王子のキスで呪いは溶ける

「スタン!あなたは今日も最高にクールでかっこいいわね!」
「あーはいはい、わかったわかった。」

研究室にやってきたスタンに飛び付こうとしてひょいっと躱される。いつも通りの反応に思わずうふふと笑ってしまうと「やっぱアンタ変わってんね」と呟きちらりとだけ私を見て笑って、ゼノにまっしぐら。そんな彼の背中を見つめる日々に幸せを見出して早数年。

今は文明も発展途上、恋愛なんて正直している場合じゃないことは十分理解している。けれど好きになってしまったものは仕方ない。少しだけのアピールは許してほしい。
…なんて、まったく相手にはされてはないのだけれど。なんなら最近の彼に対する目標は「私を一人の女性として見てもらう」なので道のりは遠い。つまり、今日も軽くあしらわれてしまったな、と思いつつ今日もスタンに会えて幸せ!と考えられるうちはまだ軽傷だ。

るん、と上機嫌に自席に戻り作業を再開。耳を澄ませばゼノとスタンの会話が聞こえてくる、とても居心地がいい私の居場所。追い出されてしまっては適わないと今日もゼノが朝にオーダーしてきた薬品の調合作業に入る。えーっと確かこの薬品は…、と数千年前の知識を引き出して手を動かす。
悲しいかな、ずっと意識を保っていたものだから忘れてしまったことのほうが多いくせに、専門知識だけは失わなかった。なにを忘れたのかすら思い出せない私のぽっかり空いた心の穴を埋めてくれたのは、体温を感じさせないほどに美しい顔をした軍人さんだった。

「(あの日、彼の号令だけが聞こえて、)」
「(目がさめたらお礼を言おうと胸に誓って数千年)」
「(顔も知らない、声と力強い号令しか知らないあなたに恋をした。)」

自由に動けるようになった日、スタンの美貌にそれはもう動揺し余計に激しく恋焦がれることになるとは想像していなかったけれど。
ゼノからの昼までには完成させてほしい、という要望通りに数種類の薬品を調合し終えた私はふぅ、と安堵混じりの息を吐く。良かった、今日も怪我はしていない。さて、ゼノに報告と納品ねと顔を上げると普段は誰もいないはずの真ん前の席に人。ぱちりと瞳が合って思わず数回目をぱちくりした後、まつ毛が長すぎる彼の存在を認識した。ス、スタンいつからそこに?!

「び、びっくりした」
「真面目に仕事してっとこ初めて見たんでね。」
「あなたはもう少し自分の顔の綺麗さを自覚したほうがいいわ!」

綺麗すぎる顔が至近距離。手になにも持っていないことは幸いで、きっと薬品なんて持っていようものならば落として大怪我をしていただろう。タバコの煙を吐き出しながら悪い悪いと呟く彼に、どうしようもなく心がかき乱される。普段私のことなんて眼中にないくせに!

「ガン見しちまったのは謝んよ、つい見入っちまって」

微笑みながらも真剣にじぃ、と私を見るスタン。この瞳にどうしようもなく弱い。というかもしかしていい雰囲気なのでは?ヤバい、ドキドキしてきた。

「アンタ仕事できたんだな、ちょっとお勉強が得意なだけかと思ってたぜ」

私もしかして相当バカだと思われてた?!あなたが吸ってるタバコだってあなたが取り扱ってる銃だって私とゼノの科学の結晶よ!確かに大半ゼノ作だけれどね!さすがの私も今まで学生レベルのお手伝いだと思われていたのはかなりショックよ。これでも専門職に就いていた科学者ですからね。そう自己紹介したはずなのに、ほら私なんて眼中にない。
とにかくゼノ先生に薬品を納品するから、と伝えると手を軽く上げて了解を伝えてくるスタン。ああもう、些細な動作がどうしようもなくかっこよくて困る!

「ゼノ、できたよ」
「ああ、そこに置いておいてくれ。」

ゼノの指がピッと指した先に薬品一式を置き、「次は?」と問う。この世界が始まってから私は実質ゼノの助手。私自身こんな世界でやりたい研究なんてないし、それならば彼の手足として動くほうがよっぽど有益。ゼノに会いにくるスタンを拝めるし悪いことなんて一つもない。

「少し早いけれど休憩してくればいい。続きは午後にしよう」
「わかったわ。ゼノも行く?」
「僕はまだ作業が残っているし、スタンと食事を摂るからお構い無く。」

はい出た、幼馴染マウント。私だってスタンと食事したいけれど?!しかし、さすがにそんなことは言えないし幼馴染の間に図々しく割り込むことはできない。わかったわ、じゃあまた午後に。なんてあまりにも聞き分けがいい言葉を吐き捨てて研究室を後にした。
作業後であまり回っていない頭を回復させるべく深く深呼吸。廊下を歩きながら外を見てああ、いい天気だなぁなんてどうでもいいことを考えていたらぱたりとカルロス、マックスと鉢合わせた。

「偶然すね」
「カカカ、研究室追い出されたか?」
「私のことなんだと思ってんの?いやそれより聞いてよ!今日もスタンに軽くあしらわれてしまったんだけどどこがダメなんだと思う?!」

マックスの腕をガッと掴んで逃がさない。この二人は、というかほとんどの仲間は私がスタンに恋していることを知っている。叶いそうにない片思いを度々バカにしてくる憎い連中だ、とにかく今は私の悩みに付き合ってもらう!

