手探りなふたりの何気ない一日 放課後

体育後の疲れきった体に効く眠たい授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。やっと終わったー!と大きく伸びをしながらふわぁと軽くあくび。授業中はあんなに重たかったまぶたも放課後になった途端に軽くなるものだから単純だ。

「やーっと一週間終わったな」
「そっか金曜日かぁ、明日なにしよっかなー」

机の上を片付けながら隣の石神くんとそんな話をする。朝起きたときはあと一日でお休みだとはりきっていたくせに、いざお休みとなるとなにをしようか悩んでしまう。ショッピングにカフェ巡り、家で映画を見ながらメイクの研究もいいなぁなんて休日に思いを馳せる。

「テメー今日バイトか?」
「金曜日に働くの馬鹿らしくない?絶対シフト入れたくない」
「世の社会人にキレられそうなこと言ってんじゃねーよ」

あはは、確かに!と笑いながらペンをケースに仕舞う。指先にがちゃりと修正ペンが当たって音が鳴った。そうだ、ネイルを新しくするのもいいな。どうせなら冬らしい、濃い色にしてしまいたい。
ノートと教科書を閉じて机にしまって、ペンケースは鞄の中。他に持って帰るものは、と机の中に手を入れた瞬間だった。

「…一緒に帰るか」
「えっ?!」

思わぬ発言に声をあげてしまう。机に突っ込んだ手が反射で強ばって上下するとガンッと机にぶつかった。

「んな驚かなくてもいいだろ」
「だ、だって…えっ?そんな…カレカノみたいな…」
「カレカノだろうが」

何言ってんだと呆れた声が聞こえて耳が熱を持つ。そ、そうだよね付き合ってるんだし一緒に帰るくらい当たり前。それに何度か一緒に帰ったことだってあるし今さら慌てることなんてなにもない。ただ、石神くんからそう誘われたのが初めてだった私はその言葉に狼狽してしまっていた。

「石神くん科学部は?」
「今日は休み」
「そうなの?」

いつもバイトがない日は科学部にお邪魔して科学部員を横目にネイルを変えたり石神くんのお手伝いをしたり。石神くんの研究が終わるまで居座って、いいタイミングで「終わった?一緒に帰ろ」と言うのは私だった。
今日だって科学部にお邪魔する予定だったものだから、彼からのお誘いに余計驚いてしまったワケだ。うう、ぶつけた手が痛い。

「で、どうすんだよ」
「もちろん一緒帰ります!」
「ククク、じゃあとっとと帰る準備しやがれ」

はいっ!と元気よく返事をして机からファイルを取り出して鞄に押し込んだ。他は大丈夫かなと机をのぞき込むも教科書やノートが積み重なっているのみ。あ、化学の課題があるんだったと該当する教科書とノートをきっちり回収して鞄を閉めた。

「帰れるよー」
「んじゃ帰んぞ」

金曜日に浮わつきざわめく教室で椅子を引いて立ち上がる。そして人が少なくなった教室を抜けて二人でドアをくぐった。廊下に出ただけなのに少しばかりの冷気が足元を走り抜けてその寒さで身震いをひとつ。寒いね、と石神くんに声をかけようとしたら私よりも震え上がっている石神くんが視界に飛び込んできた。

「あはは!そこまでは寒くないよ」
「さみぃよ馬鹿か」
「石神くん今年の冬こえらんなそう」

そんな軽口を叩きながら廊下を抜ける。いつもの科学室に向かうための道を素通りして階段を降りた。玄関に近付くにつれて冷たさを増す空気を吸い込むとぼんやりと「もうすぐ冬だなぁ」なんてことを思い付く。
そして隣で情けないほどに震えている彼氏にまた「ふふっ」と声がもれた。下校時も白衣をきっちり閉めて冷気を通さないようにしているのにまだ寒いと両手を白衣のポケットに突っ込んだ。

「そんなんじゃ本当に越冬できないよ」
「まだ防寒具解禁してねーだろうが」
「だってあと増やせるのってマフラーとイヤーマフラーくらいじゃない?」
「手袋もあんだろ」

もう白衣に手を突っ込んでいるのにまだ手袋が欲しいのか、とまた笑ってしまう。でもでも石神くんは薄手のニット手袋とか似合うんだろうなぁ!お店に入ったらコートのポケットモチーフにしちゃってもいいかも。さすがにそれは大人っぽすぎるかな?レザーの手袋も似合っちゃうんだろうな。真っ黒よりもちょっぴりブラウンがはいったようなー…。

