天使が階段から落ちっかよ

3話「全部ぜんぶ、君のせい!」の後日談


隣の席のクラスメイト。いつも雑誌や鏡を見るか友人と楽しそうに会話をしている奴。いつもニコニコしていて爪は派手、顔面には人体に存在しない色が常に乗っている、それなのに授業を受ける姿は背筋がピンと伸び真剣そのもの。行儀も良く、所謂「育ちの良いお嬢さん」に見える。
そんな隣人と初めて会話をしたのはつい先日、階段からすべり落ちた彼女に手を差し伸べた時。その日を境にそいつとはなんやかんや毎日会話をする仲となった。表情は豊かで友人たちのネイルが割れただのシルバーリングがくすんだだのどうでもいい相談にはニコニコ返事をし、彼氏と喧嘩したという相談には友人の代わりに怒ったり悲しんだりできるやつ。

隣人の周りはいつも賑やかで、いつも人に頼られている。笑ってアドバイスをする姿は聖人様だ。そしてあいつのアドバンテージは科学と同じ。地道に一歩一歩目標に向かって努力し、今、その地位を得ているにも関わらず驕らず背筋を伸ばして今日も研究を重ねている。そういう奴は嫌いじゃあねえ。
嫌いじゃねえ、そう思っていたが…

「石神くん、ばいばーいまた明日」

今日もニコニコ、コスメやら雑誌やらが詰まった鞄を肩にかけ教室を出ていく名字におう、と淡白に返事を返す。おーおー、楽しそうに出ていくじゃねえか。今日もどこかであいつの興味を引く研究対象がこの世に存在するんだろう。ばいばいと振られた指先を見るとそこには小さな宇宙。俺イメージネイル、だとかくだんねえことを言っていたそれを名字はまだ大切に身につけ生活をしている。
…なんなら、授業中にもそれを眺めあろうことか幸せそうに微笑んでやがる。

その爪を、小さな宇宙を見るたびに胸がざわついた。それと同時にあの日の名字の笑顔や自分の行動を思い出してしまう。自信を身につけたあいつは、あいつが言う通りに最強で無敵なんじゃないかと錯覚するほどに眩しい。思わず伸びた右手を拒否することなく受け入れた名字の、自分のとはまったく違う、さらりとした髪。思わず口にした言葉を吐く自分の声が酷く甘くて狼狽えた。
それは相手も同じだったようで、その反応にも驚いた。名字は所謂「かわいい代表」で、きっと今まで頭を撫でられることや可愛いと言われることに慣れきっていると過信していた。俺がそうしたところで、犬に噛まれた程度だと。顔を真っ赤にし、慌てて科学室を飛び出していった名字に対してどう行動するのが正解だったのか未だに答えが見つからずにいる。
…そのせいで、あの日をどうも忘れることができそうにない。

「千空…名字さんと仲いいじゃねえか…」
「あ゛?」

しまった、少し考え込んでいる隙に科学部のやつに絡まれてしまった。めんどくせえなと思う間もなく、聞いてもいねえことをベラベラと喋りだす。

「いいよな~名字さん。マジでかわいいし良い匂いするし」
「オッサンかよ」

確かに名字が動くたびに微かな透き通った柑橘の香りがする。あーいうタイプは無駄に甘ったるい香りを身に纏いがちだと決めつけていたから印象が変わったことを覚えている。
…そうだ、あいつはそういう細部に関しても好印象を貫いてくる。そりゃ周りにも好かれるわ。

「名字さん、俺みたいなやつにも優しいしめちゃくちゃかわいいしマジ天使。そう名字さんは天使なんだよ…。」

その言葉を聞いて思わずクククと笑ってしまった。

天使が階段から落ちっかよ

そう言いつつ科学室へ向かう準備をする。くだんねえ、なにが天使だ。それでも科学部の一員かよバカ。
階段から落ちるわリップ買い逃すわ友人の相談に一喜一憂するわそのくせ自分は誰にも相談せずにやけに抱え込むわ、頭撫でただけで顔真っ赤にして逃げ出すわ、天使さまには程遠いわ。

あ゛ー、まぁ、それを知っているのは俺だけってのは悪い気がしねぇがな。

公開日:2020年6月25日