おすそわけコットン・キャンディ おまけ

「仁姫ちゃん聞いて~?!」

やっと通話に応答した親友が不機嫌そうに「なんだい、いきなり」と言い終わる前に爆音でその声を書き消した。画面越しの親友…花田仁姫ちゃんはその声に「うるっさいよ!」と私の声に叱責を飛ばして大袈裟にため息をひとつ。そうして仕方ないと言わんばかりにスマホを机に置いて画面を覗き込んだ。

「で?なんの用だい」
「いやマジ聞いて?天変地異」

仁姫ちゃんとは十年来の親友で、高校が離れてしまった今でも時折通話したり遊びに出かける仲。仁姫ちゃんは部活、私はバイトが忙しくって中々会えないけど同じ学校の子にできない相談や愚痴は彼女に全部聞いてもらって、もちろん仁姫ちゃんの相談や愚痴も聞く。そんな気が置けない貴重な友人に今日起きたミラクルについて聞いてもらおうと大きく息を吸った。

「彼氏の話です」
「遂に進展したのかい?!」
「未遂!」
「リリアンの生配信見たいから切るわ」
「待って待って待って!!」

無情にも通話を切ろうとした仁姫ちゃんを必死に引き止めると仕方ないね、と伸ばした指を引っ込めてくれる。かれこれ付き合って半年、手を繋いでから悲しいほど進展しない彼氏…石神くんと私の話がようやく進展したのかと身を乗り出した仁姫ちゃんがため息をひとつ。いや、わかるよ。私だって友達が半年も彼氏と手を繋いだだけでキスもなにもないって話聞いたら呆れるもんね。

「で?未遂って?」
「いや、いやね…今日石神くんと勉強してたんだけど…」
「あー、追試食らったってストーリーに上げてたね。んなもん上げる時間あんなら勉強しな」
「それはいいの!石神くんにいっぱい勉強教えてもらったから!」

良くはないだろ…と呆れた仁姫ちゃんの声が耳に届く。その声を無視して「で、でね!」と強制的に話題を切り替える。今追試について嘆いている場合ではない。それよりも今日起きた出来事を聞いてほしい、と唇を震わせた。

「き、キスする雰囲気になっちゃって…!」
「はっ、えっ、それで何が起きたら未遂なんてことになるのさ」
「石神くんの幼馴染が乱入してきた」
「可哀想に」

親友の素直な同情が部屋に響く。その声に「で、でも進展しそうだったから…!」と半年停滞した関係が動く兆しを共有する。再三呟くけど、私だって好きで半年も手を繋ぐだけで満足していたわけではない。ただ、女の子からキスしたいって言うのはどうなのかなとか、石神くんは私とキスしたくないのかもとか、いろいろ悩んでいたら半年が経過していただけだ。
というか、キスしたいなんて言っちゃったら粘膜の接触についてうんぬん言われそうだし。そんな反応食らったら「あ、いいです大丈夫です…」ってキス欲なんか一瞬で引っ込んじゃいそうだし。

「それにしても科学にしか欲情しない名前の彼氏がねえ」
「そうなの、も~びっくりしちゃって。石神くんキス知ってたんだ?!みたいな」
「そんな男のどこが良いのかまったく理解できないね」
「全部好き」

たとえ半年、キスひとつもしない彼氏だとしても石神くんならなんでも良い。そう言い切ると仁姫ちゃんが呆れたようにもう一度大きなため息を吐いた。

「ま、ようやく進展しそうで安心したよ。卒業のほうが先だと思ってたからね」
「私も卒業のが先だと思ってた」
「なんで付き合ってんのさ…」
「全部好きだから…」

惚れた弱みとは恐ろしいもので、彼を目の前にするともうなんでも良くなってしまう。むしろここまでキス無しでやってこれたんだし、これからもキスなんかしなくても仲良く恋人を続けられる自信があった。…慣れって怖いなぁ。

「まぁ~ぶっちゃけ唇のケアできてなくて荒れてたから未遂で終わってラッキーだったんだよね。今お風呂で必死にスクラブしてきた。あ、あとミルクティー飲んだ直後だったからさぁ~、歯磨きさせて?!みたいな」
「…あんたそれ顔に出してないだろうね」
「へ?なんで?」
「名前、すーぐ考えが顔に出るっていうか…未遂でラッキーって顔なんかしてたら余計進展しなくなるよ」
「大丈夫だよ、だって石神くんだよ?そんなこと絶対気にしてないって!」

ケラケラ!と自分の彼氏について笑い飛ばすと仁姫ちゃんが「…そうだといいけどねぇ」と杞憂を口にした。心配性なんだから、とその杞憂を蹴とばすとぴこんっと仁姫ちゃんと同時にスマホが鳴った。その通知をふたりで覗き込むと我らが歌姫、リリアンの生配信開始を知らせるメッセージ。

「仁姫ちゃん一緒にリリアンの配信みよ!」
「いいけどアンタ追試対策は?」
「ぐっ…」
「浮かれてる場合じゃないだろ」

そう刺された釘が傷を抉る。勉強したくない、とぼやきそうになるのを見越してか、仁姫ちゃんがふっと唇の端を上げて柔らかく微笑みながら私を上手く操って見せる。

「補習になったら今度の予定がなくなるけどいいのかい?」
「そういえば映画の約束してたね?!」
「しかも次の週はアタシの試合。見に来たいんだろ?」
「い、行きたい…」
「じゃあ頑張んな」

悪戯に笑って通話を切った仁姫ちゃん。途端に暗くなった画面にひとり、「はぁ~」と大きなため息。そもそも、石神くんに勉強教えてもらったんだもん。補習食らったら合わせる顔がなくなるしきっと呆れられてしまう。
追試が終わったらすぐにお気に入りのアイシャドウとチークを使ってメイクをしよう。それでそれで、石神くんに可愛い私で会いに行く。きっと彼はそんな私に呆れながらも、誰も…私以外知らない優しい瞳を向けてくれるはず。
そう気合いを入れて開いたノートに石神くんの字を見つけてしまって緩む頬を引き締めながら追試クリアのために数学の問題と対峙した。

公開日:2023年7月23日