#2 ヘッドショットはお好みで

「久々に会ったのに機嫌悪いじゃん」

食事前の軽いドライブ中、助手席で人差し指を立てて近況を説明していた名前の瞳が大きく見開かれてぱちくりと運転している俺を見る。最近はね、と穏やかに仕事の話や友人の話をしていたはずなのに心の内を俺に見抜かれて心底驚いたと言わんばかりの表情。「何年の付き合いだと思ってんの」と名前が思うより名前を想っていることを突きつけてやるとハァ…と想定より大きいため息が返ってきた。

「今日はスタンが誘ってくれた食事だもの、私の愚痴を聞かせるわけにはいかないわ。」
「アンタそんなに優しいヤツだっけ?いーよ、メシの前にゲロっちまいな。」

落ち込んだ内側を見破られてばつが悪いのかプラチナ・ブロンドの髪をいじ、といじり始めた名前の指先はアッシュブルーが輝いている。いつも指先まで綺麗に飾られた彼女の、いつも飾れない空元気は見ていて気分のいいものではない。少しだけ上ずった声、ひきつった笑顔、なにかを隠すように身ぶり手振りが増えた上辺だけのトークを見破れないほど浅い付き合いをしているつもりもない。
こちとらかれこれ十数年アンタ一筋なんだ、今さらこんなことで驚かれちゃ逆に困んね。まぁ、んなこと名前には言えないけど。としどろもどろと不機嫌の理由を口にしようかどうかまだ悩んでいる名前の頭を撫でてやる。

「いいよ、聞かせてよ。んで楽しく食事したほうが数十倍有意義だぜ?」

名前をからかうようにタバコの煙を顔に吹き掛けてやるとようやく重たく閉ざされていた口が開いた。こんだけ勿体ぶっていてもどうせ男の愚痴に決まってる、賭けてもいい。

「付き合う直前の人がいたんだけど」

ほらやっぱ男関係じゃん。こいつの悩みなんてそんくらいしかねぇんだよいっつもいっつも。

「ソイツに彼女がいて」
「ハァ?!」
「私が浮気相手、みたいな…」

思わず怒りの声を上げるとだから話したくなかったのよと呆れた声が車内に響く。いつもいつもクソ男を引っかけるものだから浮気されたという話には耐性があったが、まさか浮気相手として引っ掛かっちまうとは。初めてのクソ野郎のケースで返す言葉がない。

「未遂だから私のクソ男歴にカウントしないでね」
「悪いね、見事二十二人目として記憶しちまったわ」
「むやみやたらに不名誉を増やさないで!」

ああ、最悪よ!と俺を責める声はいつも通りの酒で怒りを流し込むときと同じだ。その声にやけに胸を撫で下ろしている自分に呆れ果てる。やっぱり名前は無理に明るく振る舞うより素の性格を見せたほうが魅力的だ、なんていつから俺はこんなにもこいつに甘くなっちまったのか。

「今回はどうやってフッたん?」
「この私を一瞬でもスペアにしたことを後悔させてやる!って胸ぐら掴んでビンタしたわ。」

ヒュウ、と唇を鳴らすと「からかわないで」とため息。振り方が清々しすぎていっそ気分がいい。しかし、こんなに綺麗にお別れを告げておきながらどうして名前の心が晴れていないのか?いつもならば一日酒を浴びれば気分はリセット、その気になれば顔すら忘れられるくせに。

「…まさかまだ好きなん?」
「んなわけないでしょ!そもそも彼が私に夢中だっただけよ!」
「じゃあなんでご機嫌ナナメなの、お姫様」

う゛、と言葉に詰まる呻きと、ますますくるくるといじられる髪。その癖が止んだ頃に恐る恐るモーブピンク色の唇が開いた。

「…浮気側に立つのは、こんなにも気分が悪いものなのね。知らなかったとは言え目覚めが悪くて。」

それだけをまだ引きずってんの、バカみたいでしょ?と背もたれに体重を預けながらぼやく。なんていい女だ、今まで数えきれないほどの浮気を重ねられておきながら浮気野郎にすべて押し付けて「私は悪くない」という主張をしないなんて。こういうトコ、悪くはねぇんだが治したほうがいいな。彼女のメンタルが削られるよりちょっと性格が悪い女になったほうが見ているこっちも気が楽だ。

さて、どうしたものかとタバコを灰皿に押し付けると隣の彼女が「ん」と短く促しタバコを差し出す。そしてそれを咥えるとご丁寧に火まで用意して俺に喫煙をすすめる。ジリ、と名前が差し出すジッポライターで火をつけると何故か名前から安堵が漏れた。

