#5 君のそういうところ!

完全にくすんでしまった肌にカバー力最強のファンデーションを乗せて無理やり肌を復活させて目の下にはコンシーラーで隈をカバー。ようやくアイシャドウを乗せてチークで血色を取り戻す。夏色リップは大胆に、髪はまとめ上げてうなじに香水をたったひとふり。
…さぁ、今日も私をはじめなきゃいけない。

あの人生最大の事件である花火大会逃亡から二日が経過し、通常ならば夏休みに入っているはずの平日。こんなに重たい体と顔を無理やり起動しているのは今日から補習が始まるからだ。勉強が得意ではないし、校則違反の常習犯である私はまぁ、当たり前に補習メンバーリストに名前を刻んでいた。

と言っても問題はそこじゃない。私がこんなにもボロボロになっているのはこの夏、私が好きになった人、石神千空くんから全力で逃げてしまったからである。
家に帰ってからやってしまった謝らなきゃと踵を返したが彼の連絡先すら知らない私にできることなんて何一つなかった。
そして不幸なことに長い長い休みが始まったのだ。つまり、次に彼に会えるのは約一ヶ月後。ため息も枯れた。

もうダメだ、今日はフラペチーノ飲んじゃお!とカフェに飛び入りテイクアウトでキャラメルフラペチーノを注文する。
氷少なめキャラメルソースは増してチョコチップを追加してもらう。店員さんのネイルは綺麗な夏色ブルー、わぁいいなぁその色。…私も、ネイル変えちゃおっかなぁ。

フラペチーノを片手に登校する私を見て玄関にいた教員はため息を盛大についていたが、咎めることはできない。
これがダメなら紙パックのジュースも禁止にしてほしいものだ。そんなバカすぎることを考えながら階段をのぼり、教室のドアをあける。どうせまだ誰も来ていないだろうと思ったらいつもの席に彼…石神くんがいた。

思わずドアを閉めて後退りをしてしまう私を彼の瞳が捉えた瞬間、ぱちりと目があって彼ががたりと席を立つ。謝りたいとあんなにも思っていたのにいざ本人を目の前にすると竦んでしまって情けない。がらりと彼がドアを開ける音がしてぎゅっとフラペチーノを持つ左手に力が入る。

「い、石神くんどうして」
「おはよ」
「お、おはよう」

てめーなんつーもん持ってきてんだ、と笑う彼。石神くんがいるって知ってたならフラペチーノ持って登校なんかしてない。フラペチーノを持つ左手は真夏のくせに冷えきって震えていた。

「石神くんが補習…な、わけないよねぇ…」
「杠からお前が補習組って聞いた」
「なんでわざわざ学校に…」

目を一度も合わせられずにいる私に対して彼は真っ直ぐこちらを見据える。誰もいない廊下に二人、沈黙が痛くて、それでも言葉が出てこない。

「…名字に会いに来た。」
「へ、」
「補習が終わったら科学室に来い。待っててやるから。」

こんなに重たい約束を私は知らない。彼が手を振りながら教室から出ていく後ろ姿を見ながら補習が終わったらすぐに科学室に行って謝ろう、と決心を固める。逃げ出してしまったのに、きっと困らせたのに、それでも彼は私に会いにきてくれた。これ以上に嬉しいことはない。

長すぎる三時間の補習を終え、飲み切ったフラペチーノの容器をゴミ箱に放り投げて科学室に足早に向かう。石神くんと初めて会話をした廊下を抜けて突き当りの教室。深呼吸してドアに手をかけてがらりと開けると、一人で実験をしていた石神くんがこちらに視線をくれた。

「おー、早かったじゃねえか。」
「私は午前中だけだったから。」
「そりゃあんだけ真面目に授業受けてんのに赤点ばっかだったらビビるわ」

今日の石神くんはやけによく口が回っていて、逆に私は口が回らない。嫌な緊張感で変な汗が出てきたし、心臓がとても痛い。フラペチーノを吐いてしまいそうだ、朝から重いものを飲みすぎた。

