#1 カクテルに甘い口付けを

初めはビール、次にウイスキー。それに飽きたらワインにカクテル。食事もそこそこに背筋を伸ばして綺麗に飾られた指先でカクテルグラスを傾け、中のモヒートを一気に喉に流し込む。本日これで七杯目を半分以上飲んで尚、まだドリンクメニューを眺めている目の前の女。やれやれ、どんだけ飲むつもりだこいつ。

「次はスクリュードライバーでも頼もうかしら」
「ストップ、飲み過ぎだ」
「あなたにお酒を止められたら生きていけないわ」

そう言って軽快に店員を呼びスクリュードライバーをリクエストする彼女は明らかに苛立っていた。久々の再会にも関わらず挨拶のキスを簡単に済まされ、「いいお店があるの」と連れて来られたレストラン。そこで彼女は今まさに酒に溺れようとしている。そりゃそうだこいつが俺を食事に誘う理由なんざ、いつもひとつしかない。
さて、聞きたかないが本題を出さなきゃこいつは永遠に酒を煽り続けちまうだろうし、そろそろ聞いてやるか。

「で?三ヶ月ほど続いてた噂のパートナーは?」
「溺死したわ!」

残りのモヒートを全て飲み干して乱暴にグラスを机に置く。ひきつった笑顔で俺に堂々とそう宣言するが、いつも通りの返答で想定内。今回は溺死ときたか。
彼女曰く「別れた男は死んだことにしときゃ深掘りされない」、らしいが愚痴を言いたくてたまらないこいつは俺を今日も呼びつけるのだ。こりゃまた酷い別れ方したな、こいつ。酒の量がその凄惨さを物語っている。

「フラれたん?」
「…そう」
「理由は」
「浮気してたから顔面に出来立てのチキンパイ投げつけてビンタしてやったの!」
「それをフラれたって言うの面の皮が厚くて好きだぜ」

先ほど頼んだスクリュードライバーがテーブルに置かれ流れるような仕草でカクテルグラスを手に取る。すぐにそれを唇に当てようとする彼女に「待てまて」とストップをかけて自分が飲んでいたジンジャエールのジョッキを目の高さまで掲げる。すると彼女はにやりと口角を上げてカクテルグラスを目の高さまで上げて「チアーズ」と怨めしそうにつぶやき、俺もそれに乗っかる。本日五度目の乾杯でようやく本題にたどり着いたんだ、めでたいじゃないか。
乾杯が終わった直後に彼女は間髪入れずにカクテルを惜しげもなく流し込み、全て飲み干していつも吐くセリフを口にした。

「なにが乾杯よ!」
「記念すべき十五人目の浮気野郎を引っかけた女神に捧げてやってんだよ」
「スタン、あなたとはハイスクールの頃からの付き合いだけれど私の不運をカウントしているのは心底性格が悪いと思うわ!」
「おっと、浮気以外も含めると二十一人目だぜ?」
「もういい!」

げしり、とハイヒールで俺の足を蹴りあげたあと、Hey!とまた店員を呼び「ブラッディマリーをひとつ」とドリンクメニューをちらりとも見もしないでオーダー。いつまで飲み続けるつもりだ、まったく。
俺の心配を余所に、まったく酔った様子すら見せない彼女は「男運がない女」だ。はじめは美人が悪い男にひっかかんのはしゃーないか、と思ったりもしたがもはや擁護すら難しいレベルで彼女はやばいやつをいつも引き寄せる。もちろん、俺を含めて。
いい男と付き合うつもりもなく、ただただ平凡でいいと口にしている彼女は、いつもただただ平凡なクソ野郎を引き当てるのだ。ゼノに言わせてみりゃ彼女にも要因があるらしいが、俺から見りゃただのかわいそうな被害者だ。もはや浮気されたくらいじゃ泣けない彼女にせめてもの乾杯を。

「男見る目ねぇなあ」
「あら男を見る目はあるつもりよ。少なくともスタン、あなたはマトモに見える。」
「おっ、じゃあ俺と付き合おーぜ」
「それは嫌」

チッ、またダメだった。ダメ男とは付き合うくせに俺にはまったくイエスをくれない意地が悪い女。これで通算何度目の撤退かもう数えてすらいない俺を一瞥もせずにサラダを少しずつ口に運ぶ冷たい奴。
まぁ、あんま言い過ぎっと逃げられっかんね。それだけはちょっと望んでいない。数年前にガチのプロポーズをした翌日、連絡先どころかSNS、住所すら変えてまで俺から逃げたこいつの行動力は本物だ。あの時ばかりはちょいとまいっちまったからな。ゼノが仲介してくんなきゃこの関係に戻れなかった苦々しい過去を繰り返すわけにゃいかない。

「で?もう吹っ切ってんの?」
「当たり前でしょ、あんなヤツ未練すらないわよ」

じゃあ本日の苛立ちはそんな男ばっか引っかける自分へか。まぁ酒飲んで愚痴って寝ちまえば明日にはまたこいつは新しいパートナーでも探すんだろう。気が重い。
ため息すら枯れたタイミングで計九杯目のカクテルが提供される。真っ赤なそれを綺麗な瞳がきらりと捕らえ、ぱっと笑顔が咲く。ほらちょっと愚痴ったらこれだ。俺にも三割くらいでいいからその笑顔を向けてくれよ。