「あなたのタバコの煙、安心するの。」
「…あんまそういうことは言わないほうがいいな。」
「あら、だからと言って吸いすぎは私も推奨していないからね?」

そういう意味じゃねぇよバカ、と投げつけてしまいたかったが耐えて代わりに軽く息を吐く。やるせない気持ちを隠すようにタバコのフィルターを少しだけかじ、と齧って気を紛らわせた。あーあ、なんでこんないい雰囲気なのにいっつもフラれちまうんかね?いっそ俺の悪いトコ全部突きつけて欲しいんだけど。もやもや、かじかじ、と考えを巡らせていたら同じく口が重くなっている名前が口を開いた。

「知らないうちに犯罪の片棒担がされるってこんな気分なのね。」
「マジでへこんでんじゃん。」
「ビンタなんかじゃ全然足りなかったわ…。鼻をへし折ってやればよかった。」

かなり強気な発言だが覇気はない。こりゃあ重症だと今日食事を予定していた店の逆方向にハンドルを切る。こちとら久々に会った好きな女との食事にただ純粋に舞い上がっていたいだけなのに男のことでメンタルへこまされたままなのは釈然としない。パッとストレス発散してメンタルの回復に努めてもらう必要がある。
そんな俺の考えを読むかのようにすぐに違和感に気づいた名前が「あれ?」とスマホのナビを開いて進行方向を確認しすぐさま俺の肩をねえ、と叩く。

「スタン、道間違ってるわよ。」
「メシの前にいいトコ連れてってやんよ。」

そうタバコの煙を吐き出すと何一つ期待していなさそうな声で「それは楽しみね。」と呟く。そんな彼女を乗せて郊外に向かう俺の胸は心なしか弾んでいた。なんせ、情けないことに食事とドライブ以外のデートは数年ぶりだ。陽気な音楽でもかけてやりたい気分だが鋭い叱責を受けたくはないから今は控えておこう。

目的地に着いて車から降りた名前は、そびえ立つ建物を見てまんまるく目を見開いた。小さなハンドバッグ、飾られた爪。スカートにハイヒールの彼女にとってとても不釣り合いな場所。ぱちぱちと長いまつげを数回上下させると俺の顔を見上げながらようやく呆けたように口を開いた。

「…ガン・シューティング?」
「そ。スカッとすんぜ。」

さ、エスコートしてやんよと名前の肩を抱くとまだ戸惑ったような声。

「ま、待って私銃なんて握ったことないわよ?!」
「俺だって軍に入るまでは触ったことすらなかったさ。」

大丈夫、できるよと丸め込んで肩をぎゅっと抱き直すと「あなたって本当に勝手な人」としどろもどろな言葉が聞こえた。そのセリフ、そのまんまアンタに返すぜ。

射撃場の中に入り受付カウンターに声をかけ手続きを始める。まだ怖じ気づいてる名前に身分証出して、と伝えるとおずおずとカードケースから運転免許証を差し出した。

「写真、随分かわいく写ってんね」
「やめてよ恥ずかしい」

完全に目を伏せてしまった名前に、ここ、知り合いが経営してる射撃場だからそんな怖じ気づくなってと伝えても緊張は解けない。実際に俺と彼女の顔を交互に見てニヤニヤと笑っている受付の男はれっきとした知人だ。こりゃ名前が銃の取り扱いに関する講習やテストを受けている間に根掘り葉掘り関係を探られるだろう。

「じゃあ君はこっちで講習受けてね」

そう指差され隣の部屋に行くよう指示されると「えっ…」と短く驚きつつ、そろりと名前が俺から離れた。不安そうにちら、と俺を見た名前の瞳が困惑していて「映像見るだけだよ」と背中を押してやる。いつも強気で男にビンタして罵倒することに躊躇いがない名前の弱々しい姿に口の端が上がってしまう。こんなにしおらしい名前を見るのは何時ぶりだろうか?名前のかわいらしい振る舞いに「俺のハニーかわいいっしょ?」と惚気たくもなるが、んなこと言ったことがバレたら酷い目に合いそうだ。
名前が講習やらテストやらを受ける数十分、やはり予想通りに質問責めを食らってまいってしまった。「スタン、お前が女を連れてくるなんて!」「いつから付き合ってんだ?」「式には呼んでくれよ!」という先走った言葉をどう逃げ切るかに脳のリソースを割く。なんたって俺と彼女の関係は友人以上の何物でもないのだから。

