きっと君にはイエスマン 前編

リクエスト内容:「コスメ好きと科学少年の話」のデート話


いつもより丁寧に仕上げた肌は私に自信をくれる。ピンクスカイをブラシに含ませて優しくまぶたを撫で上げるときらきら、まるでお姫様みたい。なみだ袋に大粒ラメを乗せたらぱっちりおめめの出来上がり!
アプリコットピンクで頬を彩ると違う自分になれる。バッチリ瞳に星を入れて前髪を仕上げると鏡にはいつもよりとびっきり可愛い私。数回鏡にウインクをしてメイクを確認したら、

今日もとびきり可愛い私をはじめよう!

春色ミュールが足元に咲く。少しだけ布が薄い膝丈Aラインワンピースが風に揺れた。羽織ったデニムジャケットで甘さを少しだけ抑えた私を君はどう捉えたんだろう。
そんなことを考えながら隣を見上げると、隣にはとっても大好きな人。いつも通りの制服に白衣とは違う、シャツにジーパンをあしらっただけのシンプルなコーデに先ほどから心臓がうるさい。

待ち合わせから数十分、私と石神くんは電車に乗って大型商業施設までちょっとしたお買い物に来ていた。いわゆる、「ショッピングデート」である。だから私は朝からそわそわどきどき、今も隣にいる石神くんを意識するたびに心臓が止まっちゃいそうだ。
ぐう、石神くんかっこいいよぉ!シャツにジーパンだけでこんだけかっこいいってなに?!ポテンシャルが凄すぎる!ナチュラルボーンめ!

「とりあえず服屋まわろっかー、どんなのがいい?」

今日の目的はたったひとつ。「石神くんの春服を見繕う」というちょっぴりチープなデートプラン。それでも私の胸はずっと躍り狂っていた。

デートが決まったのは数日前、桜の蕾がふくふくふくよかになってきた頃。寒さも和らいでそろそろ春だね、衣替えが楽しみなんて会話をしていたら石神くんが「春服あんま持ってねえな」なんて興味なさそうにぼんやり呟いた。それに対して春服の良さを散々語った結果、じゃあテメーが選べ!好きにしやがれ!とこの場が設けられたわけである。

正直役得、今日死んでもいい…という気持ちで私がデートに出陣してきたことはきっと石神くんは気づいていない。だって!彼氏の服を選べるなんて!幸せすぎる!ぜーったい石神くんに似合う服を見つけてやるんだから!とデートが決まってからずーっと寝不足。
今日は楽しみにしていた石神くん着せ替え大会。今にも足が勝手にスキップしちゃいそう。

「なにずっとニヤニヤしてんだ気持ち悪ぃ…」
「んへへ…嬉しくって。石神くんかっこいいからなんでも似合うだろうなとか、着てほしい服調べたりとか…ふふ、今日は覚悟してね」

ギラリ瞳を光らせると石神くんの顔がひきつった。絶対に逃がさない宣言は石神くんの喉仏が上下することで成立。石神くんも「好きにしろ」と言った手前、文句のひとつも吐けない状況。私の得意分野がコスメだけだと侮ることなかれ!もちろんファッションも大好き!

ふふふ…と怪しく笑い続ける私に「お手柔らかに頼むわ」とぼやきながらショッピングセンターのフロアマップを眺める。ファッションフロアは~、とふたりで肩を並べていると石神くんが「あ゛」と声を上げた。

「そういやテメー、コスメ見に行かなくていいのかよ」
「んー?今日の主役は石神くんだからなぁ。新作春グロスは見たいけど…」
「じゃあ2階だな、行くぞ」

そう言ってスタスタ私を置いてエスカレーターに向かおうとする石神くん。それに「えっ?ま、待って!」と石神くんの背中を追いかけながら彼を止めようとする。けれど聞く耳を持ってくれないらしい。私が追い付けるように少し遅足な彼に並ぶと小さくクツクツ喉を鳴らす音が聞こえた。

「2階、コスメフロアだよ?服置いてないよ?」
「野郎の服なんざ適当でいーんだよ」
「よ、良くない…」

今日は石神くんの用事で来たのに、とぼやいていると彼の拳がこつんと私の頭を小突いた。そして「…ショッピングデートだろうが」と呟いて歩くスピードを上げる。ぽかんと呆ける時間も顔を赤くして照れる時間もないまま、再び石神くんの背中を追いかけた。

