本日五度目の非合理的な話

リクエスト内容:自分と付き合っている千空が本当に幸せなのか逐一不安になって事あるごとに「別れよう」と言ってくる夢主に振り回される千空の話


「千空、私たち別れよう」

少しだけ潤んだ瞳と震えた声。手にはぎゅう、と一枚の紙が握られている。名前から発せられた言葉は、俺との恋人関係を解消しようと提案するものだった。
その言葉に思わずハァー…、とデカいため息を吐いてしまう。そして名前を糾弾するべく大きく息を吸った。

「テメー今日それ何回目だよ今度はなんだ?!授業中寝ちゃったとか教科書忘れたとか当てられた問題の答えがわからなかったとかそんなくだんねー理由だったら怒るからな!」
「母国語で赤点取った………」
「くだんねぇ!はいこの話終了!」

涙声でたくさんバツがついたテストを握りしめて震えている名前。先日行われた定期考査の結果が芳しくなかったらしい、顔を青ざめさせて「自分がここまで馬鹿だとは…」と呟く彼女様。
ちなみに別れを切り出されるのは本日五度目の日常茶飯事、よくある発作。問題はない。

「私みたいな馬鹿が千空と付き合っちゃいけないんだよ…足引っ張っちゃう…」
「勉強教えてこれだもんな」
「だから別れよう…」
「断る」

パッとテストを名前から奪うと「あう…」と名前から声が漏れた。か細いうめきをスルーして奪い取った紙切れに赤で書かれた数字を見るとあまりにも堂々と「20」と点数が刻まれている。数日前に自分もまったく同じテストを受けたが、ここまで間違いだらけだといっそ面白い。

「千空もこんな馬鹿な彼女嫌だよね…ごめんね…やっぱり別れよ…」
「何回言うんだよ。はいはい、別れないでいいように勉強すっぞ」

ぺしんとペラ紙一枚で名前の頭を叩く。初めて「別れよう」と言われた日はそれはもう、なにかやっちまったかと狼狽したものだが今になってはそれすら笑い話だ。毎日なにが不安なのかはわからないが、何度も繰り返されるその言葉はもはや水素よりも軽い。いちいち理由を問いただすのももうめんどくさいし俺は名前を手放すつもりなんてさらさらない。

「赤取ったの現代文だけか?」
「一応…ギリギリだけど…」
「数学クリアしてんの偉いじゃねえか」
「千空って生きてるだけで褒めてくれるよね」

教えてやるから隣座れ、とたちっぱなしだった名前に声をかける。とんとんっと隣の席を爪で叩くと観念したのか名前が椅子をぎぃ、とひいた。
科学室の一角、俺がいつも実験をしている場所。その隣は名前の特等席だった。なにも変わらない、いつも通り俺が勉強を教えやすい場所。そこにちょこんと少し縮こまっておずおずと勉強道具を出す名前。おーおー、渋ってた割には素直じゃねぇか。
さて。俺も現代文はそんなに得意ではないがコレよりかは幾分マシだ。少なくとも赤点は取ったことがない。どこから手をつけるべきか、ペンで頭を掻いて名前の回答を片っ端から凝視する。…つーかどうやったら赤点とんだよ、一応授業でやった範囲しか出てねぇぞ。

「まず漢字は確実に覚えろつったろ、ただの暗記だ馬鹿」
「うう…」

うめきながらも俺の話を黙って聞く。素直で頑張り屋、ちょっとベクトルの方向が違うだけ。実際にテスト前にみっちり教えこんだ数学はそれなりに点数が取れているようだった。
そんな名前に勉強を教えるのは苦痛ではないし、結果が出ると俺もそれなりに嬉しかったりもする。それに、一生懸命教科書とにらめっこして問題と向き合う名前の真剣な表情は悪くない。