「…マジ?スタンのアプローチ断る女存在すんの?」
「存在してっしなんなら今隣の部屋にいんぜ。」

信じられないと言わんばかりに目をかっぴらいた知人にうるせーとやり場のない感情をぶつける。なんだかいたたまれなくなってしまった俺は名前が扱う銃の選別を始める。軽めのライフルでもいいが、護身用に部屋に置いとくならハンドガンだよなぁ。
オートマチックハンドガンを選んで手癖でメンテナンスを始めるとヒュウと俺をからかう音がする。うるせえうるせえ、こちとらあいつの機嫌が治るもんならなんだってやってやるつもりでここまで来てんだ。からかってんじゃねえ。
タバコ三本分の時間が経過した頃、やけに表情が明るい名前が隣の部屋からひょこりと顔を出した。かわいいじゃん、と思いつつ「お疲れさん」と声をかけると「ちょっとだけ銃を扱うのが楽しみになった」と前向きな報告を受ける。尻込みしていたのも一時の杞憂でいざ講習や説明を受けたら早く撃ってみたくてたまらなくなったのだろう。こういう少し単純なところもかわいい。

「じゃ、この中からターゲットを選んでね」

人物の写真が印刷された紙を数枚、机に出して的を選んでくれと促された名前はそれらを見比べることもなく「じゃあこれで。」と冷たく一枚を指差す。

「選ぶのはえぇな。」
「私をスペアにしようとした男に目が似てる。」

そう言い放った名前の瞳は一切の光を有していない。それでアンタの気が晴れるならいいさ、と呟いてみたが殺意が垣間見えている名前に上手く銃の扱いをレクチャーできるか不安になってしまった。やれやれ、先が思いやられんな。

射撃レーンに入って先ほどメンテナンスをしたオートマチックハンドガンを手渡すと、想定よりも軽かったのか驚きの声が上がる。反応が新鮮で気持ちがいい。
ハイヒールにスカート、長い髪、飾られた指先でグリップを握る姿を写真に納めるといたずらに「似合う?」と数枚写真を撮っていた俺に問う。まるで映画のヒロインを彷彿とさせる姿に甘い言葉のひとつでも投げ掛けてやりたかったが、子どものようにはしゃぐ名前の水を差してはいけないと我慢し「軍にいる誰よりも似合ってんぜ」とからかった。
この感情はゼノに共有してしまおう、と写真付きメッセージを一方的に送りつけてスマホを椅子に放り投げた。

「さて、どこ狙う?」
「もちろん頭よ」
「殺意たっか」

絶対殺すという意思を隠しもしない名前を笑うと不思議そうに首を傾げる。あー、そうだ普通は映画やドラマで見た知識を言葉にするよな、そう考えると名前の発言は至極当然のものだ。

「頭は的が小せぇだろ?確実に仕留める場合は胴を狙う。」
「へえ!」
「胴を撃って動きを止めてから心臓。これが一番殺せんね。」

待て、好きな女になんつー話してんだ?しかしながら銃を片手にワクワク顔で俺の話を聞く名前にはなんでも話をしてしまいそうな魅力が備わっているものだからお手上げだ。…惚れた弱みにしては甘さのかけらもない話をしてしまったな。
長い話よりも撃ったほうが早いと名前の腰を抱きながら銃の構え方をレクチャーし的に発砲するように促す。大きく息を吸い、じい、と真剣にターゲットを見据えて綺麗な指先がトリガーを引く。パンッと普段聞いている銃声よりも軽い音が響くと、はあ、と大きく息を吐いて後方にいた俺に顔をがばっと向けた。

「すごい、なんだか夢を見てるみたい。」
「そりゃ良かった、ほらもっと撃ちなよ」

ええ!と花のように微笑みもう一度的を見据える名前。さて、そろそろゼノから返事が来てんだろとスマホを拾うと案の定少しだけ長い文章が視界に入る。文字を追うと初っぱなの一文が「ついに元彼でも殺すのか?」とありえなくはない心配で声を上げて笑っちまう。その声に数発発砲し終えた名前が不思議そうに疑問を投げ掛けてきた。

「どうかした?」
「いや、ゼノにさっきの写真送ったんだけどよ、ついに元彼殺すのかって」
「その手があったか」
「やめてくれよ?!」

冗談よ、とケラケラ笑うのに笑えねぇとぼやく。ゼノからのメッセージを見るために俺の腕をぐい、と掴んで下ろしスマホを覗き込むとツゥーと画面に指を這わせた。その近い距離に役得、と思うのもつかの間ですぐにゼノへの不満を口にし離れていってしまった。クソ、ゼノ一体どんなメッセージ送ってきてんだよ。

「ゼノ、私のこと咄嗟に手が出る女だと思ってるんだけど。」
「違うのかよ」
「なんであなたまで驚いてるのよ!」

なんならたまに足も出るじゃねえか、と事実を突きつけてやると「それはっ…」と言葉に詰まってしまった。結構な頻度でヒールはいたまんま足を蹴ってくるけど、あれ案外痛いかんね?