「悪かった。」

ぐるぐるぐるぐる考えていたらまさかの石神くんから謝罪の言葉が溢れた。

「待って!石神くんは何も悪くなくて、私がくだらないことで意地張ったのが悪いの、ごめんなさい!」
「くだらなくはないだろ。あと俺も完全に言葉が足りなかった。」

杠にビビるくらいキレられたわ、と苦笑いしている石神くん。待ってユズちゃんに話したの?恥ずかし、あとで連絡いれとこなんて少し心の余裕が出てきた私。もう一度深呼吸して体中に酸素をおくる。

「よく考えてみると科学大好き石神くんに魔法なんて言葉理解されるわけがなかったというか…」
「ククク、よぉーくわかってんじゃねえか。その通り、俺は魔法だの魔術だのは完全に真っ向から否定するタイプでな」

そりゃそうだ、と彼の手元のビーカーを見る。なにをやっているかはまったくわからないけれどきっと私が見たら魔法みたいと口走ってしまうんだろうな。そもそも今まで科学実験なんて結果だけ見てすごーいおもしろーいくらいの感想しか抱けなかった私が、石神くんのような人と会話できていること自体、彼の優しさに甘えてしまっていた証拠だ。

「だからお前の魔法も否定する。」
「そうだね、それでいいと思う。」
「お前のそれは魔法なんかじゃねえ、それはお前の研究結果であって努力そのものだ。」

メイクは魔法だ、ドキドキしてワクワクしてまったく違う自分になれる魔法。ずっとそう盲目に過ごしてきたから、胸がきゅっと締め付けられた。コスメは全部キラキラしててかわいくって、少しでも似合う女の子になりたくて調べて試して研究して。そうだ、それでかわいくなれた日にようやく自信を味方にできるんだ。

「それが当たり前すぎて忘れてたなぁ」

ありがとう、石神くん。そう真っ直ぐ目を見て伝えると石神くんは優しく笑ってくれた。

「でも私はこれからも魔法という言葉を使うと思う。」
「あ゛ー好きにしろ。俺ももう否定しねえよ、泣かせたくねぇしな。」

う、見られてた…泣き顔はかわいくないから見せたくなかったんだけどななんて、くだらないプライドが見え隠れする。だって、好きな人には常にかわいい私を見せたいものだから。

「っていうか、」
「んだよ」
「私が逃げなきゃそのまま和解して一緒に花火見れてたってこと?」
「は?」

だって!石神くんと!花火見たかった!なんて言えないけれど!後悔のやり場がなくて窓から飛び出してしまいそうだ。
いぃん…と言葉にならない声をうめき出す悲しい人間が産み出された瞬間だった。私のバカ、ちゃんと人の話は聞きましょう!

「てめー足早すぎんだよ」
「よく言われる。…えっ?」
「まさか浴衣と下駄の女に全力で走って追い付けねぇと思わなかったわ」

えっ?と理解できずにまた短く息を吐く。私遂に日本語理解できなくなった?
だって、その言い方ってまるで

「お、追いかけてくれたの?」
「一応な!まったく追い付けなくて諦めたがな!」

情けねぇからあんま言わせんなと全然痛くないデコピンを食らう。それよりも彼から食らった事実という一撃に沈んでしまう。ぶわっと顔に熱が集まってどくんどくんと心臓が高鳴って息が苦しい。だって、そんなの嬉しいに決まってる。

「足早くて損したの初めて。やっぱり石神くんと花火見てみたかったな」

思わず口にした後悔に好きが溢れてしまって大変だ。きっと石神くんにとって私なんて隣の席のクラスメイトで、席が変わってしまえば会話すらしなくなるような希薄な関係なのに。こんなこと言われても困るよね、と訂正しようとした私より先に石神くんが口を開いた。

「あ゛?また来年一緒に見に行きゃいいだろうが」

君のそういうところ!

階段から落ちた私に声をかけてくれたり、初めて喋った相手のパウダー直してくれたり、元気がない私にジェルネイル作ってくれたり!
自分勝手に逃げ出した私を追いかけてくれたり、また来年一緒になんて言ったり!

そういうところ、勘違いしちゃうから!

公開日:2020年6月28日