「千空せんせい、ここは?」
「こんなん文章読みゃ解けんだろ」
「途中で集中切れちゃうんだよね…。読むのも遅いし。」

緩んだ口元で「せんせい」と呼ばれるとこちらの口元まで釣られて緩む。同じ教科書を覗きこんで同じ文字を追っていると時々ふと目が合って「これじゃ集中できないよ」と笑うところがかわいい。
俺は名前が思っているほど凄い奴じゃない。どうすればそれが伝わるのか、最近の悩みがあるとすればその一点が脳裏に浮かぶ。別に名前と科学の話がしたいわけじゃ…いや、そりゃ盛り上がれたらそれはそれで楽しいだろうが。
…科学の話なんかなくったって毎日、隣で笑ってくれてりゃそれでいい。それなのにこいつときたら何か自分に欠点を見つけるたびに「自分は千空に相応しくない」なんて言いやがる。そもそも俺に相応しくないってなんだよ、意味わからなすぎて笑えてくるわ。

「普段本読まねぇから文字が追えねぇんだな。図書館でも行くか?」
「じゃあ千空のオススメ教えてよ」
「…科学の論文しかオススメできねぇなあ」
「ヴェッ………が…がんばる………」

一番苦手な分野の、しかも論文を拒否せずに両手をぎゅっと握って小さなガッツポーズ。恋愛小説すらマトモに読んだことがない名前に論文が読めるだろうか、と思わずクククと笑うと肩を小さく小突かれた。言葉通り「がんばる」つもりなのだろう、膨れている頬を見るかぎり決意は固そうだ。

「そもそも最近は英語の論文しか読んでねぇよ」
「うぐっ…」
「大人しく普通の本読め、テメーの場合そっちのがよっぽどタメになるわ」

無理して俺に合わせようとすんな、と頭を撫でて髪に触れる。膨れたままの頬をぎゅうとつねれば「だって…」と口があまり動かせないからか少しだけ歪んだ抗議が降ってきた。

「んだよ」
「千空のオススメ読んでみたかったんだもん…」
「テメーそういうトコだぞ」
「な、なにが?」

すぐ別れるとか言うくせに言葉のあちこちからは俺が好きでたまらないと言わんばかりの愛念が飛び出す。不意打ちのソレにぎゅう、と胸が締め付けられて仕方ないし、こういうところがたまらなく可愛い。無自覚で言ってるトコは少しばかりタチが悪いと思わないでもないが、そういう所をひっくるめて名前に絆されていることを改めて思い知らされる。

「そういうトコが可愛い」
「えっいきなりなに?!照れますが?!」

いきなりでもなんでもないが、あんま口にもしねぇもんだから名前の反応は至極正しいものに見える。つーかいっつも別れる別れないのどうでもいい話で時間を浪費しすぎなんだよ。もうちょい建設的な話したっていいだろうが。
少しだけもやついていると名前が少しなにか考え込んだあとに英語の論文かぁ、と呟く。現代文の教科書をペンでつついて汚れを残していく名前は、なにか言いたげで、それでも口が重たいようだった。

「やっぱり、千空はちょっとだけ遠いな」

ようやく開いた口でそんな言葉を突きつけられて思わず「あ゛?」と名前に短い抗議を発してしまう。顔を見ると苦笑いが貼りついていてまた余計なことを考えているに違いないことを察知した。

「こんな近くにいんだろ」

ずいっと名前に椅子を寄せる。腕が触れる寸前まで近づいてやると名前の瞳が揺れた。どうせまた別れようと切り出されるだろうと高を括っていたが、名前からその言葉が出てこない。口癖のように当たり前に呟くそれを抑えるように唇を歪めた名前が、大きい瞳を少し細めてゆっくりと言葉をしどろもどろと吐いた。

