#6 その不意打ちはちょっとずるい!

肌はマットに、ハイライトも控えめに。アイシャドウはナチュラル、アイラインだけは大胆に。今日はチークもマスカラもいらない、ただネイルはショートのヌーディーベージュで少しだけオシャレさせてほしいな。髪は編み込みポニーテールでかわいい+動きやすく。
秋色リップをほんの少しだけ唇に乗せたら、今日の私が始まる。

夏休みがあけて数日、今日はクラス対抗の球技大会が開催される。勉強はできないけれど運動はできる、そんな私が輝ける日。

…なんてのは口実で、今朝同じクラスであり私の好きな人である石神くんから「今日がんばれよ」とメッセージを貰っていた私は正直舞い上がっていた。朝から!連絡くるなんて!舞い上がらないほうがおかしいから!なんて浮き足立っていた。
かっこいいとこ見せるぞ、という意気込みをすっかり通り越して天狗になっていた私は、私自身を最強だと過信していた。

「だ、大丈夫?!」

相手チームのパスカットに入り見事奪えたはずのボールが手汗でつるりと滑り、バスケットボールが顔面に直撃。痛みを自覚する頃には試合は中断されていて、心配する友人たちの声が聞こえる。

「大丈夫大丈夫!試合続けよう!」
「大丈夫じゃないよ保健室行こう!」

ぽたぽたぽたっと鼻から生暖かいものが落ちる感覚と友人たちの心配が加速していく様子。そして真っ白な体操服が赤く染まっていることに気付き、頭が真っ白になる。うっわ、鼻血とか小学生のときぶりだ。
急いでタオルを手にとり鼻を押さえ、そして大丈夫だから続けててとだけ伝えて体育館を飛び出した。こんなところこれ以上人に見られたくない。
こうして私は見事、文字通り、天狗になっていた鼻をへし折られたのだった。調子になんて乗るものじゃない。学びました。石神くんが球技大会をサボっててこの姿を見られてないことだけが救いです。

保健室へ向かう前に水道で少しだけ顔を洗い、出血状況を確認する。血がまだ止まらないしやっぱり保健室で休ませてもらおうとタオルを血だらけにしながら保健室に向かう。顔を洗ったせいでメイクもボロボロだ、ほんとに石神くんがサボってて良かった。九死に一生を得た。

「せんせー、匿ってー」

少しくぐもった声を出しながら保健室のドアをあけるが誰もいない。…参った、鼻血の対処方法ってなにが正しいのかわかんないしスマホも教室なんだけどな。
少しだけくらくらする頭で考えても知らないものは知らないし、仕方ないと椅子に座る。休んでたらいつかは血は止まるだろうし、それよりも今の私を目撃した人間すべてを消していきたい。なんてったって今の私はかわいくない。

そんな私を嘲笑うかのようにがらりと開いたドア、思わず視線を上げた先でばちりと目が合ったのは今一番会いたくない人で、球技大会だというのに相変わらず制服に白衣を着ていて科学室でサボっていた人。さ、最悪だ!

「アホ面拝みにきたぞ」

本当に勘弁して!

「い、石神くん」
「顔面でボールキャッチしたらしいじゃねぇか」
「それ以上近寄らないで!」

やめて!と手を伸ばしてぶんぶん振り回す。けれど彼はそんな私の制止なんて気にも留めず「養護教諭いねぇのかよ」とぼやきながら私に近づき、ぐいっと顔を覗きこもうとする。

「おい、怪我見てやるからタオルどけろ」
「や、やだ…」
「あ゛?」
「いまメイクぼろぼろで、鼻血まで出てて、ブスだから、見られたくない」

よりにもよって、あなたに。声にならない声を絞り出して、そう伝える。わかってよ、かわいいとこ以外見ないでよ。化けの皮をどうか剥がさないで。ああ、思考がまとまらなくて参ってしまった。頭のなかがぐちゃぐちゃだ。

「バカか」
「バカでいい」
「鼻折れてたらどうすんだよ」

つーか折れてなくても鼻血の出所によっちゃ病院送りだぞと付け加える石神くんに目眩がする。いや、彼と会話しはじめてから二ヶ月たった今ならわかる、というかわかっている。彼は私を、彼なりに心配している。だけど、この惨状を彼に見せる勇気がどうしても出ない。顔面血だらけだよ、誰が見せれるの?

「ブスだとかかわいくねぇとかクソどうでもいいわ」

この人一生乙女心を理解することはないんだろうなぁ。

ぐいっと手を掴まれ、タオルが奪われる。免罪符が欲しかった私にとっては好都合で、今の顔を晒す理由を彼のせいにしてしまいたかった。なんて浅ましくてずるいやつ。

「いつもとそんな変わんねーじゃねーか」
「それはそれで複雑だけど?!」

えっ石神くん私のことどう見えてるの?不安になってきた。…けれどそう言ってくれて、いつもの態度の彼に救われる。彼はやっぱり私を顔で判断せずにいてくれる。そんな人はきっと彼くらいしかいない。
と、思いつつ怪我を見てくれているとは言え顔に手を当てられ、まじまじと顔を見られるの恥ずかしすぎる!ち、近い!

