女性に声をかけることはできないらしい…」
「うるっせーな!」

黙ってろと言ってもゼノは興奮したように「まさかスタンの好みがあんな女性だとは!確かに彼女は所作も笑顔も素敵だからね!」と続ける。調子を狂わされっぱなしで目眩がするが、事実、彼女のことを忘れられない自分がいる。

「…彼女の名前は?」
「スタン、それこそ彼女に聞けばいいだろう。」

ほら、とゼノが指差す先を見ると鮮やかな青緑のロングドレスが視界に飛び込んできた。彼女はこちらに背を向けていて、大きく露出された白い背中が目につく。どうやら男に酒を勧められているようだが表情が読めずに嫌がっているかどうかの判別はつかない。

「今彼女に絡んでいる男はね、彼女を見かけるたびに口説いては玉砕しているタフガイで彼女は彼が苦手だと言っていたよ。チャンスじゃないか。」
「はぁ?!助けてもそのまんまナンパするんじゃアイツとやってること一緒じゃん!」
「だからと言って困っている彼女を放っておくのかい?ほら嫌がってるよ。」

バッと彼女を見ると今まさに男が彼女に手を伸ばし、彼女の手に触れようとしていた。それを上手く交わして手を振って拒絶しているにも関わらず、男はまだ彼女に触れようとチャンスを伺っている。…見ていて気持ちのいいものではない。

「ほらほらスタンリー・スナイダー!今まで女性を蔑ろにしてきた君が初めて女性に声をかける日だ。めでたいじゃないか!」
「…あとで覚えとけよ」
「もちろん、いくらでも話は聞くよ。ああ、救出するのに僕の名前を使っても構わないからね」
「言われなくてもそうするさ」

もうヤケだ、もしどうなっても彼女があの男から逃げられるならいいかと一歩ずつ彼女に近づく。聞こえてきた会話は男の一方的な好意で彼女は薄ら笑いを返すばかり。ここまで拒否されてもなお、話をやめない男に呆れ返ってしまう。まぁ未来の自分の姿かもしれないが。

彼女の肩をぐい、と引き寄せ「Hey!」と声をかける。驚いたようにぱちぱちと俺の顔を見た彼女と目が合い、一瞬体温と心拍が上がったがそれは救出した後にでも堪能することにしよう。

「レディ、Dr.ゼノが呼んでたぜ。」
「あら!そうなの」

俺を見上げたままぱあっと表情を明るくした彼女にくらり。なんなら先ほどから彼女の甘い香りに思考を引きずられそうだった。引き寄せた肩も細くって劣情を抱くには十分すぎる魅力を引き出している。そりゃあこの目の前で口をパクパクさせて驚いている男に口説かれるわけだ。

「Dr.のところまでエスコートしてくださる?」
「もちろん」
「ありがとう!じゃ、そういうことだから。」

そう言って男を一瞥もせずに俺に体を預ける彼女。腰を抱き、少し早足な彼女の歩幅に合わせて人混みに逃げ出して僅か数分、彼女が隣でケラケラと笑い声を上げはじめた。

「ねぇ見た?あいつのマヌケな顔。私が拐われて相当驚いてたわ。」
「人聞きが悪いな、拐ったわけじゃない。」
「あらごめんなさい。助けてくれてありがとう!」

にこりと至近距離で微笑む彼女にかあ、と耳が熱くなる。彼女は俺があの男から自分を救出したことを完全に察していた。なんかボロでも出したか?と次の言葉を探していたら彼女が右手人差し指を立てて持論を展開した。

「ゼノなら人なんか使わずに自分で私を探すわ。」
「確かに、あいつはそういうとこあんな」
「あなたやっぱりゼノの知り合いね?この会場には研究者かゼノの知り合いしかいないもの。」

そして研究者は残念なことにあんなにスマートに女性を助けることなんてできないわ、とずいぶんな言い様だ。しかし思ったより彼女はよく喋り、俺に笑いかけているので先ほどの男が例外だったのだろう。たまに顔を覗きこんで微笑む彼女に動揺しっぱなしの俺には彼女のお喋りが有難い。
なんでもないような世間話とゼノとの関係をお互い話し合った頃、なにか催しがはじまるアナウンスが会場に響いた。それを聞いた彼女は大きくため息をついて明らかに沈んでしまう。それに首を傾げていたら「ああ、ごめんなさい。」と彼女がため息に断りを入れた。