「圧倒的に色気がない」

二人仲良く口を揃えて同じことを言うものだから私の口からは会心の一撃を受けた「うぐっ…」という呻き声しか上がらなかった。

「お嬢と違ってかわいさもないすからね~」
「まぁスタンリーも男だしよ、夜部屋に行って抱きついちまえばこっちのもんじゃね?色気なくてもいけるだろ」
「抱きつける隙があるとでも?」

現に毎日華麗にかわされてる。と口にする元気もない。別に彼と恋人になりたいわけではないけれど(なれるとも思っていない)、もう少し意識してほしいというか、ううん、やっぱり色気が足りないか?

「前にスタンリーにお前のことどう思ってんのか聞いたんだけどよ」
「えっなんて言ってた?!」
「無害な小型犬つってたぜ」
「外には狼がたくさんいるものねそりゃ無害だわ!」

人間ですらなかった。
まさか私の目標が「一人の女性として見てもらう」から「人間扱いしてもらう」に大幅変更されることになるなんて。
確かに普段からスタンを見かけるたび駆け寄ったり飛び付こうとしたりなんなら尻尾も振り回してた。完璧に犬だ。

「はぁ…相談に乗ってくれてありがとう。悔い改めることにするわ。」
「おい昼メシは?」
「食欲なくなった。」

無気力に手を振りながらそうぼやいてその場からエスケープ。ふらふらと適当に歩いてたどり着いたのは拠点の日陰、小さなベンチがある裏庭。今は昼前でみんな作業の真っ最中だろうし、誰も来ないはずとベンチに腰かけて盛大なため息を吐く。
両手を合わせて悩み事を始めようとすると、薬品で荒れた手同士ががさりと違和感を伝えてくる。…ああ、そういえばこの生活が始まってからは皮膚障害が悪化したんだった。可愛くないガサガサの乾燥した手、所々切れて出血していたり薬品で爛れていたり女性の綺麗な手とは程遠い。それこそルーナのような白くてかわいい、綺麗な手が羨ましい。普段は手袋をしているけれど今日は置いてきてしまった。
そういえば最近は寝不足で肌荒れも酷いし、隈も消えない。もしかして女として終わっているのでは?

…かと言って、ゼノを置いて一人作業を切り上げてしまうと朝まで彼は作業をしてしまうからなぁ。食事も摂らず、睡眠も曖昧、ずっと研究に没頭する姿は同業者ながらに別次元の存在に見えてしまう。しかし、同時に理解もできてしまうから彼の作業のキリがいいところまで毎日付き合っていたらいつのまにか寝不足に。
彼に倒れられては困ると最低限の生活を共に送った結果がこれだ、誇らしいじゃないか。私も結局一人の科学者だったってことだ。

「色気…せめて色気がほしい…」

切実な願いすぎて我ながら面白い。まさか二人に揃って色気がないと言われるとは思わなかった。スタイルが悪いわけじゃないのにどうしてこんなにも色気も可愛げもないのか。

「色気がどうしたって?」
「ああ、スタンちょうどいいところに。私ってなんでこんなに、って!」

気配もなく彼の声が降ってきて何気なしにそれに答えてしまった。今日は彼に驚かされてばかりだ。というかなんでこんなところに?ゼノと昼食に行くんじゃなかったの?!

「悩んでんの?珍しいじゃん」
「ま、まぁ私も悩むことくらいあるよ」
「なんも考えてなさそーなのに」

スタン、もしかして本当に私のことバカだと…?悩むことくらいはあるわ、と言いかけたけれど最近の悩みがあまり思い浮かばなかったのでこの話題は終わりにしたい。直近の悩みは食事に飽きた、くらいしかない。

「ねぇ、スタンは…」
「なによ?」
「その…女性に色気を求める人?」

ダメだ質問が直球すぎた、バカじゃん!なにも考えてない質問はするなってゼノにも叱られてばかりなのに。なんだそりゃ!と笑いだしてしまった彼が隣に腰掛ける。待って、いきなり近いのは緊張しちゃう!