「………どうなっても知らないからね…」
「…あ゛?」

彼はまだ知らない。私がコスメフロアで人を振り回す天才だということを。

「キャー!このラメかっっっわいー!!見てみて石神くんこのラメ!光の反射えっぐい!綺麗!可愛い!最高!」
「肌がとても白いので良く映えますね!」
「ここのブランドのラメ大っ好きなんですよー!新色も本当に可愛くって…最近発売されたパールのアイシャドウも気になってるんですけど…」
「試してみますか?」
「いいんですか?!やったー!お願いします!ラメと比べたいので手の甲にお願いします」

この間数分、私は完全にBAさんとふたりの世界に入り込んでいた。後方で様子を伺うように私を眺めている石神くんに「ラメ可愛い」と言い放ち違うアイシャドウまで試そうとしている。
なんなら「春グロスが見たい」という目的どころかそのブランドにすらたどり着いていない。カウンターに並ぶコスメを視界に入れないように歩いていたのに、偶然視界の端に捉えた可愛いパッケージにテンション爆上がりしてしまい見事に我を失った。ふふ、意志が弱い。

「ごめんね、早く切り上げるから」

既に目的以外のコスメカウンターに座っている私が言っても説得力がない言葉。これが終わったらすぐに目的のグロスを見に行って、このフロアから抜け出す。そう宣言するも石神くんは「あ゛?」と私の発言に呆れたように返事をした。

「最後まで付き合ってやるから気にすんな、置いて帰ったりしねえよ」
「…石神くん。私、コスメカウンターで丸一日潰す女だから。駄目だよそんな甘いこと言ってちゃ。殴ってでも止めて」

このままだと日が暮れる。そう伝えるもきっと石神くんには伝わっていない。口にはしないものの石神くんの目は「くっだんね、んなこたねえだろ」と語っていて私の有害さを度外視しようとしているのが見てとれた。
後悔してもしらないから…と呟いた言葉はきっと彼にはどうやったって届かない。

よくよく考えてみたら優しい石神くんが私を殴るわけがない。その結果、一時間以上石神くんを振り回してようやく我に返った。
両手には今までめぐったカウンターの戦利品とサンプルの山。私の両手甲と手首は今まで肌に乗せたコスメのラメやパールがキラキラ反射している。結局あのあともあれやらこれや気になっていたコスメを見て回って石神くんに甘えきってしまったわけである。
なんなら「石神くんも手の甲出して!」などと言って彼の手の甲もキラッキラにしてしまった罪も重ねた。ちなみに石神くんは表情が明らかにぐったりしていて少し顔を見るのが怖い。
ただでさえ興味がないフロアに連れてきてしまっているのに石神くんそっちのけで買い物をしてしまった私はおず…と疲れた顔をした石神くんに謝罪をする。うう、やってしまった、だから来たくなかったんだよね…。

「ご、ごめんね疲れたよね、ここ香水とかいろんなコスメの匂いとかするし慣れてないとキツいよね…ほんとごめん!」

私はこのフロアの匂いも雰囲気も大好きだけど、初めてきた人にとっては少しだけ煩雑している場所。女の人ばかりだし、私もひとりで盛り上がっちゃったし、疲れるに決まってる。
うう…とフロアの隅、まだ空気が綺麗な場所まで石神くんを連れ出して謝罪を繰り返す。そもそも今日は石神くんの服を見にきたはずなのにどうして暴走してしまったのか。手の甲にこびりついたラメのせいにしてしまいたい。

「さっき寄った店」
「え?」
「ハーブやらなんやら薬関連のモンばっか使ってたな。アポセカリーブランドか?」
「そうなの!あそこの美容液がすごくてね、保湿も肌荒れも全部カバーしてくれてしかもすごくいい匂いなの!紫外線が気になる季節になる前に下地もそこに切り替えようと思ってて」

石神くんの質問にペラペラと返事をしていると石神くんの口角が上がった。それにハッと再び我に返ると「ククク」と喉を鳴らす石神くんが乱暴に私の頭をわしわし撫でる。それになんだか胸が詰まってしまって思わず「怒っていいんだよ」と呟くと「まだそんなこと言ってんのか」なんて声が降ってきた。

「楽しそうにしてるテメー見んのは悪くねえ、だから顔上げろ」

絶対疲れてるくせに、居心地も悪かったくせに。振り回しちゃったのに、それも悪くないなんて。石神くんが優しすぎて今以上に甘えてしまいそうで困る。困るなぁ。

「ありがとう石神くん」
「いいからとっとと次行くぞ、まだグロス見に行ってねえだろ」

照れくさかったのか、また私を置いてけぼりにしようとする石神くん。すぐに隣に並んで「へへ」と頬を緩ませると石神くんの歩くスピードが上がった。行きたいブランドもわからないはずなのにずんずんコスメフロアに溶け込もうとする石神くんがなんだか面白くて余計に頬が緩む。