「名字?」
「カシミヤ………」
「テメー手袋の素材考えてんじゃねぇよ」

石神くんに似合う手袋のことを考えてしまって黙った私に呆れた声を出す石神くん。だってどうせなら似合うもの使ってるほしいんだもん、と唇を尖らせるが寒さに震える彼にはどうも伝わりそうもない。

「あ゛ー、さみー」
「わ、外寒いねぇ」

玄関をくぐると冷たい風が首元を通り抜けた。こりゃ来週からマフラーとタイツ解禁だなぁと風で少し持ち上がったスカートをおさえる。その様子を横目でじろりと見る石神くん。な、なんだろう、石神くんも女子の足とかに興味あるんだろうか?科学にしか唆らない人だと思ってたけど…。やばい、もしそうなら私よりもスタイルがいい子に気移りしちゃうかも…!

「それ」
「えっなに?足?!足の話?!」
「なんでそーなんだよ手だよ手」

手?と石神くんに右手を見せる。足を見てたわけじゃなかったんだ、やっぱり石神くんは科学第一だよね安心した!
身長は低いほうじゃないしストレッチとかマッサージしてるしスタイル維持のために筋トレと有酸素運動もしてるけど、やっぱり好みの足ってあると思うし…。何より胸!胸の大きな子が好きと言われてしまったらこのザ・スタンダードを貫いているこのなだらかな可もなく不可もない胸じゃ太刀打ちできない!
胸のマッサージでもしようかな…とくだらないことを考えていると、いきなり右手に冷たいものが触れた。そしてそれに引かれ、ずぼりと石神くんの白衣のポケットに手が招かれる。

「やっぱ名字の手ぬくいな」
「きっ…急に人の手で暖とるじゃん!」

びっくりした!と彼を糾弾するが聞いてはもらえない。突然の彼の行動に心臓が大きく跳ねて仕方ないし、先ほどまで寒かったはずの顔が熱を持ってしまう。昼に手を貸したときとはまるで異なる状況に翻弄されて仕方ない。

「もー!」
「まんざらじゃねぇだろ」

そう言って白衣の中で絡む指。所謂恋人繋ぎに、彼の冷たい指と私の暖かい指が交差する。その温度が、徐々に温かくなる石神くんの指先が愛しくってたまらない。
ぎゅう、とポケットの中の逢い引きを享受しながら、私を優しい瞳で見つめる。ぶっきらぼうに聞こえて柔らかい声色に私に合わせた歩幅。会話の内容はくだらない世間話やお互いのこと。そんな時間を幸せ以外の言葉で表すことができない語彙のなさが我ながら情けなかった。
胸が熱くなって思わず半歩石神くんに近づいて腕同士が触れる。こつんと肩を彼の腕にぶつけて「えへへ」と緩んだ口元を隠さずに笑うと石神くんの目が大きく見開かれた。そうだよ、いっつも石神くんばっかりずるいから石神くんも私にちょっぴりドキドキしてね。

「んだよ」
「先に仕掛けてきたのは石神くんだよ」

ふふんと得意げに絡まった指をにぎにぎ、と動かしてやる。何度も絡まりあう指先はもうとっくに同じ熱を帯びていた。けれど離す気なんでお互いないのだろう、何度も何度もポケットの中でお互いを求めあう。
すごい、カップルみたいなことしてる…!正直余裕ないけど幸せー!!

「あれ?」

そんな行為を繰り返すうちに白衣の底に温かいものが沈んでいるのを見つけてしまった。この独特な手触りと温もりは…もしかしてカイロ?

「ねえカイロ入れてる?」
「あ゛っ?!」
「…か、カイロあるのに私の手で暖とろうとしたの?」
「…悪ぃかよ」

寒さとは別の理由で耳を赤くした石神くんにこちらまで耳が熱くなる。繋ぎたいなら繋ぎたいと言ってくれればいいのに、寒いなんて言い訳を使って私の手を握ったのだ。そんな不気味な彼に「私の彼氏かわいいよー!!」と抑えきれない感情が爆発してしまった。
そして同時に、彼にここまでさせたという事実に自然に笑みがこぼれる。だってカップルらしいこと興味なさそうだもんね、石神くん。そんな彼が、科学をいつでも優先させそうな彼が、文明の利器であるカイロよりも私の手を握っている。
ちょっとだけ得意げになっても許されるよね、と密着した肩にすり寄るように頭を寄せる。そして唇からこぼれたのは彼への純粋な気持ちだった。

