きっと君にはイエスマン 後編

「絶対これも似合うしこれも格好いい…!どうしよう悩むー!」

男物の服を見てはキャイキャイ黄色い声を上げるのはずっと服屋を歩いて回っているのに疲れた顔ひとつ見せない彼女様だ。あれもこれもと服を吟味しては「石神くんはどう思う?」と心底楽しそうな笑顔をこちらに向けてくる。彼女の手には薄手のカーディガンやシャツ。これとこれを合わせて、とブツブツ呟いている名字は真剣そのものだ。

「だからテキトーで」
「ダメ!」

普段はこんなに頑固じゃない名字が今日ばかりは強い。瞳には「絶対に譲らない」と固い意志がこめられている。あ゛ー、完全にしくったわ。気軽に好きにしろなんて言うんじゃなかった。
楽しそうにしている名字を見ているのは悪くないが、ターゲットが俺となると話は別だ。名字のマネキンはさすがにちーっと骨が折れそうでたまらない。思わずため息が出そうになるが、名字があまりにも楽しそうでそんなもんは飲み込んでしまう。
…俺もずいぶんこいつに甘いこって。

「どうしようなんでも似合う…顔がいい…」
「…楽しそうでなによりだな」
「すっごく楽しい!」

整えられた顔がふにゃりと緩む。それにドキリと跳ねるのは心臓だ。いつもより長いまつげが上下してうっすら色づく頬が上がれば完全にこいつのペースに巻き込まれる。
爪の先に咲いた桜や足元の春にひらり揺れるスカート。私服を見るのは初めてじゃないが、毎回毎回よくもまあ完璧で目の前に現れやがって。

「石神くんはかっちりした服も似合うけどちょっぴり崩しても似合うと思うんだよね」

そう言いながらTシャツと…なんだあれ?名称がわかんねージャケットを手に持っている。そして俺の体に合わせると「ふむ」と品定めするようにじいーっと服と顔を交互に見る。そして「これ持ってて」と服を手渡してきた。

「名字サン、ちなみにこのジャケットは」
「コーチジャケットのこと?あ、もしかして苦手?」
「いや…なんでもねえわ。うん。テメーに全部任せる」

コーチジャケットっつーらしい。どうやら名字はカジュアルでまとめようとしているらしくトテトテとパンツ売り場に消えてしまった。ヒールのくせに足が早くて困る。つーか疲れてねえのかよ、これでも数時間行動しっぱなしなわけだし妙に背伸びした靴はしんどいだろうに。
終わったらカフェかなんかに行くか、映画でもいいな。あいつ、見たいつってた映画なかったっけか?確か数日前に公開されたコメディ映画…とぼんやり考えていると「石神くーん!」と遠くから俺を呼ぶ声。テメーただでさえ目立つんだから大声出すんじゃねえ!とズンズン名字がいる場所まで突き進む。もちろん名字は俺の心配なんて露知らずにっこり笑って俺のことを待っているわけだ。まったく、こいつには敵わない。

「このパンツとかどうかな?石神くんに似合うと思うんだけど…」
「おー」
「あ!これとこれとこれも似合うかなーって思ったんだけどどれが一番好きかな?!トーナメントしたら全部優勝しちゃった」
「トーナメントした意味ねえな!」

…終わんのか?コレ?
にっこにっこしながら服を押し付けてきている彼女様はあれもこれもと欲張りだ。全部似合うとか言いながらちゃんと俺が好きそうな服を選んでるとことか、たまにお伺いを立てたりだとか名字の性格が服選びに滲み出てて面白い。こいつはそういう奴。人の世話が好きなのかあれやこれや面倒を見ているときが一番イキイキしてやがる。

「どれが好きとかねーよ、もう全部選んでくれ」
「じゃあ同じ素材のジョガーパンツかなぁ。石神くん、足元は絞ってたほうが似合うと思う!」
「おー、じゃあこの一式で試着」
「待って!」
「まだなんかあんのか?」
「…中、パーカーでも似合うかも。ちょっと待ってて!」

そう言ってまた慌ただしく場所を移動する。離れていく背中が楽しそうで俺からはもう何も言えない。
…そもそも、だ。服選びは口実で名字と出掛けたかっただけ。学校でも常に隣にいるってのに休みの日まで会いたいなんざ口が裂けても言えなかった結果がこれだ。だからコスメだのカフェだの映画だのに名字を連れだそうとしてんのに。

