ゼロ距離1フィート4インチ

1フィート4インチ。そのサイズを思い浮かべたとき、人はなにを想像するだろう?A3用紙の長辺?もしくは32型テレビの横幅。または新聞紙一枚の横の長さ…それぞれだ。さて、そのサイズが一体なにを表しているかというとすばり。

「スタンに私からキスしてみたい。」

私と恋人のスタンリー・スナイダーの身長差だ。おっと途方もないその距離に絶望するのはまだ早い。キスをするとき、私が背伸びしたって彼の胸の高さまで頭頂部が到達しないこと、屈んでキスするのが億劫な彼はいつも私を抱き抱えてキスをすること、そして先ほど述べたように私からキスが不可能なこと…上げたらキリがない。
それなのに私は「彼に」「私から」「キスをする」ことを夢に見てしまった愚か者だ。先日ゼノにも諦めろと言われてしまったものの、まだどこかでチャンスがあるのでは?と今日も彼との距離を策定しているのだった。

さて、そんなことばかり考えているわけにもいかない日々を送っている私の、ゼノから手渡された設計図をブロディに配達しに行く途中の出来事。共用スペースを抜けて近道をしようと企んでいた私の目に留まったのはソファでくつろぎながらタバコを吸う恋人の姿。
その姿に、はっ!と閃いた私は抜き足差し足でスタンに近寄るとぱっと彼の吸っていたタバコを奪い取った。

「で?なに企んでんの?プリンセス?」

彼の言葉を最後まで待たず、設計図を左手、タバコを右手に持ったまま彼の唇を奪う。してやったり!そうよ座らせてしまえばいいんだわ!どうして立ったままキスをすることに固執していたのか、私、映画のワンシーンのようなキスに憧れていたのかもと唇を重ねながら自己分析をしていると少しあいた唇から舌がねじこまれた。
ちゅ、とリップ音と共に口内をいやらしく掻き乱される。長い彼の舌が硬口蓋を撫でればぞくりと背中に快感が走る。その余韻もないままソファに押し倒されちゅっちゅっと唇を重ね続ける。その間にタバコを取り上げられ、私の唇を吸いながらそれを灰皿に押し付けるの長い腕が視界をかすめた。
身長の高い彼は私をすっぽり包みながら尚、まだ唇を重ね続ける。お互いの酸素が薄くなり呼吸が短くなる頃、ようやく唇が解放された。

「可愛いことしてくれんじゃん」
「その割には余裕そうだけど」

せっかく私からキスできたのにこれじゃ意味がない、とぼやくと

「ヘェ、そんなこと考えてたん?」

と興味なさそうに新しいタバコに火をつけた。

「だって恋人に自分からキスできないなんて悔しいじゃない」
「アンタかわいいサイズしてっかんね」

そう言って煙を吐ききらない口で私のおでこにキスをするスタン。なによ、かわいいサイズって。背伸びしてもキスできない恋人に不満とかないのかしら、この人。

「初めて私からキスしたのに感想もなし?」
「あん?あー…アンタが俺の唇を奪った初めての女だぜ、誇っていい。」
「絶対嘘。」
「ホントだって。昔っから身長高かったかんね。」

押し倒したままの私にぱちりと目を合わせて「信じて」と微笑む彼に勝てそうもない。タバコの灰を灰皿に落とすタイミングでもう一度唇を重ねると「煽るね」と短く挑発が聞こえた。

「ねぇ、私たちの身長差知ってる?」
「考えたこともないね」
「1フィート4インチ。」
「えっぐ」

そりゃキスすんのも大変だ。なんてケラケラ笑う恋人にむぅ、と頬を膨らませる。頬をスタンの指でつつかれつつもその姿勢は崩さない。私の身長が高くないのも悪いけれどあなたも身長が高すぎるんじゃなくって?なんて悪態を突きたいがいつものごとく「身長が高い彼氏はお嫌いかい?」と流されてしまうだろう。

「なんでそんな正確な数値わかったん?」
「ゼノが算出してくれた」
「はは!ゼノがそう言うならそうなんだろうさ!」

ゼノに対する圧倒的な信頼から私たちの身長差は確定してしまった。さて、この距離を今後どう詰めていくかだけれど。

「確かにキスどころか目ぇ合わせんのも大変だしさ」
「そうね…」
「いっつも名前は上ばかり見て首を痛めてる。」
「その通り。」
「…それでも俺を愛してくれてんの、ほんと嬉しいね。」

もう一度彼の唇が落ちてくる。ふにりとした感覚は愛情の証。

「…ねぇ、本当に身長差、気にしてないの?」

そう問う私に微笑んでタバコをくわえてすぅ、と息を吸うスタン。そして勢いよく煙を私の顔に吹き付ける。それに少し咳き込んでしまってなんて最悪な人!と心で苦言。

「気にしてんの、名前だけだぜ」
「で、でも…」
「ちゃんと愛してっかんね。問題ないっしょ」

足りねーなら思い知らせてやるよとタバコをふたたび灰皿に押し付ける。首もとに痕を残そうとする彼にストップ!と中断を促す。

「あん?」
「私、ブロディに設計図渡しに行かなきゃ」
「そりゃないだろ!」

ブロディなら黙っといてくれんよ!と無理やり唇を落とそうとする彼の口元を手で阻止する。さすがに恥ずかしいわよ!と叫ぶと設計図を取り上げられてしまった。

「ああ、もう…ゼノに叱られるの私なのに」
「一緒に叱られてやんよ」

ちゅう、と首もとに吸い付かれて諦めが脳内を占める。身長差で悩んでいたはずなのにいつの間にか彼の愛情に悩むことになろうとは。…いや、幸せ者ってことね。

「ねぇ、今日はずいぶん情熱的だけどどうかした?夜を待てないだなんて」
「…アンタからキスされたの、めっちゃびっくりしたからさ」
「あら、それはびっくりした、じゃなくて私にときめいたって言うのよ」
「うるせーよ」

少しからかうと誤魔化すように唇が重なる。1フィート4インチも私より背の高い彼にかわいいところもあるのね、なんて。あーあ、私もくだらないことで悩んでいたってことね。

「スタン、さすがにストップ。ここ共用スペースよ」
「ああ、わかってんよ」

そう言って唇が離れ、組み敷かれていた手が解放される。起き上がったスタンと私が同様にソファに座っているのに身長差通りの視線の違いに思わずふふっと笑ってしまう。やっぱりスタン、身長高すぎるんじゃない?

「さ、ブロディんとこ行くか」
「あらついてきてくれるの?」
「暇なんでね」

タバコに火をつけて咥えた彼が私に手を差しのべる。ふふ、役得ねとその手を取ると無理やり屈んだ彼の唇がおでこに落ちてきた。無理しなくていいのに。

この後、設計図を渡したブロディに「お前ら相変わらず親子みたいな身長差してんな」とからかわれ全てが振り出しに戻ったのはまた別のお話。

公開日:2020年8月11日