君との幸せが欲しかった

ゼノの助手、俺の2個年下。すらりとした長い足に赤いハイヒールが映え、少しだけ年齢より幼い顔立ちには長くて綺麗な髪がよく似合う。ゼノを先生と呼ぶ屈託のない笑顔が愛らしい、そんな彼女への恋心を自覚したのは、彼女がゼノに婚約者を紹介したと人伝に知ったときだった。

名前は友人だが、頻繁に会う仲でもスケジュールが気軽に合う立場でもなく、その婚約者とやらを名前から直接紹介されることもなくだらだらと日々を消費してぼんやりと「あいつのガキでも見りゃ吹っ切れんだろ」なんてタバコを消費する毎日がある日突然が一変した。

久々に会った名前は白衣を身に纏い、ゼノと楽しそうに会話をしツバメの石化についての仮説を述べている。スタンリーもエレガントだと思うでしょう?と微笑む名前の左手薬指にはきらりと光る指輪。

「ゼノ先生にくっついて研究してて良かった、楽しいことがたくさん!」
「テロかもしれないのに君は相変わらず呑気だね。」
「テロならスタンリーが守ってくれるわ。」

いっそゼノと名前の結婚なら祝えたのかもしんねぇなと人懐っこく笑う名前に名前を呼ばれるたびに心が軋む。この祭典が終わったらスタンリーに伝えたいことがあると口にした名前のなんと幸せそうなことか。

あーあ、直接報告なんて聞きたくねぇななんて考えてたら世界が文字通り、変わってしまった。石化から解放された彼女は開口一番に「ほら、スタンリーが守ってくれた。」と笑う。世界で一番頼りになる軍人さん、だなんて言われてしまってはこんな変わってしまった世界でもこいつを吹っ切れそうにはない。

こうして毎朝「おはようスタンリー、よく眠れた?」と俺に微笑む彼女が当たり前に傍にいるとんでもない新世界が始まった。

「今日も朝食が終わったら研究室でゼノ先生と意味わかんねーことすんの?」
「そうなの、最近寝てるときも夢でゼノ先生に叱られてるわ」
「ノイローゼじゃん」

ウケんね、と頭を撫でてやると科学に触れられるだけマシねと強気な言葉が返ってくる。すっかり幼かった顔立ちが年相応の綺麗な女の顔になっちまって、それだけの年月が経過したことを思い知らされる。…本当に綺麗になった。

「…もう、あの人の夢すら見なくなっちゃった。」

そう寂しそうに呟く。目覚めた日から数年、ずっと名前は恋人の石像を探し続けている。目覚めることはなくてももう一度彼に会いたいと言っていたが、最近は探しに行く時間がめっきり減ってしまっていることを俺は知っていた。「国立公園の近くまで来てたから、見つかってもいいはず」と近場を探していたが、探しきってしまったことと忙しさが重なって、最近は諦めが表情に浮かんでは消えることが増えた。

「知ってる?人間が記憶を忘れる順番。」

聴覚、視覚、触覚、味覚。最後に嗅覚。
そう指を数えながら俺に笑いかける名前の指が震えている。数千年、意識を保ち続けた代償は記憶に多大な影響を与える。それは名前の記憶の中の恋人も例外ではなかったみたいだ。

「あのね、最近、匂いすら。」

こんなくだらないことは覚えてるのに薄情だよね。そう笑う彼女は痛々しくて見ていられない。だから俺は決まったセリフを今日も煙に乗せて吐く。

「はやく見つかるといいね」

嘘ばっか。

「そう言ってくれるのはもうスタンリーだけよ。いつもありがとう。」

俺が一番、石像の発見を恐れてる。見つかったら彼女がどんな笑顔を浮かべるのか俺には想像すらつかないってのに、好きな女の笑顔よりも保身を、今の関係を望んでる。とんだクソ野郎で名前の隣にいる権利すら本来は持ち合わせていない。

「今日も研究がんばんないと!先生に置いていかれちゃう」
「おいおい、アンタだって数千年意識保ち続けたプロだぜ?胸張れよ。」
「スタンリーの号令がなかったら私なんて一番に意識を手放していたわ。」

私がいま、ここにいられるのはあなたのおかげ。そう言って俺の頬に手を伸ばしてするりと撫でる。大きな瞳が俺を見つめ、微笑む彼女は綺麗だ。ああ、クソ、なんで俺じゃねぇの?もうすっかり噂の婚約者様との時間よりも、俺といる時間のほうが長いくせに。

「…俺じゃダメ?」

思わず名前の手首を掴み、そう伝える。ずっと言いたかった胸につっかえていた言葉。もういいだろ、十分苦しんだ。もう目覚めない奴のことなんて忘れて、俺を見てくれ。

名前の大きな瞳が揺れて、少しだけ滲む。俺の手を優しく振りほどきありがとうと呟く。

「もし、もしね、石像を起こす方法が見つかったとしたら、私は彼の傍にいたいと今も願っているの。」

だからはやく彼を見つけないと!強がりを顔に貼り付けて研究室へと向かった彼女の背中が遠くなる。そんなにいい男なら、たった数千年意識飛ばさずに一番に目覚めてあいつを抱き締めてやれよ。クソ、クソッ!

君との幸せが欲しかった

数日後、珍しくゼノが慌てた様子で俺に声をかけてきた。からかう間もなくゼノから告げられた言葉は「名前の婚約者が見つかった」という知らせとその婚約者と思わしき人物は、ゴールデンゲート・ブリッジで起きた車のクラッシュに巻き込まれた石像の有象無象の中に埋まっていたこと。そして、その原型をほぼ保っていないという最悪で最高のニュースだった。

「一日だけ休ませてくれと部屋にこもってしまった」
「よくそんな状態で見つかったね」
「顔が半分だけ見つかった。…間違いなく彼だったよ」

どうしても都合が良くて笑っちまう。その報せを聞いた足で彼女の部屋に向かう俺を誰が咎める?ずっと探していた婚約者が無惨な姿で見つかった、そんな哀れな女を愛した男がやることなんざ一つだろ。

コンコン、と彼女の部屋のドアを叩くとギィ、と重い音と共に放心状態の彼女が顔を出した。…泣いてると思ってたが、案外受け止めてやがんな。

「聞いた。」
「…そう、そうね、とりあえず中に入って。立ってるのがやっとなの」

そう言って俺を部屋に招き入れる。初めて入る名前の部屋は整頓された資料や道具で溢れていた。ベッドに座り込んでしまった名前の隣に座りそっと頭を撫でてやる。

「車のクラッシュに巻き込まれていたの」
「聞いたよ。運が悪かった」
「ちがう、あの日私が。私が迎えに来てなんてワガママ言ったから!」

私が彼を死なせてしまった、と自分を責めていた彼女の手を取る。弱りきった彼女は俺の手を易々と受け入れて、なんなら握り返してくる。

「ごめんなさい、スタンリーは最後まで彼が見つかるように祈っててくれたのに」
「それよりお前が心配だ。」
「…いいの、私は彼がどんな形であれ見つかったことが嬉しいわ。」

ようやく、もう影も見えなくなってしまった彼から解放されたのかも。そう力なく呟く彼女をそっと抱き締める。

「長い間よくがんばったじゃん。」

途端、震えだして声を上げて涙を流しはじめる。ぎゅう、と握られた背中がこんなに心地いいことはない。やっと、やっとだ。

「あなたに甘えてしまうことをどうか許して」
「気が済むまでここにいっから。」
「ごめんなさい、ごめんなさいスタンリー」
「いいって。泣きなよ。」

ああ、ろくでなしのクソ野郎。

公開日:2020年7月14日