レンズ越しじゃ物足りない!
軍人Side

彼の第一印象は「なんかとんでもねえ美形がいる」だった。

撮影現場に入った瞬間に目を奪われるブルーグレーの髪に存在感のある体躯。服では隠しきれていない逞しい肉体に不釣り合いなほど長いまつ毛と通った鼻筋。なによりも、気だるそうな瞼の奥に見えるクリアブルーはすべてを見透かしてしまいそうなほど澄んでいる。
一体どこからこんな美形モデルを連れてきたのやら、思わずイケメンすぎる彼にごくりと生唾を飲み込んでは本日の目的を見失いそうになった。彼を遠目から見つめて数秒、はっと我に返って首をぶんぶんと振るとようやく思考が現実に引き戻される。
駄目ダメ、今日は軍人たちを撮影する貴重な日。これから準備に軍人の相手に大忙しなんだから美形に見惚れてる場合じゃない!と考えを巡らせてようやく矛盾に気づいた。

…うん?今日、軍人の撮影だよね?
どうしてあんな美形がスタジオに?と呆然としていると先輩からいきなりとんでもない耳打ちを食らった。

「あの人、軍人らしいわよ…」

なんて自分の価値がわかっていない男なんだろう。
これが彼に対する第二印象だった。

今日はチャリティカレンダーに使う写真の撮影日。この撮影会は動物保護活動の一環で、カレンダーの売り上げはすべて動物保護施設に寄付される。そのカレンダーになぜ軍人が起用されているか、は、私もよくわからないけど…どうやらイケメン軍人の鍛え上げられた半裸と動物の写真は馬鹿みたいに売れるらしい。
おかげでアシスタントである私は朝からどたばたと機材の搬入、動物たちの手配、軍人たちの相手と慌ただしい時間を過ごしているわけだ。

そんな忙しいチャリティ活動、もちろん撮影もボランティアとなっている。が、そのタダ働きを吹き飛ばすメリットがこの撮影会にはあった。

「いい男ばっかね~!」
「あんまりガツガツしてると引かれますよ」

そう、今日は婚活市場では超優良物件とされる軍人と知り合える人生のボーナスタイムなのである。普段、動物や景色、恋愛ご法度な芸能人を相手にしている私達にとって今日の撮影は軍でも指折りのイケメン、つまりは”いい男”を捕まえる絶好のチャンスというわけだ。
そのせいか女性スタッフは先程からソワソワ、待機してもらっている軍人たちを静かに値踏みするように眺めては不躾に点数をつけている。先輩もそのひとりらしく、普段の様子からは考えられないほどイキイキと表情を輝かせながら堂々と仕事をサボっているわけだ。…忙しいんだから真面目に働いて欲しい。そんな願いはきっとどこにも届かないけど切にそう願った。

「あんた男っ気ないんだから今日くらい好みの男にアプローチすれば?」
「興味ないで~す」

ひらひらと手を振って先輩のお節介を華麗に躱す。先輩の言葉通り、男っ気がない上に仕事一筋の私にとって今日の撮影会は憂鬱でしかない。というのも、この浮ついた空気がどうも苦手で、今日はハイスペ男子との合コンじゃないんですよ!と釘を刺したい気持ちをぐっと抑えてこの場にいる私を誰か褒めて欲しい。
さて、浮ついた人たちは無視して仕事仕事!と今日のスケジュールを睨む。ぎっちり詰まったそれに再度「男にかまけてる時間はない」と再認識すれば仕事に取り掛かるべく、撮影の準備に取り掛かった。

アシスタントの仕事は多岐にわたる。撮影環境や照明のセッティングや機材の管理・メンテナンス。撮影した写真の整理や比較したものをモデルに見せることもあれば、理想に近づけるための加工を請け負うこともある。仕事相手とのやりとりやスケジュール調整まで担当する、言ってしまえば撮影現場全体のフォロー役。
撮影を円滑に進めることのみに徹するカメラマンの技術を一番近い場所で学べる仕事。目が回るほど忙しい仕事だけどいつか自分のスタジオを持つために下積みをしている最中の私に、弱音なんて吐く暇はない。

そう気を張って次の撮影に目を向ける。次はシベリアンハスキーの子犬と、スタンリー・スナイダーという名の軍人の撮影。そう確認しては、待機していたハスキーを抱き上げる。大人しくって人懐っこい子犬が嬉しそうにわんっと声を上げれば、少しだけ頬が緩んでしまう。
「Good Boy、撮影がんばりましょうね」と子犬に声をかけておでこに唇を落とすとすぐに軍人を探すために、軍人たちが待機している場所に足を運ぶ。そうしてそのまま「Mr.スナイダー!撮影の準備をお願いします!」と声を張り上げた。

