七海龍水ver

今年最後の日、大晦日。私は仕事柄今日が仕事納めになってしまって、ついでに明日はお休み明後日は仕事はじめ。見事すぎる社畜である。
そんな私は今、派手なパーティドレスを身に纏い豪華客船の甲板、海の上で年下の知り合い七海龍水くんに手を握られている。いや、なんでだ。ここまで振り回されておきながらまったく状況が把握できていない。ふふ、面白い。

「はっはー!!このまま海を渡るぞ!!」
「ふふ、ウケる。金持ちの感覚ほんとわかんない。このドレスいくらするの?」

ふらふらで仕事を終えたのがほんの三十分前で、会社から出た瞬間に高級車から出てきた龍水くんに拉致された。いきなりドレスを渡されていろんな女の人にメイクを施されギッチギチにコルセットをまかれて「ぐええ死ぬ死にます夜食のラーメンが出ちゃいます」と訴えたにも関わらずそのまま彼の好きそうな海色のドレスを着させられた。
そして「龍水さま、名前さまをお連れしました」と龍水くんの目の前に献上されたのだ。なんて薄情な。

「えっと、全然理解できてないんだけどこの船はどこに行くの」
「どこにでも連れていくぜ、行きたい場所を言ってくれ」
「いやごめん、帰りたい」
「…面白い冗談だな!センスがある」
「いやほんとごめん、帰って紅白見たい」

あと明後日には仕事始め、と事実を伝えると目を見開いて茫然と私の顔を見る龍水くん。断られる想定をしていなかったのだろう、わかるわかる私だって仕事さえなければ「じゃあシンガポール行きたーい!!」なんてきゃっきゃはしゃいでいたところだろう。
残念ですね龍水くん、私は社会人で責任のある大人なので…。

「フゥン…正直日本で年越しをしたことがないんだが…」
「そうなの?!ちょ、フランソワさん?フランソワさーん!!この子教育間違ってますよ!!大晦日は蕎麦食べて紅白見てこたつで寝落ちでしょ?!」

だから私と年越しをしたい龍水くんはこんな手段に出たのか、と唖然とする。人を拉致ってドレスを着させて外国に連れ出そうとすることがいくら突飛な行動だとしてもこの手段しか知らないのだ。金持ち怖い。

「明後日から仕事ならば近場で過ごすしかないな」
「そうだよこう見えて仕事好きだからね。間違っても前みたいに弊社買収しようとしないでね…」

以前仕事だからとパーティのお誘いを断ったときのことを思い出す。あのときは本当に危なかった。龍水くんがあと一回スマホをタップしたら弊社が七海財閥に買収されるところだった。あのときは本当に焦った。この子の行動力と欲求を舐めていた。
まぁあの時から仕事で嫌なことがあっても「言うていざとなったら龍水くんがちょちょいのちょいでなんとかしてくれっからな!」とメンタルを保てるようになった。ふふ、本当に面白い。なに?いざとなったら買収してもらえるからいいやって。私のメンタルどこに行っちゃうんだろう。

「そうだ、狭いところだけどうちくる?お蕎麦の準備してるしこたつもあるよ」

その提案にピタリと動きを止めた龍水くん。いややっぱりナシだな、龍水くんにとってうちなんて犬小屋以下だろうしそもそも片付けもしてない。どうぞ「犬小屋には行けない」とはっきり断ってほしい。

「フゥン、それは楽しそうだな。フランソワ!早速準備を頼む」
「え、マジ?誘っておいてなんですが犬小屋だよ?犬小屋。大丈夫?」
「貴様が住む家だろう?年越しそばも気になる。よし!俺に名前の年越しを教えてくれ」

こりゃ大変なことになった。
この常識外れな男の子を連れて帰宅する日がくるなんて。というか絶対にうちには来ないように言い聞かせていたのに自分から誘ってしまった。うわ、蕎麦あるって言ったけど普通のスーパーで買った普通の蕎麦だよ?食べた瞬間蕁麻疹とか出ない?大丈夫?

「こんなにワクワクする年越しは初めてだ!早く向かおう」

私の心配を他所にそう言って笑う龍水くんに少しだけ胸が温かくなる。ふふ、いっつも振り回されてばかりだけれど笑ってると普通の男の子だな、なんて。

そう思ったのもつかの間、龍水くんの背後、甲板に降りてきたヘリを視界が捉えてあんぐりと口が開く。「乗り込むぞ!」と私を引っ張る龍水くん。コラコラ、うちの近くにヘリが下りれる場所なんてないぞ~!なんて言葉はきっと彼には届かない。
こりゃ今年最後の最後に大変なことになりそうだ。ゆっくり紅白を見れたらいいなぁなんてぼんやり考えながら今年最後の嵐に自ら飛び込んだ。

公開日:2020年12月31日