「ね、千空」
「なんだよ」
「あのね」
「あ゛ぁ」

なんだこの歯切れの悪い会話は。同じ別れ話ならいつも通りにスッパリそれを口にしてほしい。こちらもスッパリ、ハッキリ、キッパリと別れるつもりはないと突きつけてやるってんだ。
そう意気込んでいたにも関わらず、科学室に沈黙が流れる。この世のどんな気体よりも軽い言葉だ、こんなに勿体ぶって言うモンじゃない。…んだよ、久々にこの空気が重く感じるじゃねーか。嫌に胸がざわついて止まない。なんやかんや別れを切り出されるのはちぃとメンタルに響くものがあったのかもしれねぇな。

「私は千空と一緒にいられてとっても幸せだよ」

切り出された言葉は今まで受けてきた別れ話とはまったく違う、名前の本音だった。想定外のそれにびっくりして目を見開いて名前の顔を見ると相変わらず少し笑いながら、名前なりに考えをまとめながら俺に対する想いを吐き出そうとしていた。

「…千空は、その…私といて幸せなのかなーっていっつも悩んじゃう」

なにを馬鹿なことを、と否定してやりたかったが、想定外の出来事にはくはくと口が上下するだけで声が出せない。一方、堰を切ったかのように名前はつらりつらりと唇を動かした。

「私馬鹿だし、おっちょこちょいだし、千空の話全然理解できないときあるし」

否定はしねぇ、が、そこもかわいい。俺の話なんか理解できなくていい。

「だから千空が嫌になったら、さ。すぐに別れてくれていいからね」

だから、そんなこと言わないでくれ。
珍しくごちゃつく思考をデカいため息で沈める。あ゛ー、クソ、どこから否定してやりゃいいんだか。
不安そうに瞳を揺らして今にも泣き出しそうな名前。そんな顔はしてほしくない上に見たくもない。名前の顔を見たくなくて思わず名前を抱きしめてやるとびくりと体が震えて強ばった。

「さっき俺が幸せかって言ったな」
「…うん」

震えて弱気な声。顔は見えないようにしちまったが絶対に瞳は潤んでいる。とんとんっと背中を叩いてやると体に入っていた力が段々抜けていく。「うう、」と呻いて俺の肩に顔を埋める名前の体温が愛おしい。

「好きな女と一緒にいられんだぞ。幸せに決まってんだろ」

ぎゅう、と抱きしめる腕に力を入れるとすがるように俺の白衣を掴む。耳元で「ぐすり」と若干鼻をすする音がして思わず頬が緩んだ。あ゛ー、こりゃ今日は白衣の洗濯しなきゃなんねぇなあ。

「…ほんと?」
「あ゛ぁ、嘘なんかつかねぇよ」

ぐずぐずの声で再確認をする名前に即答。俺の肯定を素直に受けとることができない名前は相変わらず不器用だ。

「ただひとつだけ文句がある」
「う゛っ、な、なんでしょう…」
「すぐに別れ話すんのやめてくれ。マジで。しんどいんだわ」
「あ、う………うん、そだね、その…善処します…」

俺は名前と別れるつもりはさらさらない、と再三突きつけたそれをもう一度強く伝えると「びえええ」と典型的な泣き声が耳元で弾けた。なんつー泣き声だよ、幼児でももうちょいマトモに泣くわ、と心でツッコミを入れながらもそれを受けいれる。
白衣がずっしり名前の涙で重くなるのを受け止めていると「千空大好きだよ」と言葉になっていない愛情をぶつけられるもんだから笑っちまう。

「俺も好きだ。だからはやく泣き止め、勉強してとっとと帰るぞ」
「う゛う゛、勉強もがんばるねぇ…」
「ククク、高校だけは卒業してもらわにゃ困るからな」
「卒業できなかったらゴメン…」
「さすがに卒業はしてくれ」

どんなに馬鹿でもおっちょこちょいでもいい、卒業さえしてくれりゃ俺が貰ってやるからよ。なんてことを今伝えたら涙の量が増えてしまうだろうか?さすがにこれ以上は翌日腫れ上がった名前の顔を見る羽目になりそうだ。
そんなことを考えながら「うう、現代文の補習がんばるね」と新事実を口にした名前をまた力強く抱きしめた。

公開日:2020年12月14日