「…心配しなくても、私に狙撃の才能はないみたいよ?」

そう言って的を指差す。そういや成績見てねえな、とターゲットを見ると一発も弾は当たっておらず無傷。…あの的、動いてねぇよな?

「マジで下手くそじゃん。」
「否定しないわ。」

しゃーねぇな、ともう一度レーンに立つよう指示して先ほどと同じように構えさせる。構えは俺の教えをきっちり守っててキレイだ。じゃあ撃つ前に動いちまってんのか。

「一発撃ってみ」
「うん」

そのフォームのままトリガーを引く。どうやらトリガーを引いた直後の、弾が飛び出るその瞬間の反動により照準がブレてしまっているらしい。上半身を動かすな、腕は固定と指示したいところだが白くて細く、普段オフィスワークをしている彼女の腕には難しいかもしれない。

「腕ブレてんね、俺が支えてやっからトリガーだけ引いて。」

後ろから抱きつく形で名前の手首を掴むとピクリ、と小さな反応が返ってくる。ヒールを履いていても俺の胸ほどしかない身長にいつもより近い距離。銃器を取り扱ってんだから余計な考えは捨てたいところだが、顔の見えない名前の掴んだ手首の脈が早くてちょっと勘違いしちまいそうだ。

「このままトリガーを引けばいいの?」
「ん、もうちょい上かね」

くいっと腕を持ち上げ、ここで撃って、と耳元で伝えると小さく名前が頷いた。ゆっくり引かれるトリガー、反動に負けそうな手首をぐ、と支えると小気味良い音を立ててターゲットの頭に命中。
それを見た名前が「すごい」と感嘆の声を上げる。くるりと半周回って「あなた、本当に軍人だったのね!」と失礼な一言を放ちながら胸元に飛び付いてくる。おっと、こんなに熱烈なハグは久々だな。

「アンタ俺の職業疑ってたのかよ」
「だってあなた、顔だけで生きていけそうだもの。」
「よーし銃貸せ」

そんな不名誉を背負ったままは耐えられない。訓練や実践で扱う狙撃銃やアサルトライフルとはまったく違う軽すぎる銃を名前から奪い取る。抱きついたままの名前を抱き上げレーンから追い出し、目ん玉かっぴらいて見てな!と宣言。片手でハンドガンを構えて的を見る。少しカッコつけすぎだろうか、まぁ当たるならなんでもいいだろ。

「まず喉。」

宣言してトリガーを引くとパンッという頼りない軽い音が鳴る。当たったかどうか確認もせずに次の宣言。

「次は肺。」

パンッ

「心臓」

パンッ

「両目」

パンッパンッ

「ラストは眉間」

ハンドガン最後の弾丸をターゲットの眉間にぶちこむ。ふう、と一息ついてハンドガンに弾丸を装填しながらちらりと名前を見るとぽかんと少し口を開けたまま、急所ばかり穴が空いた的を見つめている。そして徐々にその光景を受け入れ、口をぱくぱくと数回動かしたかと思いきやすぐさま俺に言葉を投げた。

「スタン、あなたすごいわね?!私びっくりしすぎて何が起きたかわからなかった!」
「だろ?俺すごいんよ?」
「かっこ良かった!」

おお、おお?!出会って初めてレベルの称賛を受けていることに驚いてしまう。まさかこいつの口から俺に対して「カッコいい」という言葉が出てこようとは。晴れやかな名前の笑顔に少しはメンタル回復の手助けが出来てなによりだと息を吐いた。いっつも酒に溺れて愚痴を話す彼女しか見ていなかったものだから、健全すぎて笑えてくるな。

「元気出た?」
「ええ!スタンが彼を殺してくれたからね。」

死んだ男のことは忘れるわ、と両目の潰れたターゲットを指差す。変わらない彼女のスタンスに微笑んで名前の額に唇を落とす。
スタン?と俺の名前を呼ぶ名前に口の端を上げて「アンタが望むなら」と言葉を吐く。
片手でろくにターゲットも見ず、先ほどの感覚のみで再び頭を狙ってトリガーを引いた。

「アンタが望むなら、ヘッドショットでもなんでもやってやんよ」

先ほど撃ち抜いた額とまったく同じ場所にもう一度穴を空けた俺をぱちぱちとまばたきをしながら見つめる名前。少しだけかああ、と耳を赤らめて小さく「馬鹿な人」と口元を片手で隠しながら名前が呟いた。
馬鹿でいい、だから今日くらいは俺を見てくれ愛しいシュガー。

公開日:2020年9月3日