「…実はパーティが得意ではなくって。帰るタイミングを失ってしまったところなの。」

そう告げる彼女に目を丸くして驚いてしまう。ドレスも似合う、会話も上手い彼女もこの場が苦手だとは思わなかった。思わず口角が上がってしまい俺も同じだと口を開く。

「俺も。ゼノに挨拶したら帰るつもりだったんよ」
「それなのに私を助けてくれたの?いい人ね」

厳密にはアンタのことが気になって足止めを食らっただけだが、そんなことをスマートに言えるならば苦労はしないだろう。ちょっと私たち似てるかもねと微笑む彼女の笑顔を今失いたくはない。

「今から学者や研究者たちの発表がはじまるんだけどね、その間、外出禁止らしいの。」
「ゲェ、マジ?」
「エントランスには出られるんだけどね。終わるまで階段が封鎖されてしまうから逃げられなくなっちゃった。」

聞きたい題材もないから地獄よ、と唸る彼女に俺なんて部外者だぜと伝えるとふふっと笑顔が溢れた。じゃあ隅でしりとりでもして凌ぐ?とイタズラに笑って提案する彼女。そうしたらパッと会場の明かりが暗くなってどうやらいよいよ発表会が始まりそうな雰囲気が漂いだした。

「じゃあさ」
「うん。」
「改めてアンタのこと拐わせて」

暗くて油断したのだろう。彼女の目が丸く見開かれて驚いている。あいにく、俺は夜目がきくため彼女の表情は筒抜けだ。右手人差し指を軽く曲げて下唇に当てて少し悩んだあとに、右手で俺のスーツの裾を掴む。そして小声で

「私を拐って」

とかわいいお願いをするのだ。OK、と耳元で囁いて再び腰を抱く。そして人のあいだをすり抜けてエントランスまで逃げると彼女が口にした通り階段は立ち入り禁止のポールが置かれていた。

「なんで外出禁止なん?」
「お偉いさんたちが絶対に自分の演説を聞いてほしいから。ああ、あとつまらないって帰られたらショックだからね。」
「くだんないね」

そんな会話をしながら階段から離れて廊下を歩く。ひとっこひとりいない長い廊下を真ん中まで進んで窓をあけて景色と着地地点を確認。その様子を見て彼女が楽しそうに声を上げた。

「まさか窓から?最高ね、あなた!」
「怖がってたほうが可愛げがあんな」
「ふふ、だってあなた軍人さんでしょ?」

その発言にびっくりして彼女の顔を見るとニヤニヤと笑っていたものだから居心地が悪い。大方ゼノから幼馴染が軍人だと聞いていたのだろう。そして俺がゼノの幼馴染だということは先ほど彼女に教えてしまっていた。

「ほら、今日は月が綺麗なの。散歩にはちょうどいい日だわ!」

そう言って窓から外を見上げて空を指差す彼女の瞳は子どものように輝いていた。聞かなくてもわかる、彼女はこの状況を楽しんでいる。まるで映画みたい!と俺を疑わずにただ早くはやくと急かす彼女の手首をぐいっと引っ張る。そしてあまりにも軽い彼女の体をひょいっと抱き上げた。

「しっかり捕まってろよ」
「もちろん!」

窓枠に足を引っ掛け体を乗り出すと夜風が頬を撫でた。スーツだがこの高さなら無事着地できるだろうと息を吐く。
ああ、そういえば彼女に名前を聞くのを忘れていた。飛び降りたあとにいきなり聞くのはさすがに雰囲気ぶち壊しか?つーか名前も知らない女を抱き抱えてなにをしようとしているんだか。
ちらりと覗き見た彼女の表情がキラキラと輝いていて眩しい。ああ、飛び降りてから考えよう。今は彼女を拐うことが先だろう。
邪な考えを月だけが見ている、そんな夜だ。頼むから俺の好意は見透かさないでくれよと柄にもなく願いながら俺は窓枠から足を離した。

公開日:2020年9月27日