「石神くん、こっちこっち」

そう石神くんの袖を掴むとそのままパシり、手を握られる。「どのブランドだよ、どんっだけ広いんだよコスメ業界」と誤魔化すように悪態をつきながら目的のブランドを探そうとする石神くん。自然に買ったコスメの紙袋も奪われてしまった。
え?最近彼氏力上がってない?ただでさえ格好いい石神くんに彼氏力を追加したらどうなってしまう?完璧になってしまう…。

「あっ、ここだよ」

くいくいっと手を引くと石神くんが立ち止まってブランド名をじ、と見る。結構人気ブランドだから知ってるかもなんて思いながらカウンターに綺麗に並んだ春の新作に視線を落とす。

「かわいい~!」
「なんもわかんねえわ、原材料なんだこれ」
「え、私がコスメに夢中になってる間もしかして原材料見てたの?」
「ククク、俺にとっちゃ未知の領域だからなァ好き勝手させてもらったわ」

…これ、石神くんもそれなりに楽しんでるな?
確かに化粧品なんて化学物質のオンパレードだし石神くんが成分表示を見てるのも頷ける。というか石神くんらしいなぁ!

「プチプラと入ってるもん違ぇな、ククク…値が張るだけあるわ」
「石神くんがプチプラとか言ってるの面白」
「あ゛ー、そういやあっこのブランドはやめとけ。ブランド料が高過ぎるわ」
「原材料で品質見極めないでよぉ!」

現実を叩きつけてくる石神くんに抗議するとまた石神くんが楽しそうに笑った。そんなところが大好きだけど、今はやめてほしい。そもそもあそこのブランドはパッケージとかデザインにもお金がかかってるんだから!それこそポーチに入れてるだけで嬉しくなっちゃうような魅力があるわけで、そんなところを推してるんです!

「…今度余ってるコスメ分解する?」
「そりゃ腕が鳴るこって。表記外の成分入ってねえか調べてやるよ」

ものすごく楽しそうに悪い顔をしている石神くん。やっぱり科学の話をしてる石神くんが一番格好いいな、なんて私もかなり彼に毒されたことを考えながら改めて春の新作を手に取った。
桜モチーフのグロスはそこに春が咲いたみたいに華やかで、それでいてちょっぴりパッケージは大人っぽい。さりげない桜の刻印がとっても可愛い。光に当てるために角度を変えて発色を見ると透き通る色が美しい。
…こ、これ唇に乗せるとどうなるんだろう?すっごい色が可愛い。今回出ている色全部可愛い。どうしよう、買うか買わないか悩むつもりだったのに。またバイト増やさないとなぁ。

「全部かわいい…」
「あ゛ー、テメーが好きそうなデザインだな」
「すっごい可愛い…うわー!何色にしよう!」

いつも選びがちな少し濃い、青みがかったピンクにどうしても目が奪われる。うーんでもでもこのアプリコットカラーも捨てがたい。悩む、と口にしながらグロスとにらめっこ。ああ、また石神くんを待たせちゃうなと心の端で石神くんに謝ると隣からスッと手が伸びてきた。

「コレ」
「…へ、」

石神くんが手に取っているのは一番透きとおる薄桃色。一番春らしい、もうちょっとすればいろんな場所で目にする花。きらりと石神くんが持つグロスが光ればピリッと胸に走る稲妻。

「コレが一番似合う、と思う」

石神くんの声がどんどん小さくなっていく。思わず石神くんの顔を見ると耳まで真っ赤にした石神くんがいよいよ居心地悪そうに私から目を反らしていた。
こんなに可愛くて、女の子らしい色。好きな人に似合うって言われて嬉しくないわけがない。

「…ありがとう石神くん、これにするね!」

石神くんの買い物に来たはずなのに、石神くんの服を選びに来たはずなのに、石神くんにグロスを選んでもらっちゃった。嬉しくって春の間はこのグロスしか使えないかも。
なんだか嬉しくってお会計のときにプレゼントボックスに入れてもらっちゃった、なんて知られたら呆れられちゃうかな?帰ったら今日のことを思い出しながら開けるんだ。ふふ、とっても幸せ。

「服選びがんばるからね」
「頑張るな。嫌な予感がすんだよ」
「今日は私に振り回されてくれるんでしょ?」

繋いだままの手をぎゅうと握るとそれに答えるように石神くんの指先に力が入った。ショッピングデートはまだまだ始まったばかり。
さて、どんな服に出会えるかなと再び胸を弾ませて覚悟を決めた石神くんをファッションフロアに連れ出した。

公開日:2021年4月7日