遅刻しそうな朝の話

「おはよ」

そう笑ったクリアブルーの瞳と朝日の魔法で輝いて見える青みがかったシルバーの髪。爽やかな口調とは裏腹に彼の手は私の手首をがっちり掴んで離さない。

「えーっと…」

ぱちぱちと彼を見て、おはようよりも伝えなきゃいけない言葉を投げ掛けた。

「遅刻するから離して」

時刻は朝6時20分。早く支度を始めないといつもの電車に間に合わない。それがわかっているはずなのにスタンは私に触れるのをやめない。ぱしんと軽く彼の手を叩いてするりと彼から脱出した私にスタンが「いってぇな」と恨み言を吐いた。

「俺がデビルドッグならアンタはカンパニードッグだな」

会社の犬、なんて皮肉を背中で受けながら朝の身支度を始める。パジャマを脱ぎ捨ててオフィス・カジュアルなんていう誰が決めたかもわからない形式とされる服をクローゼットから引っ張り出した。それを見てスタンが私に嫌みを言う。

「あーあ、また冬服出しそびれてやんの」

土日に衣替え宣言をしたもののそのことがすっかり頭から抜け落ちていた。部屋は少しだけひんやりとしていて冬の足音を聞く。

「今週寒いかなぁ」
「もう11月入るぜ」
「嘘?!」

思わずスタンを見るとホント。と眠たげに返されてしまった。今日帰ってきたら真っ先に衣替えをしないと死んでしまう。そんなことを考えているとスタンがベッドからようやく起き上がった。

「朝飯は?サンドイッチでい?」
「ごめん食べる時間ない」
「駄目、食べてって」

お母さんみたいなこと言うなぁ、なんて居心地悪くその言葉を受け止めながら洗面所で顔を洗う。すぐに保湿をしてメイクのベースをテキパキとこなす私を先ほど起き上がったばかりのスタンが押し退けた。

「ちょ、スタン邪魔!」
「顔くらい洗わせてくれよ」

そう言って嫌みなくらい綺麗なその顔に水をぶつける。ああもう、またタオル出さずに顔洗って…と先ほど私が顔を拭くのに使ったタオルを彼に押し付けた。

「サンキュ」
「ほら邪魔邪魔!」

そう言って彼を洗面所から追い出す。追い出された彼は私の背後を通りすぎてキッチンへ向かった。朝ごはんを作ってくれるんだろう、有難いけど電車間に合うかなぁ。なんて、知られたら怒られそうだ。

よし、と気合いを入れて前髪をぱちりとピンでとめる。急いでいる朝でもメイクだけはかかせない。ファンデーションを肌に滑らせて肌荒れを隠すと次は色を足す。みるみるうちに寝起きの顔が社会人らしくなるものだから朝のメイクは侮れない。

メイクを超特急で終わらせて前髪を巻こうとアイロンを手にすると「朝飯できたぜ」なんて声が聞こえた。急いで前髪を巻いてスタイリングスプレーを吹き掛ける。そして髪にヘアオイルを髪を揉み込むようなわしゃわしゃっとつけてナチュラルパーマに沿ってくるくると指を動かした。そうしてようやく朝の身支度が完了するのだ。

そのタイミングを見計らってスタンが私を洗面所から引きずり出す。リビングに無理やり連れ込まれ、椅子に座らされる。時刻を見ると7時ぴったり。もう家を出る時間だ。
それを知っているくせにスタンがずいっとサンドイッチを口元に押し付けた。

「ほらあーん」
「マジで時間ないからゴメン」
「あ?スタンリー様特製サンドイッチが食えないなんて言わないよな?ハニー?」

ああもう!とスタンの手から一口だけサンドイッチを食べたあとに奪い取る。そしてそれを頬張りながらコーヒーで流し込んだ。「ハムスターみたいだな」と嬉しくない評価を受けながら私は急いでスタンリー様特製サンドイッチを胃に納める。

「ごちそうさま!」

通勤バッグを片手にすぐに洗面台に走り歯を磨いて、コートを着る。どたばたと玄関に走る私をため息まじりに眺める長期休暇中のスタンリー様は余裕があるようで羨ましいかぎりだ。

「秋服にコートかよ」
「仕方ないでしょ」

そう言いながら靴を履く私の頬に唇を落とすスタン。もう、いってきますと言うと「はやく帰ってきて」と甘い顔が甘えるのだ。
ああもう、早く帰ってくるために早く出勤してるんだからね。なんて本音は飲み込んで駅まで走るために大きく息を吸い込んだ。

公開日:2020年10月27日