水底逢い引きはゆびきりの後で

リクエスト内容:危険な目に合う夢主さんを助けてくれるスタンリー


視界を掠めた一匹の鳥を双眼鏡で追いかける。鮮やかな青に黒色のネクタイ、腹部から胸にかけては美しい白がちらついている。複数羽で移動している鳥たちに見とれていたら背後から殺伐とした言葉を投げ掛けられた。

「気になんなら撃ち落とすか?」

とんでもない!と慌てて背後にいた人物…スタンリーを「やめて」と諌める。双眼鏡を下ろして彼を見ると既にリボルバーを構えていてなんて人の心がない人なのか!と少し目眩がした。

「あのね、スタンリー。私はあの美しい鳥が欲しいわけでも殺してほしいわけでもないの。」
「ヘェ、生態系調査でも始めんのかと思ったぜ」
「…あの鳥はアオカケスね。少しだけ色味が変わってしまっているけどあの鳴き声と鮮やかな青は数千年経っても変わらないみたい。早く銃を下ろしてスタンリー、彼らは群れや家族で行動するのよ。しかも今は繁殖期、ペアで行動しているはずだわ。あなただっていきなり恋人を失いたくないでしょう?」

くるりと振り向いてスタンリーにそう告げるとタバコを上下に揺らして了解を伝え、リボルバーを腰に納める。良かった、理解してもらえたみたい。

「アンタ鳥にも詳しいんだな。」
「専門外だけど多少はね。」

そう言って再びアオカケスを双眼鏡で観察しようとする私を今度はスタンリーが待てと諌め、双眼鏡のレンズを手で覆った。美しい青から一変、双眼鏡の世界が一瞬で真っ黒になりびくりと体を震わせるとスタンリーがその流れで私から双眼鏡を奪い取る。

「今日の目的は?」
「ち、地形調査…」
「なら双眼鏡は没収だ。」

彼のバックパックに乱暴に双眼鏡が仕舞われる。正論だ、ぐうの音も出ない。
本日私たちは居住区周辺の地形調査に赴いていた。目が覚めてから一年、衣食住や身を守るための武器の製造に時間をかけていたからようやく地形調査…今回の目的は地図を作ることだが、それに乗り出せた。二人一組で周辺を歩き、危険地帯や生物の調査はもちろん、鉱物や植物などのリサーチも目的としている。だから屈強な軍人たちではなく、研究職でのらりくらりと生活していた私が抜擢され、最強のボディーガードをつけられたわけだ。実際に本日既に二度狼に襲われかけたのでその判断は酷く合理的に見える。

「やっぱりかなり地形が変わってしまってるね。何度か大きな地震もあったみたいだし、仕方ないか。」

そうぼやいて自由気ままに紙にメモを取りながら歩く。思考と視界を地形調査や目の前の自然に奪われるため足元も注意も散漫になっている私をスタンリーは支えたり方向を変えさせたり世話を焼いてくれる。ゼノで鍛えられたのだろう、手口が自然で思考の邪魔にはならないサポートだ。

「あなたも苦労してたのね。」
「わかってんなら前見て歩いてくんない?」

バツ悪そうにタバコの煙を吐くスタンリー。さすがに私も子どもではないので「そうね、そうする。」と呟いてきょろりと周辺を見渡す。耳をすますとどこからか水が流れる音がする、近くに川でもあるのだろうか?それは確認をしておかなくては。

「スタンリー、どこから水の音がするのかわかる?」
「水の音?…右前方だな。こんな森の中に川でもあんのかね」
「十分ありえる。」

スタンリーの言う通りに右前方に歩を進める。自由なプリンセスだ、と後ろから文句が聞こえたが今はそれどころではない。どこから水が?と好奇心に駆られた私を止められるのは心を向けているものだけだろう。少し歩くと木ばかりが生い茂っていた森に微かに差し込む光。…木がない場所がある?光に導かれるように軽く駆け足でそちらに向かうと少し拓けた場所に出た。
地震の影響で断層が隆起しできたであろう崖か、と冷静に崖の先を目指す。水の音は崖下から響いていて覗きこむと流れの早い川が視界に飛び込んできた。崖の高さは推定三十メートル。ずいぶんと長い時間をかけてできたらしい土地に「ううん」と軽く唸って紙を取り出す。