「こういうのも似合うよ!」

そう言って白いパーカーを押し付けてくる名字。それを受け取るとすぐに店員に「試着したいんですけど、」と交渉に行く。そして案内された試着室に俺を押し込んだ。

「着替えたら呼んでね!」

そう言ってすぐにドアが閉められてしまった。それに思わずクククと喉が鳴る。勢い良すぎだろ、とかホントにコスメだの服だのが好きなんだなとか色んな感情が交錯する。柄じゃないが、コスメ見てるときも服を選んでるときもあいつの顔は眩しいくらいキラキラしてて悪くない。
さて、お手並み拝見だなと服に手をかける。初めてだらけの名称もわからなかったジャケットは名字が選ばなきゃ一生手にすることがなかっただろう。別の売り場にあった服を組み合わせることでどんな化学反応を起こすのか。残念ながら俺にはまったく想像できない。

「着替えたぞ」

そうドアを開けながら名字を呼ぶ。すると試着室の近くで店員と会話をしていた名字がパッとこちらに顔を向けた。そしてコスメを選ぶときとまったく同じ、キラキラした瞳で「わぁ!」と歓喜を上げた。
名字が選んだ服はカジュアルで動きやすい。なんなら全身を見て、初めて「しっくりくんな」と思ったし自分の体型や雰囲気に似合う服を見つけたようだった。実際に俺を見ている名字は「似合う!」と心底嬉しそうだ。

「かっこよすぎてモデルとかにスカウトされちゃう…困った…」
「なにバカなこと言ってんだテメー」
「ホントにかっこいいよ!これはダメだ…石神くんがアイドルになっちゃう」

そう笑って俺を褒め…褒めてんのか?これ?
そんな疑問を抱きながら「わーったわーった」とテキトーに名字を受け流す。店員がニヤニヤしながらこっちを見てるもんで居心地が悪いったらない。

「もう着替えんぞ」
「あっ、パーカーも着てみてね!」

キラキラした瞳に負けてもう一度試着室に押し込まれる。このあとパーカーも着て散々名字からの賞賛を浴びた。パーカーはパーカーでシャツよりもラフに着られて悪くない。…服なんざ興味なかったが名字が選んだ服は全部体に馴染んでいるような気がするから不思議だ。

「名字テメー、センス良いな」

そう素直に名字に伝えてやるとただでさえ大きい瞳が大きく見開かれた。そしてすぐにニッ、と唇をいたずらに上げてドヤッと効果音が聞こえてきそうな顔で笑った。

「ふふん、石神くんもファッションも大好きだからね!」

似合うものくらいわかるよ!と胸を張った名字。それに面食らって言葉が咄嗟に出てこない。ピリリッと顔に走った熱に戸惑ってパクパクと魚みてーに口を上下させている俺。そんなことには気づかない名字は俺に間抜けにふにゃりと笑った。…よくもまあそんなこと恥ずかしげもなく言えたもんだ。

「石神くん?」
「………テメーほんっと…」

俺のこと好きだな、と言いかけてやめる。そして「なんでもねえ」と言い捨てて試着室に逃げた。首を傾げたままの名字がドアの隙間から消えれば思わずハァ…とため息が飛び出る。

「あ゛ー、情けねえ」

鏡に映った自分の顔や耳が驚くほど赤い。ばくんばくんとうるさい心臓に毒されてドアにもたれ掛かるとずるずる、そのまましゃがみこんでしまった。そして頭に手を当てながらもう一度「あ゛ー…」と息を吐く。
早く着替えなきゃならないのにそれどころじゃない。着替えてる間に顔の熱が引くだろうか、また名字の顔を見たら同じ状況になったりはしないだろうか。そんな心配もごちゃごちゃの思考に消えていく。

「…もうちょい振り回されてやるか」

俺は本当に名字に甘い。
こりゃ残りのデートも服選びで潰れそうだ、と頭で立てたスケジュールを全部ひっくり返す。名字が疲れるまで付き合ってやろう。映画はまた今度の休みにでも誘うか。ククク、次の予定ができてなによりじゃねぇか。

…それにしても好きなやつの似合うものくらいわかる、なァ。残念なことに俺もさっきまったくおんなじこと思ったもんだ。あ゛ー、俺も俺でかなりの恋愛脳だなこりゃ。
はやくあのリップつけて笑ってるとこが見てえ。そんな俺らしくもないことを考えながらようやくオーバーサイズのパーカーに手をかけた。

公開日:2021年4月14日