「あ゛ー、やっぱキーゼルバッハ部位からの出血か。」
「なんて?」
「よくある鼻血の原因だから安心しろってことだな。お前が大事に大事にしてる顔面に影響はねぇよ」

石神くんがふぅ、と息をついて保健室にある冷凍庫から氷を取り出す。一応頭冷やしとけとおでこに当てられ、ぶわっと顔に熱が集まる。うう、優しい、好き…。

「石神くんどうしてそんなに優しいの…」
「あ゛?」
「初めて話したときからそう、君はずっと優しくて参っちゃう。」

そう鼻にタオル、頭に氷を当てながらそう伝えるけれど我ながら間抜けで情けない。笑って誤魔化すしかない現状にため息がでそうになるけれど、息は吐かない。弱音ももう彼には吐きたくない。

「テメーにだけだバカ」

信じられない言葉と共にさらりと頭を撫でられる。とても優しい彼の瞳が私をとらえて離してくれない。それって、勘違いしちゃってもいいってこと?なんて聞けない自分が情けなくてごくりと言葉を飲み込んだ。

「そろそろ血止まったろ」
「本当だ」
「大したことなくて良かったな。」

保健委員が怪我してんじゃねぇよとぼやかれつつ、ぱっと離れた手が名残惜しいなんて、とんでもない。私はいつからこんなに欲深いやつになってしまったのか。

「じゃあ球技大会復帰しますかー」
「おー、今負けてるらしいぞ」
「逆転してくるわ」

っと、その前に。

「メイクしなきゃ始まらない」
「ククク、そう言うと思ってお前の鞄持ってきてんぞ」
「さすが石神くん!」

石神くんからコスメがたくさん詰まった私の鞄を受けとる。コスメポーチに基礎化粧品、メイク落としを机に並べる。って、

「み、見ないでよ…」
「あ゛ー?いいじゃねえか減るもんじゃねぇだろ。鼻血面のほうがよっぽど化けモンだわ」
「やっぱり酷い顔してたんじゃん!」

…まぁ、確かにさっきの顔よりまだマシだし時間もない。さっとメイクを落としてスキンケア。コットンでぺちぺちと数回叩くとまだ若干血が付着するのに苦笑い。隣で石神くんが見てるのも恥ずかしいな、こういうのって男の子は見たいものなのかな?いや、彼の場合たぶん顔面魔改造の過程が知りたいだけだな…。じぃっと視線を感じて少し指が震えちゃう。

「お前、キレーな顔してんな」

その不意打ちはちょっとずるい!

やっぱり見ないで!と彼に背を向けて鏡と向き合う。落ち着くためにすぅ、と深呼吸。よし。

肌はやっぱり艶増し体育館の照明に負けないように、ハイライトは大胆に!アイシャドウは強気なローズピンクでアイラインはセクシーに。くるんと巻いたまつ毛に自信を足して、仕上げは秋色リップで大人の余裕を借りちゃって。
何度でも今日の自分をはじめよう!

「お待たせしました」
「今からバスケしにいく奴の顔面じゃねぇな!」
「これが私なので!」
「あ゛ぁ、お前らしくていいわ。」

そう笑う彼にとくん、と胸が高鳴った。少し不器用でたまにいじわる、でも優しい君が好き。何度でもそう思わせてくれて。

「ありがとう、石神くん。行ってくるね」
「ちょっと待て」
「なに?」

石神くんになにかを投げ渡される。上手くキャッチできたものの、乱暴な。落としたらどうするのと投げ渡されたそれを広げると石神くんの体操服。

「お前の体操服血だらけだしそれ着とけ」

胸付近に石神、と名前が入った体操服。
えっこれを着て?私が?うん?

「い、いいの?」
「名字が嫌じゃなかったらな。」

い、嫌なわけがない!
いやそれよりもちょっと待って、石神くんの体操服着るの?私が?もうそんなの入籍じゃん!石神ですって名乗ってもいいかな?いいよね?

「ほら、がんばってこい」
「うん!」

ほんの少しだけ大きい石神くんの体操服で体育館に戻った私に、クラスメイトたちは騒然。お前石神の体操服追い剥ぎしたの?と聞かれて入籍しました!と答える私はきっと良い笑顔をしていただろうな。

なにより、彼からがんばれと言われた上に自分の好きなメイクをした私はやっぱり最強だと思うのです!

公開日:2020年7月12日