「おい危ねぇからもう少しこっちきて作業しな。」
「そうする。」

くるりと踵を返すと、ゼノに無線で連絡を取っていたスタンリーが私に手招きをするものだから少しだけ笑ってしまう。案外過保護よね、と歩きながら紙にペンを走らせようとした瞬間だった。
聞き慣れない音が足元から聞こえて一秒も経過しない頃、突如地面が消える。比喩でもなんでもなく、轟音の中崩れゆく地面と傾く体に理解が追い付かない。悲鳴を上げる間もなくバランスを崩した私の視界に映るのは憎いほど青い空。突然の浮遊感と、重力によりハッと息を飲む間もなく落ちる体に無意識に死の影を見る。
しまった、と思う頃にはもう遅い。私の体は自然の猛威に突き飛ばされ、空中に投げ出されていた。

「名前!」

スタンリーの、私の名前を叫ぶ声が聞こえたような感覚がしたがそれどころではない。死と落下の恐怖に耐えかねて朦朧とした意識に喘ぐこともできず、ただただ自然に身を任せることしかできない。
が、突如、重力とは違う力で腕を強く引き寄せられる。青い空が一変、恐ろしいほど綺麗な顔をした、いや違う。顔を蒼白にしながらも力強く鋭い瞳を有した軍人が私の体を強く強く抱き留め、落下の運命を共にしていた。

「死にたくなきゃ息止めな!」

頭を彼の腕で庇われながらそう叫ばれ、止まっていた呼吸を一吸いだけし、水に落ちる数秒ギリギリに息を止める。
そして激しい水飛沫を上げる川と、水に呑まれる音がしてごぽりと体内に水が遠慮なく侵入してくる。その感覚に耐えかねて体内の酸素を吐き出した私は、あまりにも呆気なく意識を手放した。

何度も自分の名前を呼ぶ声が遠くから聞こえる。体内からこぽり、と音がして沸き上がってくる不快感に思わず喉を開いて喘ぐ。自分の力ではなく、他の力により体を横向きにされた私は肺に入り込んでいた水を吐き出した。ゲホゲホッと盛大に息と共に嗚咽を洩らすが、それよりも生きていることに正直、驚いていた。三十メートル下に落下し、体のどこにも痛みがないのだ。
ハッとして声がした方を見ると手を伸ばせば届く距離に心底安堵した表情で河原に座り込んでいる命の恩人の姿が見えた。…まさか私を庇いながら一緒に川に飛び込むとは思わなかった。

「す、すた…」

ぜぇ、と息を吐くものの声にならない。大きく息を吸ってようやく騒ぎだした心臓に改めて生を認識することができた。すると彼が優しく私の頬をするりと撫でる。…脈拍を測っているだけかもしれないけれど、彼の手がただ暖かくって安心してしまう。とにかく彼にお礼が言いたくて、腕で体を支えながら起き上がると酷く疲労を感じた。意識を失っていたとは言え水中にいたのだ、酷く当たり前のことだろう。
彼と同様に河原に座り込み、はあ、と息を吐くといきなりスタンリーが私の体を引き寄せ、抱き締めた。

「痛いとこない?」
「平気…」
「寿命縮んだ」

そう言って強く私を抱き締める手は震えていた。その言葉や行動に驚いて、深く息を吸う。私を助けてくれた勇敢な彼が震えている。ああ、なんて浅はかな行動だったのだろう。思わずぺらり、とスタンリーに対して「私は大丈夫」だということを伝えようと口を開いた。

「昨日の雨を考慮していなかったわ。地盤が緩んでいた場合、一定の確率で崩れることくらい計算すれば判ったのにね。あと両手さえ塞がっていなければもう少し早く反応できたし、あなたの言う通り前を見て歩かなかったことの報いだわ。しかも雨のあとだからとても流れが早かったでしょう、それを見ておきながら崖が崩れることを想定できなかったのも私の落ち度だわ。あ、あとこの水は淡水のようだけれど淡水溺水にならなくて良かった!まぁ大量に水を飲んだ場合のケースだし、溺れるときってそんなに水を飲まないことが判明しているから確率は高くなかったのだけれど」
「名前」
「あ!そうだ、私の息が止まってから何分経過した?思いの外頭が回るものだから脳にも影響はなかったみたい、」
「名前!」