その声に反応したのがあの、自分の価値を理解していない美形だったものだから大きく目を見開いてしまう。そうか、彼の撮影はまだだったか…と心中で呟きつつ撮影を予定している場所まで彼を案内しようと「こちらへ」と声をかけた。
近くで見れば見るほど美しい男。スラリと長い手足に完璧に整った顔。ふわりと香る煙草の匂いすら彼の魅力にしてしまうような、存在感のある男。さぞかし写真映えするだろうなと彼を眺めながらそう思いついてしまっては、じわり私情が沸いて出る。彼の写真が楽しみだなんて私も結局美形に絆されている証拠だろう。

「その犬、俺のパートナー?」
「はい。抱っこしてみます?」

そう提案するとスナイダーは少しだけ表情を和らげて「是非」と腕を伸ばす。そのまま子犬を彼に渡すと、相変わらず人懐っこい笑みを浮かべている子犬は嬉しそうにぶんぶんと尻尾を振った。間近で子犬の顔を覗き込んで「可愛いじゃん」と呟いたスナイダーも目元を緩ませている。
良かった、ベストパートナーじゃないか。偶然とは言えお似合いのふたりにますます写真の出来が楽しみになる。と、同時に、ふたり揃って同じような顔で笑うものだからクスクスと思わず笑声を漏らしてしまった。

「ふ、ふふ、なんだかおふたり、似てますね」
「俺はこんなツラしてねえよ」
「笑うと目元が優しくなるところとか」

そっくり、と言いかけてハッと自分がとんでもないことを言ってしまったことに気づいて言い淀む。慌てて言葉を訂正しようと彼の顔を見上げると、じい、と透き通った瞳が私の顔を凝視していたことに嫌でも勘づいてしまった。その瞳の真意がわからなくって気に障ってしまっただろうか、と内心ビクついているとスナイダーが唇の端をにんまりと上げた。

「俺が犬っころみてーなんて言うヤツ、アンタくらいだよ」

その言葉の意味を、すぐに思い知らされるだなんて夢にも思うまい。

「特殊部隊の隊長さん…?!」
「そ。だから顔晒すのNGなんよ」

びっくりしすぎて裏返ってしまった声に頷くスナイダーは子犬をもにもに撫で回しながらそう告げる。特殊部隊所属の軍人を撮影することは初めてではない。みんな例外なく、顔はNGだと告げその代わり厳しい訓練で鍛え抜いた体を晒してきた。
私が驚いたのは、一見どこかでモデルをしていてもおかしくないほどの美貌を持った軍人が、その厳しすぎる特殊部隊に属し隊長というポジションを確立していることだった。今までたくさんのモデルをこの目で実際に見てきたけれど、彼はその誰よりも整っていて凛々しい顔を有しているように見える。

「わ、かりました、カメラマンにそう伝えておきます」

なにより。なによりも、彼の美しい顔を写真に残すことができない。その事実がずどんと胸を撃ち抜いてはがっくり肩を落としてしまう。あーあ、せっかく素敵な写真が撮れると思ったのに。
それにしても、スタンリー・スナイダー。二十代前半の若さで特殊部隊の隊長とはいかにも独身女性が喜んで飛びつきそうな物件である。このことは婚活目的の先輩たちには絶対に言わないでおこう、と心に誓って撮影オーダーを上司に告げた。

撮影中も気を抜くことができないのがアシスタントだ。スタンリー・スナイダーの撮影がはじまってすぐ、カメラマンからライティングの指示が入ってはスタッフと共にライトの調整に入る。ライトの角度を変えてすぐに撮影の合図をキャッチすれば、そっとその場でスナイダーの様子を伺った。
ライトに照らされてきらきらと艶めくグレーに血色の良い肌がよく映えた。鍛え抜いて無駄のない肉体で子犬を抱き上げてはその瞳を覗き込んでいる。慈愛に満ちた瞳を衆目に晒している彼がにんまり唇の端を上げれば、神の寵愛を感じずにはいられない。その表情が、瞳が、指先が、あまりにも優しくて無意識に息を呑んでしまった。

そうして、思わず、

「世界の損失だ…」

と呟いた。

繰り返されるシャッター音に、少しずつ変化するスナイダーの表情。しかしその神の造形はどこにも記録されることはない。その事実になんだか、胸の真ん中にぽっかり穴が空いてしまったような空虚を感じてしまう。
彼の姿を、表情を、フィルムに閉じ込めることができたらどんなに素敵だろう。そう感じざるを得ないほど彼の総てにどうしようもなく目が眩んだ。

