花の名前を教えてくれ

花なんか別に好きじゃなかった。というよりかは興味がなく、ただただ無関心。どの花が好きだとか嫌いだとか、花の種類さえも知らないまま生きてきた俺にとって花が添えられた手紙を受け取ったことはかなりの衝撃的な出来事だった。
手紙を書くことが好きだと笑う彼女は、こんな状況でもせめて心の豊かさだけは忘れないようにといつでも手紙には名前すら知らない、ただ小さな花を添えてきた。
スタン、ゼノが呼んでたよ。なんてくだらないメッセージにすら花が添えられていた日にゃ、なんて律儀な女だって笑っちまった記憶がある。

「最近サボりがちだね」
「なにを?」
「手紙」

カタカタカタとタイプライターの文字盤を打鍵していた名前の長くて細い指がピタリと止まる。畳み掛けるように「みーんなお前からの手紙、楽しみにしてんだぜ」とタバコの煙を吐きながら伝えると俺に対してそれこそ花のように微笑む。

「あなたも?」
「もちろん」
「あら、最初はいらないって言ってたくせに」

意地が悪いな、と苦笑いするとそっちこそ!と笑う。居心地のいい空間に、ただただ煙が漂った。

「サボってるわけじゃないよ、いつだって手紙はしたためていたい。」
「ゼノにコキ使うなって言ってやろうか?」
「ふふっありがとう。でもこの間ゼノにもね、手紙は書かないのか今どんな花を育ててるんだって聞かれたの」

確かに毎日忙しいけれど、筆がとれないほど忙しいわけじゃないよと言いながらタイプライターを優しく撫でる。文章を綴ることが好きでたまらない彼女の相棒、ゼノ先生の自信作。

「みんな会いに来てくれるんだもの、手紙に書く内容がなくなったのよ」

心当たりがありすぎる。確かに名前は研究室の一角か、名前が管理している花壇にいる印象が強くどちらかに行けば会えてしまう。名前からの手紙は魅力的だが、彼女自身はもっと魅力に溢れている。知識が豊富で会話は飽きず、いつだって優しく微笑んでいる姿は手紙じゃ味わえない甘味。そんな彼女に文字通り骨抜きにされている。

「一時やってたメッセージも無線の誕生で必要なくなっちゃった」
「あの時は珍しくむくれてたな。」
「いいの、直筆はいずれ科学に消える。何千年も前から決まってたことだから。」

だからゼノから手紙を催促された日はうれしかったわ、と誇らしげに笑う。ここまでゼノの話をされると正直妬けるが、仕方がない。科学と文学で二人三脚の二人はいつも対立しながらもそれなりの時間を過ごしている。仲も良く悔しいことに俺の目からもかなりお似合いに見えてしまっている。

「久々に俺に手紙を書いてくれよ」
「あなたにこそ書くことがないわ、毎日会話してるじゃない。」
「一文でいい、くだんねぇことでもいいからさ。」

手紙を渡されていた頃の、小さな花。大切に彼女の手で育てられたそれを受けとるだけで不思議と心が安らぐ。きちんと折られた紙を開けば綺麗な文字と言葉が羅列されていてまるで彼女の心を写しているようだったそれを催促する。
しょうがないな、と笑って少し待っていてと部屋を出ていく後ろ姿は心なしか嬉しそうだ。…ずっと書きたかったんじゃねえか、手紙。
タバコ二本を吸い終わる頃に小さな花束を持って戻ってきた名前はそのまま俺の目の前、彼女の特等席に座りタイプライターを邪魔にならないよう横に置き紙を敷く。彼女専用のペンをくるりと回し、楽しそうに紙に文字を綴る。書き出しはいつも同じ、「親愛なるスタンリーへ」だ。

「あまり見られると恥ずかしい。」
「悪い悪い、書くとこなんて初めてみるからさ」
「もう、タバコでも吸ってて。」

言われなくてももう吸ってる、と返事すると確かにと一瞬視線が俺を捕らえる。ふふっとイタズラに笑い一文を書き終えるとパタリと手紙を丁寧に折って花束を添えた。

「スタン、受け取ってくれる?」
「もちろん」

白い紙に赤い花が咲く。律儀に添えられた花たちを机に置き、紙をパッと開いた。いつもより短い文章だが大胆に表現された文字は相変わらず美しい。いつもの書き出しを軽く読み飛ばし二行目で思わず息を飲む。
あまりにも堂々とした文字で「あなたが好きよ。」なんて飛び込んできたもんだから思わずタバコを手から離してしまった。あっぶね、と床に落ちる前のタバコを上手くキャッチしたものの名前に動揺は伝わってしまっている。

「返事は手紙でちょうだいね!」

…クソ、やられた。手紙なんて書いたことねぇぞ。

花の名前を教えてくれ

ようやく出てきた一文を紙に書きなぐりニコニコしながら返事を待っていた名前に突きつける。それを読んであはははは!と大笑いする名前。気恥ずかしさで頭がおかしくなりそうだ。

「大切にするわ」
「しなくていい、捨てろ」
「あなたの文字初めて見た。こんな素敵な贈り物捨てるなんて勿体ない。」

あなたは私からの手紙なんて捨てているだろうけど。と大切そうに渡した紙切れを胸に大事そうに抱える名前。
…手紙じゃ無理だったが今その余裕を奪ってやるよ。

「手紙は全部まだ大切にしまってある」

公開日:2020年7月6日