夕焼けキャプチャー

すぅ、と自分の寝息が聞こえて重たい体が無意識に寝返りを打つ。覚醒しない頭に反するように重たい瞼が少しだけ開いて熟睡してしまっていたことを知ると、再び強烈な眠気が私を襲う。ううん、もう少しだけ眠りたいと布団を抱きしめ瞳を閉じた瞬間だった。

「スタンリー、これはどこ置くよ」
「適当でいいって。どーせそこの眠り姫が文句言うんだからさ。」

重たいなにかを運ぶ音と、ブロディとスタンの声がする。なんだか不穏な言葉が聞こえたが、私の部屋で一体なにをしているのだろう?
…うん?ホントに私の部屋でなにやってんの?
がばっと起き上がり音と会話が聞こえた方向を見ると机を移動させている男が二人視界に飛び込んでくる。大柄の男が空き巣のように私の部屋を物色しているようにしか見えず、思わず「ヒッ…」と声を上げると男が一斉にこちらに視線をやる。顔を見ると見知った、というよりも毎日顔を合わせている男二人で一瞬跳ねた心臓がばくんばくんとうるさい中、少しだけ安堵を覚えた。

「やっと起きたな、ハニー。」
「もう夕方だぜ」

にぱっと笑いながらそう声をかけてくるスタンと、なぜか部屋にいるブロディに熟睡していたことを指摘されるとすぐに二人は家具の位置調整に戻ってしまった。いやいや、待って、なにやってるのよ。

「…二人は一体なにを?」
「なに言ってんだ新婚さん!二人の部屋作ってやってんだろうが!」

バハハ!と大口を開けて笑うブロディに思わず耳を塞ぐ。ブロディの笑い声はかなり頭に響き頭痛を引き起こしかねない音量を有している。こちらは寝起きなのだからもう少し静かにお願いしたいものだ。

「待って、部屋?」
「そ。アンタがメリットないだの定義がなんだの言うから部屋一緒にしちまえってな。」
「なるほど。馬鹿じゃない?!」

よくもまあ、私に相談もなしに!と思いつつ、まぁスタンがやることだからと諦めも半分ついてしまっている自分もいる。眠る前の会話、プロポーズやそれを受けたこと、この世界における結婚の定義に疑問を呈したことも全て鮮明に覚えているので現状を受け入れるのに時間は必要ではない。確かに二人で同じ部屋に住むことは結婚を意識できていいかもしれない。
…いややっぱり相談くらいして欲しかったなぁ、起きたら新婚生活を送るための模様替えが始まっていたなんてそんな馬鹿な話があってたまるか。

「ちょうどいい、スナイダー!この家具どこに置く?」
「呼ばれてんぞスナイダー」
「スナイダーはあなたでしょスタ…もしかして私?」

にやりと口の端を上げたスタンに目眩を覚える。最早この徹底ぶりに感服、お手上げ、好きにして状態だ。戸籍も変わらないしファーストネーム以外いらないと言ったことを根に持たれるとは思わなかった。そしてブロディにスナイダーと呼ばれるとも思わなかった。

「お前のダーリンめんどくせえな!」
「ああブロディ、わかってるなら私をファーストネームで呼んで。お願い。」
「おもしれぇから当分お前はスナイダーだ。」

ぐぅ、なるほど、私の味方はいないのね。相変わらず笑っているブロディは完全に私のことをからかっている。どうせゼノもスタンの味方だろうし、今頃めでたいねなんて言って笑っていることだろう。ここまで退路がないといっそ笑えてしまう。
じわりじわりと結婚を受け入れさせるスタンのあまりに可愛い作戦だ、仕方ない当分は新しいファミリーネームを存分に堪能することにしよう。

「ちなみにだけどゼノには?」
「朝イチに叩き起こしてお知らせしといたぜ」
「ゼノも私と同じ時間まで作業してたのよ?!」
「もうとっくに起きて式の予定立ててんよ」

情報量が多すぎる、待ってゼノは今日一時間も眠っていないということ?そんなの今日の作業に支障が出てしまう。と言ってももう夕方だし、スケジュールを組み直して明日からまた作業を開始するように調整するか。ゼノもゼノだ、叩き起こされても事情を話して目一杯眠ればいいのに。
…うん?式?

