初恋レモネード

リクエスト内容:恋愛に興味がないはずの千空くんが夢主のことを好きだと気づき、いろんな煩悩と葛藤する話


恋愛脳なんつーもんは、ひどく非合理的だ。
周囲の惚れた腫れたを完全に否定するつもりはないが、少なくとも俺はそんな感情に振り回されるなんてまっぴらごめんだった。もちろん、誰かと恋愛する気も一切ない。
特にこの原始のストーンワールドでは、んなことにリソース割かれる時間があるならば文明復興が最優先事項だ。それが一番合理的で、一番唆るゲーム。そうずっと考えてきたし、今もそう思っている。
なのに。

「千空くんおつかれさま、ちょっと休憩しよ」

にこにこマグカップを両手に研究室に入ってきた名前。そのマグカップを机にことんと置いて髪を耳にかける姿に胸がざわめく。その横顔を少しだけ眺めたものの、それがバレてはばつが悪いとすぐに手元に視線を移した。
…はじめは労働力のひとりだった。現代人だし科学理解できっだろと適当に研究室に連れ込んだ数人のひとり。なにを頼んでもにこにこしながらそれなりにこなして手先も器用。その場にいるだけで不思議と場が華やぐ存在。ただ、それ以上でもそれ以下でもないと思っていたが。

どうやら俺はこいつ、#name#名前に対して恋愛感情を抱いてしまっているらしい。事実、今も研究室にふたりきりという超激レアな状況に心臓はうるせぇし脳みそは完全に舞い上がっていた。完全に恋愛脳ってやつだ、笑えてくんな。

「もう夜だよ、まだ作業するの?」
「あ゛ー、もうちょいで終わる」
「そっか、休憩終わったらなにか手伝うよ」

隣に座って顔を覗きこんでそう笑う。ぶつかった視線に耳に熱が走るが平常心を装った。ぱちぱちとよく動く大きい瞳にふにりとゆるむ頬。名前の耳にかかった髪がさらりと耳から逃げるのを思わずじぃ、と見てしまう。その柔らかそうな髪を癖のようにかきあげてまた耳に引っかける姿にどうしようもなく思考が乱される。
散々恋愛脳は非合理的だと高尚な高説垂れ流しておきながらこのザマだ。いっそ笑えてくるわ。

「そうだ、これ持ってきたの。一緒に飲も」
「なんだこれ…レモネードか?」
「そうそう、フランソワさんが作ってくれてね」

先ほど名前が持ってきたマグカップの中身を覗くとシロップ漬けのレモンが浮いていた。あたりを漂う柑橘の香りに鼻腔をくすぐられつつ「ふーん」とそっけなく返事をしてしまう。めっきり寒さが牙を向いてきたことを知らせるようにレモネードは湯気を出していた。正直この季節は指先がかじかんで作業効率が落ちるものだから温かい飲み物はありがたい。

「コハクちゃんがね、レモネード飲んで感動してて」
「あ゛ー、だろうなぁ」
「それがすごく可愛かったの」

そう笑いながらマグカップの取っ手に指を絡めて持ち上げる。そしてそれを口につけた名前が目を大きく見開いて瞳にきらりと輝きを入れた。ごくりとレモネードを飲み込んだ彼女がすぐに俺を見てなにかを伝えようと口を開く。

「えっこんなに美味しいレモネード初めてなんだけど?!」
「ククク、テメーまで感動してんじゃねえか」
「いやほんとに美味しいの!フランソワさん何者?!」

マグカップを持つ手が感動で震えている。先ほどコハクを可愛いと言っていたくせに、今は自分が同じ状況になってしまっていることにきっと名前は気づいていない。
そしてそんな彼女を柄にもなく「可愛い」と思うものだから、厄介だ。幸せだと言わんばかりに頬を緩めてもう一口を流し込む名前はいつもに増して穏やかな表情をしていた。

「千空くんも!冷めちゃうよ」
「おう、サンキュー」

マグカップを掴むと冷えた指先に熱が伝わる。じんわりと指先を温めるそれを口元に運んで中身を体に流し込むと優しい甘味とちょうど良い酸味が舌を鳴らした。

「ね?ね?!美味しいよね!」
「これ何で浸けてあんだ?蜂蜜と…」
「氷砂糖!あれって結構作り方簡単だよね」
「砂糖の結晶な。つーことは浸透圧利用してシロップ作ってんのか」
「そうそう!さすが千空くん、話が早い」

クロムくんに説明するの大変だったんだと苦笑いしながら、それでもそれが楽しかったのか声色が明るい。その場にいられなかったことがなんとなく悔しい気分になって、それを飲み込むようにレモネードを体に流し込んだ。

本当は作業外の時間もこうやってくだんねぇ話をしていたい。しかしどうやって名前を引き留めていいのかも、話を切り出せばいいのかもわからない。自分で呆れるくらいに恋愛下手で笑えてくる。
…恋愛脳は非合理的だ。それを理解しているからこそ、彼女にそれを伝えて困らせたくはない。クソ真面目でいい子ちゃんな名前はきっと俺の好意に答えようとするだろう。それが目に見えているもんだから余計に一歩が遠かった。

「やっぱり科学のこと聞くなら千空くんだなーって思っちゃった」
「テメーだってそれなりにできんだろ。」
「うーん、頭では理解してても人に説明するのって難しいじゃない?それが当たり前にできる千空くんって凄いと思う」