「ねえ、喫煙所どこか知んない?」

スナイダーの撮影が終わったあと、すぐにそんなことを彼から問われた。言葉や声が軽やかで撮影が終わって清々したと言わんばかりの態度に「さっきまでとは別人みたい、」と内心ぼやきながらここからそう遠くはないが隔離された場所にぽつんと煙草を許可された居場所があることを伝える。すると「あー、」と歯切れの悪い生返事が彼から聞こえたもんだから、説明が悪かったかしらともう一度喫煙所の場所について説明しようと口を開いたところ、スナイダーからの制止が飛び込んだ。

「ストップストップ。悪いんだけど案内してくんない?アンタの休憩んときでいいかんさ」
「いいですけど…ちょうど今から休憩頂いてるので行きましょうか」

方向音痴なのかな、案内してほしいなんて変なの。そう思いつつもたまたま休憩が被ったこともあって快く「こちらです」と彼についてくるよう促した。…って、今日のモデルの中で一番美形な彼と並んで歩いてるところを先輩に見られでもしたら大変なことになるんじゃ…なんて心配事が脳裏を掠めれば自然に歩幅が大きくなる。
はやく案内を終わらせてしまおう。そう目論む私なんかお構いなしでスナイダーがあっさり隣に並んでしまえば、何を思ったのか世間話と言わんばかりに疑問を投げつけてきた。

「アンタは婚活しねえんだな」
「…はい?」
「いや、他の奴ら目の色変えて連絡先渡してきたかんさ」

そうぼやいてポケットの中から大量の紙や名刺を取り出した。その数に唖然としつつもあの撮影現場を見てしまった手前、そりゃあモテるよねと納得してしまった自分がいる。そして婚活目的の女がこんなにもいる中、私だけは連絡先を渡すどころか目の色も変えていないことに疑問を持ったんだろう。

「スタッフたちがとんだ失礼を…」
「いーよ、この撮影ハイエナみてえな女がわんさかいるって聞いてっし」
「ハイエナ?!」

大問題である。
確かにここ最近は目に余るアプローチをしているスタッフも少なくない。そのたび社内でも問題になっていたけれど、軍人からもそう思われていたんじゃ信用問題に関わる。それこそ、契約を打ち切られちゃたまったものじゃない。ボランティアとは言えカレンダーの仕事は良いPRになるのに!
そう眉をひそめていると隣からクツクツとそんな私を笑う音。綺麗な顔を緩ませて声を押し殺して笑い始めたスナイダーの姿にようやく私がからかわれていることに気がついた。

「か、からかわないでください…」
「からかったつもりはねえが…アンタが真面目ってコトはわかったよ」

そう呟いて楽しそうに口元をくいっと上げる。こんな真面目だけが取り柄の女を捕まえて悪趣味だ。それこそからかうなら婚活に必死な女を捕まえて喫煙所まで案内させれば良いものを。
楽しそうに口角を上げているスナイダーとは対照的にむっと唇を結ぶ。改めてこの状況が居心地悪くて「早く案内を終わらせよう」と目的地に歩を進めた。そんなに遠くないはずの喫煙所がやけに遠く感じては、胸中でため息が渦巻いて仕方なかった。

「は~、やっと煙草吸えんぜ。案内あんがとな」

ようやくたどり着いた喫煙所に一言、スナイダーが上機嫌に唇を鳴らした。煙草が吸えるのがよっぽど嬉しいのか撮影のときには見せなかった口角と緩んだ瞳をこちらに向けるスナイダーと視線がぶつかると思わずサッと視線を外してしまう。
これ以上彼と一緒にいるのは文字通り、目の毒だ。それに役目を果たした私がここに留まる理由はない。そう「じゃあ、私はこれで」と手を振りながら踵を返そうとするとあろうことかその宙に浮いた手のひらをスナイダーがパシリと捕まえた。

「もうちょい居てくんねえ?」
「えっ」
「俺とのお喋りは嫌いかい」

口をついて「なんで?」と疑問が飛び出そうになるのをぐっと堪えてしまう。…訂正、煙草に火を点けるスナイダーの横顔があまりにも芸術品じみていて言葉を飲み込んでしまう。
にんまり悪戯に口角を上げて顔を覗き込んでくる彼の表情があまりにも柔らかくて、そんな顔を向けられている私はぱくぱくと魚のように唇を震わせるしかない。そして数秒の沈黙のうち、とっととこの場から逃げ出す私の計画はあっさり打ち砕かれてしまった。

「す、少しだけなら…」
「よっしゃ」

なにがそんなに嬉しいのか、頬を緩ませて煙を燻らせる。掴まれたままの手のひらがやけに熱くてもじ…と指先を動かすとそれに気づいたスナイダーが「あ、悪い悪い」と軽い謝罪を口にしながらパッと私を解放する。ただ、掴まれた瞬間の彼の体温が指先に残ってしまって余計に居心地が悪かった。
…女をからかいたいだけなら、私じゃなくてもいいクセに。隣で澄ました顔して煙草の煙を肺に流し込んでいる男の真意が読めなくて頭の中がぐるぐるする。悔しいことに彼の横顔ひとつでわかるのはスナイダーという男が愛煙家ということだけだった。