「式?」
「そ、式。結婚式。」
「…ちなみに、提案者は?」
「ゼノ」
「ああああ!そんな時間があるなら!飛行機の設計を考えたいのに!」

わかりやすく頭を抱えてしまいそうになるが、そうだゼノを止めなきゃとベッドから立ち上がる。結婚式なんて今のこの状況でやっている場合じゃない、いやありがたいし嬉しい、嬉しいけれど!この新世界のトップの時間をそんなことで奪うことなんてできない。
急いでゼノを止めるべくドアに手をかけると、いつの間にか傍まで移動していたスタンに手首を捕まれて抱き寄せられた。「照れんなよハニー」とスタンに捕らえられあまりにも気軽にひょいっと体を持ち上げられてベッドに転がされてしまう。ちら、と見たスタンの瞳が逃がさないと語っていてさらに追い討ちをかけてきた。

「ハニー、諦めたほうが早いぜ?」

そう耳元で囁かれてしまっては勝ち目がない。うう、と呻きながら両目を両手で塞いでベッドをゴロゴロと転がり抵抗をして見るもののスタンの警戒は私に向いていて、ただの引きこもり研究者である私が軍人である彼を出し抜けるとも思えない。
そんな私とスタンの様子を見てブロディが新婚とは思えねぇなと吐き捨てた。私もそう思う。

「スタンリー、マジでこんな可愛げのない女と結婚すんのかよ」
「うるせーマジだよ、あと可愛いだろ。」

そう言ってタバコに火をつけようとするスタン。この部屋は度々火薬を取り扱っていることもあり禁煙であるため思わず起き上がり彼の腕をぐい、と掴むとスタンから「なに?」と甘ったるい声がした。

「なに甘い声出してんのよ、私の部屋は禁煙よ。」
「今日から俺の部屋でもあんだよ」

心配しなくても危険物は全部撤収済みだと言って私の制止も虚しくタバコに火を点ける。フゥと煙を吐きつつまた模様替えに戻ろうとするスタンに、作業開始を待ちくたびれているブロディ。
…まぁ、タバコは仕方ないか。任務外のニコチン切れ時のスタンはずっと声が低くてどうしても好きになれない。ただ部屋で吸う本数は制限させて頂こう。ここまで好き勝手やられてるんだ、それくらいは主張してもいいはずだ。

はあ、となんと本日初のため息をひとつついて模様替えねぇと部屋を見渡す。机の位置も棚の位置も変わってしまっているし、私が座っているベッドの反対方向には明らかにサイズの大きいベッドが設置されている。キングサイズかな?そんなベッド昨日まではこの世界には存在していなかった。つまり、たった数時間でキングサイズのベッドを作り上げてしまった人物がいるらしい。数時間でそんな大きい家具を作れる人なんて心当たりが一人しかいないし、その人物は楽しそうに今部屋の模様替えに尽力してくれている。不満を口にすることは許されないだろう。
うーん、今日からスタンと同じベッドか。これは私の夜更かし防止にも効きそうだ、作業時間が減ってしまうな。あと彼の腕枕固すぎて眠りづらいのよね、絶対に本人には言えないけれど。

これだけぐだぐだ考えてみたけれど同じ部屋で暮らすことに変更はないだろうし、私も悪い気はしていない。仕方ない、二人の新婚生活のためだと模様替えを手伝うために立ち上がる。んー、と両腕を上げて背中を伸ばし、そのまま腕をぐるりと回す。
そしてなにか手伝えることはある?と二人に問おうとした瞬間、部屋の全体図にとてつもない違和感を覚えた。いつも見ていた風景より奥行きがあり、且つ部屋にひとつだった窓がふたつになっている。そもそも元々の部屋にキングサイズのベッドを置くスペースなんてなかった。あくまでもこの部屋は「一人部屋」だったはずだ。…この部屋、こんなに広かったかしら?

「…スタン、ブロディ。」
「なんだよ」
「今からおかしなことを言うわ。でも聞いて。部屋、いつもより広くない?」

自分でも何を言っているのか理解できないまま、ありえないことを口にする。そんな、まさか半日眠っていただけで部屋が広くなるなんてことあるわけがない。まだ寝ぼけているのかしら、と自分に呆れながら彼らの反応を待つ。するとブロディから「こいつマジかよ」と呆れを通り越したまるで私に幻滅…いや、適切な言葉はこの場合ドン引きだろう。私に対してドン引きしたような声が発せられた。

「な、言ったろ。こいつ寝てるときはダイナマイトぶっぱなそうがミサイルが落ちようが絶対に起きないってよ」
「壁ぶち抜いて気づきもしねぇのはやべえよ」
「待って壁ぶち抜いたってなに?!」

昨日まで壁があったであろう場所を見ると若干の壁の残骸を発見。思わず駆け寄り、あったはずの壁が隣接していた壁を見ると荒削りでまだでこぼこしている。そして鼻を抜けるのは火薬の香り。