本当に尊敬してるんだよ、といたずらに笑う名前。照れくさそうに口角を上げる名前に胸が高鳴って顔に血液が集まるのを感じる。
レモネードの熱に浮かされているのか若干赤を帯びている頬に触れてしまいたい。そう、思わず動きそうになった指を理性が止めた。あっぶね、あともう少しで触れてしまうところだった。さすがにこの状況下で惚れた腫れたを拗らせるどころか痴漢行為は不味い。…それに名前の嫌がることは極力したくねぇ。

「そりゃドーモ」
「信じてないなー?」

ホントなんだけどな、と呟いて誤魔化すようにマグカップを握る。らしくないことを言ってしまったことによる照れが今押し寄せてきたのか、にぎにぎとマグカップを掴んで指を動かす名前。その指先すら愛らしいと脳内が認識するものだから参った。

「あ、そうだ」
「んだよ」
「唐揚げにレモン、かける派?かけない派?」
「唐突すぎんだろ!」

思わずクククと喉を鳴らして笑うと名前もクスクスと「だって気になったんだもん」と笑う。こういう突拍子がないところも可愛い。あ゛ー、ダメだな。完全にこいつに惚れてんな、俺。

「ちなみに私はかけない派です!」
「あ゛?なんでだよ」
「レモンかけるときに指汚れちゃうじゃん!かけてくれる人いるならかけてもらう」
「なんつー他人の使い方だよ」

指くらい拭け、とツッコミを入れつつレモンかけるかけない戦争について意見を求められていることに少し頭を掻く。正直どっちでもいいわ、が自分の答えではあるが。

「好みうんぬん抜きで、揚げた食い物にレモンかけんのはアリだな」
「なんで?」
「レモンに含まれるエリオシトリンっつー成分が腸での脂肪吸収を抑えんだよ」
「つまり唐揚げがカロリー0になるってこと?!」
「そうだといいな!!」

もっと早く知りたかった!と俺の肩を揺らす名前を手遅れだなとからかう。カロリー0にはなりはしないが、そのまんま油っこいものを食べるよりかは幾分マシ。その事実に名前が今まで無邪気に摂取した油分について後悔しはじめたもんだから余計に可笑しくて口元が緩む。

「唐揚げにレモンって科学的根拠があったんだね」
「なんにでも根拠はあんだよ」

科学様は偉大だからなと得意げに呟いてすっかりぬるくなってしまったレモネードで喉を潤す。さて、とっととこれ飲んで作業再開すっかと思い立った矢先だった。

「あ、じゃあファーストキスがレモン味っていう都市伝説にも科学的根拠が?」

その一言にレモネードを若干噴いてしまい、むせてゲホゲホッと咳をしてしまう。なんつーこと言ってんだこいつ?!小学生か!

「あるわけねーだろ馬鹿か!」
「それには根拠ないんだ…」

ふーん、とつまらなそうに首を傾げる名前。そもそも、その都市伝説は大昔に作られた歌が起点だと記憶している。つまり科学もクソもない。
少し残念そうに唇を尖らせながらマグカップに浮いたレモンを眺める。んだよ、と彼女の反応を探ると「ちょっと夢がないね」なんてつぶやく。

「あ、でも」

思い付いたように人差し指を立てて、俺に笑いかける。「おう」と軽く相槌をした瞬間、彼女の唇からとんでもない言葉が飛び出した。

「今キスしたらレモン味かもね?」

その一言にばくんっと心臓が跳ねた。普段なら、もしくは、こいつじゃなければ「馬鹿か」と一蹴できる言葉。それなのに、名前からのその一言が脳裏にこびりついて離れない。今キスしたら、なんて、それを俺に言うのかよと突きつけてやりたかった。

「…試してみるか?」

思わず名前にそんな返事をしてしまう。するりと髪を撫でて指で掬って、誤魔化されないように。逃げられないように。なんてずるい男だ、きっと名前は困って慌てて訂正をするんだろう。なぜなら彼女にとって俺はお友達でしかない。

それなのに、かああ、と顔を真っ赤にした名前は俺の顔を少しだけ困ったように見つめながら、はく、と小さく唇を動かした。なにか言いたそうで、しかし言葉が出てこない。そんなしおらしい態度をとられてしまっては、こちらはごくりと生唾を飲み込むしかない。
少しだけ戸惑いつつ、けれど逃げもせずに数秒沈黙が続いたあとに名前が小さくこくんと頷いた。その無言の承諾に「本当にいいのかよ」と念を押してしまう。自分が臆病なのか狡猾なのかすら、今の俺は判断ができない。
俺の最後の確認にこくこく、と真っ赤な顔で頷く名前。その顎にそっと触れて顔を上げさせると、視界に少しだけ潤んだ名前の瞳が飛び込んできた。心臓の音がとにかくうるさかった。
ゆっくり顔を近づけると名前がぎゅう、と目を閉じる。正直余裕がなくて、食むように唇を重ねて、すぐにそれを離してしまった。少し触れた程度の接触にびくりと体を震わせた名前。柔らかい唇が触れた感触と名前の反応に頭がおかしくなるくらいの熱が走った。

「………わかったか?」
「…ど、ドキドキしすぎてわからなかった、」

そんな可愛らしいことを言われてしまっては引くに引けない。現にもうくらくらしっぱなしの頭はもう一度名前の唇を奪いたいと欲にまみれきっている。

「じゃあ、もういっかい、だな」

そう、レモンの味がわかるようになるまでキスを提案する俺に目を見開いた名前。これが終わったらすべて白状して、名前に好きだと伝える。そう覚悟を決めながら、決して逃げない名前の指を絡めとった。そして「レモネードが冷めちゃう…」と呟いた名前の言葉を遮るようにもう一度唇を重ねたのだった。

公開日:2020年12月6日