私の言葉を大きく遮る彼にびくりと体を震わせる。私は大丈夫だということを伝えたかっただけなのだけれど、なんだか逆効果みたいでスタンリーの私の体を抱き締める力が強くなる。そして顔は見えないものの、ぼそりと彼が呟いた。

「…強がらなくていい。」

その言葉を聞いた瞬間に体が震え出し、ぼろりと涙が溢れた。助けてくれた彼に平気だと言いたかったけれど落ちる世界と体、水に呑まれる音やしばらく意識を失っていた事実は確実に私の精神に酷く爪痕を残していた。

「悪い、俺がついてたっつーのに怖い思いをさせちまった。」
「すた、スタンリーは悪くなくて…!」

助けてくれたじゃない、と彼にすがりつく。ぼろぼろと溢れる涙を拭うこともできずにただただ彼にしがみついて数分。彼の心拍と体温のおかげでようやく落ち着くことができた私は彼から少しだけ離れて瞳を見ながら問う。

「スタンリーは大丈夫?怪我とか…」
「してても言わないね。カッコつかねえじゃん」
「…十メートル以上の高さから落下した場合、水だとしてもコンクリートに落下したときと同じ衝撃が」
「ヘーキだから心配すんな。」

濡れた髪をわしゃりとかき上げてそう吐き捨てる彼。…帰ったら絶対に問診してやろう、普通なら全身打撲で死んでしまう高さから落ちたのだ。平気なはずがない。…平気なはずがない。

「…ごめんなさい、あなたまで危険に晒してしまった。」

そう言って彼の胸板に頭をうずめるとスタンリーが髪を撫でる。その手があまりにも優しくてまた泣いてしまいそうだ。

「今日見てた鳥、アオカケスだっけ?あんときアンタが言ったこと覚えてる?」
「彼らは群れや家族で行動を」
「その話の最後。」
「…あなただっていきなり恋人を失いたくないでしょって…」
「そういうコト」

マジでビビったけど、アンタが無事で良かった。そう言って顎をくいっと持ち上げて優しく唇にキスをした。その行動に驚いてぱちぱちと瞼を上下させるが、こういうときは瞳は閉じておくものだ。私たちは恋人じゃないけれど、なんていう無粋な考えは消し去ってただただ彼の吐息が、彼の心音が暖かくて安堵する。ああ、生きている。

「何度でも守ってやっから、名前は俺の好きな名前のままでいてくれよ。」
「で、でも私が先走らなかったら今回みたいなことには…」
「俺が信用できない?」

…まさか。崖を飛び降りてまで救ってくれた人を信用できないなんてことはない。数時間前までは人の心がない人、だと思っていたのにその考えすら奪われてしまった。むしろどうしてそんな危険な目に自ら、と考えてもいたが彼からの口付けでその疑問も溶けた。

「私、考え事してるとよく転ぶし、ぶつかるし、今回みたいに落ちちゃうかもしれないし、ロクなことにならないよ」
「だーから全部守ってやるっつってんじゃん。」

ん、と小指を差し出され首を傾げる。小指?このタイミングで…?と疑問を頭に浮かべているとスタンリーが「知らねぇ?」と言って私の右手小指を差し出した小指で絡めとる。

「pinky swear…小指に誓ってやんよ。俺はアンタをいつだって守る、アンタの軍人になってやるってな。」

その微笑みに、小指から伝わる熱に、ぼんっと頭に熱が集まりカアアと頬と耳を熱くする。幼い頃はよくした所謂「指きり」だが、大人になってこんなに甘いものに変貌を遂げるとは思わなかったもので動揺してしまう。
そんな私の様子を見てニヤニヤと笑うスタンリーは「かわいいね」と私をからかうのだ。

「…馬鹿な人」
「ああ、馬鹿だからアンタがもっかい崖から落ちても助けっかんね」

もうあんな経験は二度とごめんよ、と苦笑いしながらも頼もしい言葉に今は溺れていたいと思う私をどうか許して、世界で一番頼りになる私の軍人さん。

公開日:2020年9月22日