「アンタは写真撮らねえの?」

肩を並べて無難に世間話でも始めるのかと思いきや、スナイダーから飛び出たのは私に対する疑問。そんなことを聞くためにわざわざ引き止めたんだろうか?と懐疑が沸くが、答えない理由もない。

「私はしがないアシスタントなので…」
「ふーん、勉強中ってわけね」

唇に咥えた煙草を器用に上下させながら相槌を打つ。そんな行動ひとつ切り取っても様になるのが無性に悔しかった。この瞬間を切り取って、額縁に入れて閉じ込めてしまいたい。そう渦巻くのは彼に魅了されてどろどろに溶かされた浅ましい欲だった。

「カメラマン目指してんの?」
「…まぁ」
「ヘェ、すごいじゃん。なんか撮りてえモンとかあんの?」

生返事にすかさず質問を重ねるスナイダー。私の顔を覗き込むように首を傾げながら楽しそうに言葉を投げる彼に心臓が少しだけ跳ねた。多少強引に視線をぶつけられれば瞳のクリアブルーに私が映り込んでいるのがわかる。そんなスナイダーの行動に息を飲み込みながら「か、考えたことない…」と彼の質問すら飲み込んだ。

「ただ、あなたみたいな素敵な人を撮影できたら…って思う、かも」

思わず、本当に思いがけず呟いた本心。スナイダーの真っ直ぐな眼差しにずるりと引きずり出された本音を言葉にした途端、ぶわっと体中の毛が逆立つような感覚が全身を走った。わ、私いま、とんでもないことを言ったんじゃ…と自分の発言にぐるり脳内をかき回されると同時にスナイダーがにんまりと口角を上げたのが見えた。

「もしかして口説かれてる?」
「めっ…滅相もございません…!」

ハイエナの仲間だと思われちゃたまったものじゃない!と両手と首をぶんぶん振って全力で否定する。真面目だけが取り柄の私までが婚活スタッフの仲間入り認定されるのだけは避けたい。そう必死に否定しようとするも、呟いてしまった言葉がずっとスナイダーに対して抱いていた下心だったもので否定しようがなかった。混乱してぱくぱくと魚のように唇を震わせるも、否定も肯定もできなくてぐらぐらと目眩がして気が遠くなる。
そんな私の様子をまじまじと眺めるスナイダーが突然ずっと唇に咥えこんでいた煙草を灰皿に押し付ける。ぐじゅ、と火種が消える瞬間がまるでスローモーションに見えて、短く息を吸った。

「ははっ、アンタならいーよ」
「…え?」

喉を震わせながら彼が吐き出したのは、煙でも悪態でもなく私の失態への快諾だった。その返事がすぐには理解できなくて思わず聞き返してしまうと、もう一度、ハッキリとスナイダーが言葉を紡ぐ。

「アンタになら、顔アリで撮影されてもいいっつってんの」
「ほっ…本当?!」
「もちろんプライベートで撮る分は、だけどな」

そう釘を刺すように告げるスナイダーの言葉にコクコクと何度も首を縦に振る。コンテストに出れなくったって構わない。ただ、この手で神の造形を閉じ込めることができることに胸が高鳴った。それだけで十分だった。
彼の姿を、表情を、フィルムに閉じ込めることができたらどんなに素敵だろう。そうずっと燻らせていた欲を煽られてしまっては口元が緩んでしまって咄嗟に手のひらで口元を隠す。きっと私は今、喜びを隠しきれてない緩みきった表情を彼に晒している。
そんな私の顔をじぃ、と眺めていたスナイダーがいきなりフッと口角を上げながら眉を下げて困ったように笑った。そして口元を隠していた手をそっと取って、そのまま指と指を絡めてぎゅうっと握りしめる。その体温が、さっき捕まったときよりも熱くて思考を奪う。

「その代わり、俺とカフェでコーヒーでもどう?」
「…へっ?!」

さっきから口説いてたつもりだったんだけど。と色づきの良い唇がのたまって弧を描く。それを呆然と眺めては彼が唯一神様から与えられなかったモノに気づいてしまった。
なんて、なんて自分の価値がわかっていない男なんだろう!見る目がまるでないなんて実は残念な男なのかもしれない。だって、私みたいな真面目だけが取り柄のつまらない女をわざわざ連れ出して口説いてたなんて!
くらくらする視界の中、ちらりとスナイダーに視線を飛ばすと少しだけ頬を紅潮させた彼と視線がかち合った。
その瞬間すら欲しいと願う私が選択肢なんてないことに気づいてしまっては、彼の指を握り返す他ない。

公開日:2024年4月30日