「ほんとに爆薬使ってる…」
「ダイナマイトで一発よ」

スタンとブロディが豪快に笑う姿を瞳で捉えつつ、そこまでしなくても…とついに呆れが勝ってしまった。そんなに早急に同じ部屋に住まなくてもいいし、なんなら数日くらいなら狭い部屋でもなんとか二人で生活くらいできたろう。そもそも部屋なんて現状ただ寝るだけの場所なのだからここまで拘る意味もない。

「…待って」
「まだあんのかよ、なんだよ」
「ルーナは?!隣の部屋、ルーナの部屋だったよね?!」
「俺の部屋とチェンジ」
「最低!」

信じられない!と叫んでスタンを睨み付ける。これでもルーナとはおやすみのキスを交わす仲、たまに同じベッドで眠ることだってあるお互い支え合ってきた親友だ。そのかけがえのない友人を追い出しておいてなにを笑っているのか、この脳筋たちは?
さすがに今までのことは許せたが、ルーナの件は許せそうにない。スタンの部屋?タバコ臭くて眠れやしないでしょうに!

「なに怒ってんのハニー。快諾だったぜ?」
「それはルーナから話を聞きます。今日はルーナの部屋で眠るのでスタンはこの部屋で一人でお過ごしください。」
「はあ?!」

部屋を出ていこうとする私の肩を捕まえて「待てまて」と制そうとするが、私はただキッとスタンを睨み付ける。さすがにありえない、せめてルーナとの話は私にさせて欲しかった。私とルーナの仲はスタンも知っているはずなのに平然と彼女を追い出したダーリンを早々に愛せそうもない。

「ごめんなさい、ブロディ。手伝ってくれたのにこんなことになってしまって。」
「それより離婚を言い渡したほうがクリティカルヒットすんぜ?」
「余計なことを言うんじゃねえ!」

ブロディから離婚というワードを聞いてぴくりと指先が動く。脳に引っ掛かったこれは、間違いなく私が承諾した「結婚」という現段階では口約束でしかない形式の対なるものに対しての疑問。…しまった、結婚の定義を作るならば。

「…離婚の定義も作らなきゃ…」
「おっと悪いスタンリー、テメーのハニーは冗談が通じないらしい。」
「だから言うなつったのに!」

このあと折衷案にて二人でルーナに謝りに行き思いの外快諾だったことを改めて知り、且つ私たちへの祝福の言葉を貰ってしまってくらりと不思議な感覚に襲われる。まったく実感のなかった結婚という事実が友人の唇に乗った祝福を受けてじわりと私を蝕んだ。
そして「私のために怒ってくれたの?本当に素敵な人ね」と微笑むかわいい人にありったけの感謝と愛を捧ぐ。ああ、もう少しだけルーナと隣人でいたかったと少し弱音を吐くといつでも部屋に来てと嬉しい言葉をくれるのだ。
そんな私を隣でタバコを吸いながらニヤニヤ見るスタンの思惑通りのようでなんだか少しだけ悔しいな。ただ、あとでルーナが優しかっただけなんだからねと釘をさしておかなくては。

「ほらハニー、はやく部屋片付けねえと今日一緒に寝れねぇぜ?」
「私今日たくさん寝たからたぶん夜眠れないよ」
「じゃあ俺の抱き枕になってもらうかんね。ぜってー離さねえから」

そう言って肩を抱く彼に「もう」と少しだけ呆れを含ませた幸福を口にする。本当に無茶苦茶な人だ、私を手に入れるためにここまでするとは思わなかった。…私も可愛げのないことをたくさん言ってしまったなぁ。

部屋に戻るべく隣を歩いている彼をちらりと見て、ずっと考えていた言葉を伝えるためにくるりとスタンの前に踊り出る。向かい合った私たちを窓から差し込んだ夕日が照らす。

「ねえスタン、結婚の定義を少し考えてみたんだけど。」
「お、聞かせてよ。」
「まずね、ずっと隣にいてほしいな。」

もう少し具体的な、法のようなものを考えてはいたのだけれどまず口から飛び出してきたのはただその一言。それを聞いて珍しく目をまあるく開いたスタンがすぐに不敵に笑った。

「ああ、叶えてやんよ。」

任せな、と口にして私を抱き上げたスタン。今日一日で色んなことを叶えてくれた彼にできないことなんてないんだろう。…やらかした、の間違いかもしれないけれど。
お姫様のように抱き上げられた私の唇にスタンの唇が重なる。なんだか流されているような気もしてしまったが、熱に浮かされているということで気にしないことにしよう。
ただ今は、夕日を踏みながら向かう先が二人の帰る場所になったことが幸せだと思うこと以外なにもいらないのだから。

公開日:2020年9月15日