「石神くんだーいすき」

その言葉にぴくりと指先が動いた。まだ彼に好きだと伝えるのは恥ずかしいし、きっと私の顔は真っ赤だろうし、脈拍だってびっくりするくらい早い。けれど溢れた気持ちは伝えなきゃ、とくに石神くんには伝わらない。
朝は私のことを可愛いなんて言うから振り回されちゃったし体育も石神くんが私をずっと見ていたのを知って深い深いやり場のない感情を覚えた。だから今くらいはちょっとだけ甘えさせて欲しいんだ、なんて。
ちらりと石神くんの顔を見ると少しだけ緩んだ口元にますます赤くなっていた耳。それにしたり顔をしていると、少し上から言葉が降ってきた。

「…俺も」

その返事に「知ってる!」と強気に返すと「調子に乗んな!」と人質に取られた指がぎゅうとお仕置きを食らってしまう。けれど彼の握力じゃ全然痛くない。むしろ心地いい力加減にまた笑みがこぼれた。
そんな帰路を数分、寒さも忘れた頃に見知った家のご近所さんの風景にぱっと顔を上げる。そうすると角を曲がったすぐそこが家だということを認識してしまった。ああ、シンデレラも魔法が解ける直前はこんな気持ちだったのかな。

「また送ってもらっちゃった」
「気にすんな」
「石神くんのが家遠いしか弱いのに…なにかあったらどうしよう…」
「テメー俺のことなんだと思ってんだ」

「体力及び腕力ミジンコ」とは言えず言葉を濁しているともう家の玄関先だ。どうしても繋いだ手のひらが名残おしくってたまらないけれど石神くんにも予定があるだろうし、と聞き分けよくパッと手を離した。
するとポケットから出ていこうとする私の手をもう一度捕まえる石神くん。ああ、ずるいよ。

「ふふ、石神くんが甘えてる」
「うるせーな。こっから一人なんだからもうちょい暖とらせろ」
「カイロあるじゃん」
「名字じゃねぇと意味ねぇだろ」

うぐぐ、素直な石神くんは殺傷能力が高すぎる!ずぐっと心臓を矢で撃ち抜かれた気分だ、とんでもない!
そこから石神くんが手を離すまでこれからなにするのとか、実験の話とか、夕飯の話とかでだらだらと時間を浪費する。歩いていないせいで温まっていた体が少しずつ冷えていくのを感じて、石神くんの意地っ張りさを見てしまった。

「あはは、もう解散しようよ。太陽が沈んだら余計に寒くなっちゃうよ」
「…あ゛ー、そうすっか」

今度は彼から名残惜しそうに指をするりとほどかれる。その行動や離れたくないという気持ちが私と同じでたまらなく嬉しい。

「送ってくれてありがとう!」
「どーいたしまして」
「気をつけて帰ってね、また明日!」

そう言って踵を返そうとした瞬間に今日が金曜日なことに気づいた。そっか、また明日じゃないんだ。

「えへへ、明日じゃないね。月曜日だね」

そう笑って間違いを正すと石神くんが「そうだな」と私の言葉を肯定する。

「また月曜日、」

と言ってバイバイをしようとした瞬間だった。石神くんが先ほどまで私と繋いでいた手を首元な当てて、困ったように、それでもまっすぐ私に言葉を吐いた。

「あ゛ー…明日どっか行くか」
「へぇっ?!」
「んだよ、嫌か?」
「いやいやいやいや嫌じゃないです行くいく行きます明日10時に駅前でどうでしょうかあっでも駅行くのに石神くんの家の近く通るし迎え行こうか?!いやてか本当に?!実験しなくていい?!あっ私石神くんの隣で実験見てるだけでいいよえっっっ本当にいいんですか?!たっ…タピりに行きます?!」

そのお誘いに大混乱してしまった私はわたわたと口を動かす。正直自分がなにを言っているのかよくわからないし、ぐるぐると回る目で正気に戻れるとは思えない。そんな私を「落ち着け馬鹿」と笑う石神くん。ぐう、勝てない!

「あとで連絡する。じゃあな」

そう言って呆然とする私を置いて自分の家の方向に歩を進め始めてしまった石神くん。ああ、とんでもない!

これから家に飛び込んで新しいネイルに足のマッサージ、ああそうだ明日着る服も考えないと!メイクもどうしよう学校じゃないし、いつもとちょっぴり違う自分を見せたいしあわよくば可愛いって言われたい!
そんな期待を、これからの自分に全部押し付けて玄関に飛びこんで乱暴にローファーを脱ぐ。廊下で嬉しさが有り余ってくるりと一回転しながら部屋に飛び込んだ私の鼻からは、自然と陽気な今週のヒットチャートが流れ出していた。

公開日:2021年11月23日