「カクテルばっか飲んでんの珍しいじゃん」

このまま死んだことになっている男の話題を引っ張っても面白くない。こちとら久々に好きな女に会ってんだ、少しは明るい話題を、と彼女が先ほどから頼んでいるカクテルについて口にしてみる。こいつ、いつもはビールばっかだかんね。

「ゼノにね、カクテル言葉ってものを教えてもらったの」
「ゼノに?」

珍しい、あいつがそんな情緒的なものを口にするとは。それはゼノの膨大な知識にもとより入っていたものか、それとも彼女に話を合わせるために必死こいて調べた産物か。どっちでも相当面白い。

「この前ゼノと大喧嘩したのだけれど」
「その話、聞いてないぜ」
「言ってないもの。その時にね、ゼノがモスコーミュールをくれて」

モスコーミュール?つーことはバーだよな?なんで二人でそんないい感じに飲んでんのかってことのが知りたいんだけど?

「カクテル言葉は仲直りだ、なんて言うからおかしくって!その日からちょっとカクテルにハマってるの」

彼がそんな行動とるなんてね、とまたクスクス笑う。あークソ、なに幼馴染に妬いてんだ俺。
俺がだんまりしちまったものだから彼女が少し首を傾げて「スタン?」と俺の名前を呼ぶ。整った顔に派手なピアスがじゃらんと音を立てて俺の様子が可笑しいことを訴えると、また彼女はカクテルグラスを手に取るのだ。

「私、カクテル似合わないかしら?」
「似合うに決まってんだろ」

そう口にしてテーブルの下ではゼノに長文のメッセージを片手で書き出す。彼女といつバーに行ったかなんて聞いてどうするんだろうな。きっとゼノにもそう言われちまう。
我ながら長すぎる糾弾をゼノに送りつけて、ついでにカクテル言葉なるものを調べる。ヘェ、いっぱいあんじゃん。帰りの車で教えてもらおっかね。

「カクテルなんて可愛い女性が飲むものだと思っていたから、少し臆病になっていたの」
「アンタは十分可愛いし世界で一番カクテルが似合ってんぜ。ただ、飲み方だけは直したほうがいい」
「ふふ、ゼノにも言われたわ。」

そう言って俺のアドバイスも聞かずにまた一気に真っ赤なカクテルを喉に流し込むのだ。酒の飲み方だけはいつまでたっても直さねぇなぁこいつ。
半分呆れながら先ほど開いたカクテル言葉のページを流し見すると、あるカクテルに目が留まる。ドリンクメニューをまた見始めた彼女にプレゼントするカクテルが決まってしまった。

「おい、まだ飲むのかよ」
「最後だから!」
「じゃあ俺に選ばせてくれ」

ドリンクメニューを取り上げると不敵にニヤリと笑う彼女の顔が見える。お酒が好きな私が満足するものをあなたが選べるの?と言わんばかりの瞳を軽くあしらって店員を呼ぶ。彼女に聞こえないようにカクテルをオーダーしドリンクメニューを下げてもらうと彼女から「あっ」と執念深い声が上がった。

「飲み過ぎなんだよ」
「スタンとしかこんなに飲まないわよ」
「嘘だね、ゼノに介抱させやがって」
「あなたたち相変わらず仲が良いわね…」

困るわ、とぼやいて髪をいじいじ。昔からそうだ、言葉に詰まったら髪を触る。彼女のかわいい癖。ハイスクールんときからの長い付き合いもここまでくりゃ腐れ縁。ま、途中で無理やり俺が繋ぎ止めはしたが。
さて、オーダーしたカクテルが彼女の前にトン、と置かれる。目をまんまるにして驚いて、俺の顔をちらりと見る彼女にぱちりと目をあわせてやると困ったように眉をひそめた。

「アプリコットフィズ…」
「お嫌いかい?」
「まさか。ただ、困ったわ。深読みしちゃうわね?」

カクテルグラスをそっと手に取り困り顔。よく似合うぜお姫様とからかえば、もう、と短く息を吐く。覚悟を決めた彼女はカクテルグラスに唇をつけて、一口目を少量口に含む。

「お味は?」
「…酔っていてよくわからないわ。」

なんてずるいヤツ。
都合が悪くなったら酔ったなんて口にすんだ、まったく。まぁ今日はこんくらいで勘弁してやんよ。困った顔をしてほしいわけじゃないしね。
さて、今からこの酔った女を連れて海でも行くか、それとも大人しく自宅まで届けるか。はーぁ、今日が終わればまた当分こいつに会えねぇのか。さすがにもうちょい一緒に居たいし遠回りのドライブでもすっかな。
そんなことを考えながらポケットから取り出した車のキーを指でくるりと回した。

公開日:2020年8月6日