「い、いやね、圧倒的に色気がないって言われちゃって」
「そんなん誰に言われんの?」
「とにかく、それでちょっと確かにそうだなーって反省会してたとこ。」

私、いつも寝不足で隈酷いし手もボロボロだから、と手を横に振って誤魔化す。その手をぱしっと掴みじろ、と手のひらを見る彼に思わずヒッ、と声が漏れる。手袋をしていない手を見られてしまうことが怖くて仕方がない。やだ、見ないでと振りほどこうとしたけれど彼の力は少しも緩まない。

「誰に何言われたか知んないけど」

手をいきなりぎゅ、と握ってまっすぐ私の瞳を見る。混乱している私を他所に、冷たく、それでいて綺麗な瞳がゆっくりぱちり、とまばたきをする瞬間に胸がキュウと締め付けられて苦しい。私はこの瞳に、本当にどうしようもなく弱い。

「俺はそのまんまのアンタが魅力的だと思ってっけどね」

ボロボロの手に優しく触れてあろうことか唇を落とす。ちゅ、と控えめなリップ音が耳に届いたけれどそれ以上に心臓の音がうるさくてたまらない。

王子のキスで呪いは溶ける

「い、色気ないし、可愛げもないし」
「うん」
「手ボロボロだし、肌荒れすごいし、隈だって消えないし、」
「うん、知ってんよ」
「作業してるし周り見えなくなるし、たまにゼノと喧嘩して口汚くなるときだってあるし、」
「知ってる。」

まだ足りない?と手の次は目の下、いつまでも消えない隈にキス。今まで呪いのようにまとわりついていたコンプレックスをすべて否定するその口付けに頭がくらくらしてしまう。

「あ、あなたといるとあなたのことしか見えなくなる、し、」

すべて否定されてしまったらもうこれしかない。それすら知ってると微笑まれて最後は唇に、ちゅ、と柔らかい感触が触れる。

「アンタわかりやすいかんね」
「そ、そんなに?」
「そりゃあんだけ尻尾振りながら飛び付いてくりゃわかんだろ」

ようやく手を離されてスタンがタバコに火をつけた。呆然、くらくら、ドキドキしっぱなしの私なんてまるで気にしていない。余裕があってずるい、あなたからなにもまだ聞いてない。

「スタンからなにも聞いてない。」
「あ?あー…じゃあ全部否定してやんよ」

真剣に作業している瞳は魅力的で時折耳に髪をかける姿はセクシーで見惚れる。俺を見かけるたびに駆け寄ってくる姿はとてもキュートで戸惑っちまう。手は確かにボロボロだが、その科学に生かされていることを思い知らされる。睡眠不足もゼノに付き合って夜遅くまで作業やってんの、ちゃんとわかってっかんね。何年アンタのこと見てると思ってんのか、それこそ知ってほしいくらいだ。

いつになく饒舌な彼に思わず目を丸くする。いつも彼を見ていたつもりだったが、すべて新事実で苦笑い。夢みたいな独白に、本当になにも見えていなかったのは私のほうだということを突きつけられた。なんと愚かな。

「じゃあ無害な小型犬って…」
「あいつポロッたな。」

タバコを咥えなおしてバツが悪そうにつぶやく。いやいや、その言葉に私がどれだけ悩んだと思っているのか。そもそも犬だと思っているなら、今までの言葉も行動もすべて薄っぺらくなってしまうけれど覚悟はできている?

「どう思ってんのか聞かれて素直にめちゃくちゃキュートで抱きしめてやりてぇ愛してんよ!なんて答えると思う?」
「な、なんっ…」
「そんなん他人に答えるくらいなら先にアンタに言うからよ。安心しな」

タバコを手にとり、おでこにキスを落とすスタンに目眩がする。この人、本当に朝私のハグをかわした人か?偽物では?脳内がバグり始めていてまずい、本当にあなたはスタンリー?

「…本物?」
「んだよ」
「い、いや急になんか…別人じゃない…?」
「心配しなくても腹決めただけだ」
「腹決めたって…」
「つーかまだ言うつもりなかったもんでね。アンタが落ち込んでなかったらまだだんまりキメこむつもりだったかんね」

まだまだやることいっぱいあっし、とぼやいたスタンに思わず「それよ!」と思いっきり同意してしまう。まだ恋愛している場合じゃないのよね、と口にすると「そうなんよ」と同意が返ってきて大変だ。

「というわけで、少しだけお付き合いは時間を置いて落ち着いてからにしましょう」
「は?マジ?さすがにこの状況でそれ言う?」
「えっまだだんまりキメこむ予定だったんじゃ…」
「やっぱアンタ変わってんね」

やれやれ、と言わんばかりにため息をついたスタンに首を傾げる。いや、だって今二人揃って色恋に溺れてる場合じゃあないでしょう?

「ま、待つのは慣れてっから、いつまでも待つぜお姫様」

そうまっすぐ伝えられてしまって、ふたたび唇が落ちてくればすべての呪いが溶けて消える。それがとても心地よくて、溺れてしまいそう。

「あれ、そういえばゼノは?ゼノと昼食とるんじゃなかったの?」
「あいつ今研究にハイになっちまって聞く耳持ってくんねぇんだよ」
「…ほんとに私たち付き合ってる場合じゃないわね」
「参ったな、一生友達のまんまかもよ」

それは困るから研究室に向かいましょうかと提案するとそりゃあいい、と煙が宙を舞った。

公開日:2020年7月23日